三国志 人物・武将

三国志 の登場人物を端的に紹介。三国 時代 赤壁の戦い 人物 相関 図

三国志 人物・武将

初めての方へ。超入門。そもそも三国志って?あらすじ わかりやすく

三国志 人物・武将

三国志・一騎打ち最強の武将は誰なのか!?

三国志 新着順記事


諸葛亮(孔明)の甥 呉の秀才諸葛恪(元遜)とは

諸葛亮(孔明)の甥にして諸葛瑾(子喩)の長男である諸葛恪(元遜)は、呉の第3世代をけん引する秀才でした。 本記事では、諸葛恪(元遜)の人物伝とその後を紹介します。


三国志には奸臣が多く登場!有名な奸臣について紹介

三国志には、忠義を尽くすカッコイイ武将が多いです。その反面、奸臣と呼ばれる人物も多く登場します。奸臣によって国難に陥ることもあったのです。そこで今回は、三国志に登場する有名な奸臣について紹介していきたいと思います。


三国志・董卓の残党である李傕や郭汜は本当に雑魚武将なのか?

董卓の後継者として朝廷を牛耳った李傕、郭汜ら董卓の残党。彼らの評価はとてつもなく低いですが、果たして本当に雑魚武将だったのでしょうか。


三国志演義に描かれた周瑜(公瑾) 諸葛亮(孔明)に惜しまれたその才能

呉の水軍大都督であった周瑜(公瑾)。赤壁の戦いでは劉備軍と連合して曹操(孟徳)の巨大水軍を壊滅させるなど、その実力は随一。駆け引きにおいても常に曹操(孟徳)より上手を行く知力の持ち主でした。華々しい活躍を見せた英雄でしたが36歳でこの世を去ってしまいます。


初心者でも早分かり! 三国志人物伝【曹操と敵対にあった雄】( 魏②)

三国志で広大な領土を築いた魏の曹操ですが、人材の宝庫といわれ、文官・武官ともに有能な武将たちが勢ぞろいしていました。そんな魏の人材でも、当初は曹操に敵対勢力として所属していた武将も多くいます。そんな曹操を苦しめて、後に魏の発展に貢献した人物を見ていきましょう。


三国志・ビジネスマンは、孫策の江東制圧戦から学べることが多い

凄まじい勢いで、江東を制圧していった「孫策」。しかし、相手も備えは充分です。もちろんそんな簡単にはいきませんでした。奪った拠点を奪還されたりもしているのです。


これぞ勇将!勇猛果敢の三国志武将5選とエピソードを紹介!

三国志の魅力は何と言っても登場人物の多さです。なかでも勇猛果敢に活躍する三国志の武将には魅力を感じるものです。そこで今回は、勇猛果敢に戦った三国志の武将をピックアップして紹介していきたいと思います。


三国志演義に見る蜀将の活躍、逸話はフィクションが多い!?

三国志演義は劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)といった蜀の武将、官吏を贔屓した描写が多いです。実際その場ではなにもしていないのにさも獅子奮迅の活躍をしていたことになっていたり、神様のように描かれることもしばしばあります。それでは三国志演義にある蜀将にまるわるフィクションをお届けしましょう。


実は凄かった荊州を支配した実力者【劉表】

荊州を支配した劉表は、三国志演義では優柔不断で頼りない印象を受け、劉備や孫策の引き立て役になっていました。しかし、三国時代には激戦区となる荊州を、存命中に実効支配していたのは劉表の影響力が強かったからといえます。そんな劉表の凄さをみていきましょう。


政略結婚 劉備(玄徳)と孫尚香の結婚 そして切ない結末

赤壁の戦い後の混乱に乗じて荊州を占領してしまった劉備軍。呉はあの手この手を使ってこれを排除しようとしますがウマク行きません。兵を差し向けてもダメ。外交交渉をしてもダメ。業を煮やした周瑜(公瑾)は策を講じます。孫権(仲謀)の妹である孫尚香と劉備(玄徳)を結婚させるというモノです。


三国志・英雄たちで最強のサッカーチームを作ってみよう!

今回は、三国志に登場する英雄たちから選抜して、ワールドカップでも活躍できそうなチームを編成していきたいと思います。


蜀の名将「法正」と「黄権」

劉璋が治めていた頃から益州の名臣と言われていた「法正」と「黄権」。彼らはやがて劉備(玄徳)に仕え、その才能をフルに発揮します。演義では語られることの少ない二人ですが、どのような功績を残したのかを記載していきます


三国志・曹操の従弟である曹仁は、武将としてどのランクに位置するのか?

三国志演義ではあまり注目されることのない「曹仁」ですが、最強ランクの名将だったという説もあります。その背景を考察していきましょう。


中国人が世界中に住んでいるのは三国時代に理由があった?

中国人は世界中どこの国にも移住して、独自のコミュニティを築いています。いわゆる「華僑」と呼ばれる人たちのことですが、実はこういった外国に住む中国人のルーツとなっているのは、三国時代にあったという話もあるのです。


赤壁後の混乱 合肥城の攻防と荊州の領有権争い

赤壁の戦い後は曹操軍、呉軍、劉備軍の「三つ巴」様相が鮮明になって行きます。南郡においては呉軍と劉備軍が衝突。劉備軍はさらに荊州南部へ侵攻、そして合肥方面では孫権(仲謀)率いる呉軍が曹操軍の守る合肥城を攻撃します。


呉の孫氏一族を支えた華麗なる知将リレーとは?

三国時代の知将として代表的なのは蜀の諸葛亮(孔明)と魏の司馬懿(仲達)です。三国志のシミュレーションゲームでも、軍師として誰もが欲しがるビッグネームですが、呉の孫権(仲謀)配下には彼らのような大物軍師はいませんでしたが、知将として名高い武将たちがリレー形式で孫一族を支えていったのです。


夷陵の戦い--三国の勢力図の決定

壮大な国盗りゲームである三国志の勢力図がほぼ固まるのが夷陵の戦いです。関羽を討ち、荊州を孫権が奪いとると、関羽の仇討ちと荊州奪還を目指して劉備(玄徳)が出陣しますが、敗れます。その結果、魏・呉・蜀漢の三国の領土が決定します。一体どんな戦いだったのでしょう


関羽(雲長)は項羽に感化されていた!? 項羽と関羽(雲長)の死に際に見る共通点とは?

関羽(雲長)は聞きしに勝る忠義の臣です。大の読書家としても知られる関羽(雲長)は下賎の出身でありながらも日頃本を読んで人間関係や孝の精神、さらには兵法に及ぶまで学ぶことを欠かさなかったと言われています。そんな関羽(雲長)にはとある歴史上の偉人に感化されたのでは?と思いたくなるエピソードがあります。


三国志・赤壁の戦いで活躍した軍船と、曹操が敗れた理由を探る

曹操はなぜ赤壁の戦いで大敗することになったのでしょうか。三国志の時代の水軍と共に紹介していきます。


結局、呉の"孫堅"ってなにした人なの?

呉の主要人物である孫堅ですが、孫権に隠れてしまっているということもあり、あまり有名ではありません。なおかつエピソードもあまり聞きません。今回はそんな孫堅について紹介します。