三国志・ビジネスマンは、孫策の江東制圧戦から学べることが多い

三国志・ビジネスマンは、孫策の江東制圧戦から学べることが多い

凄まじい勢いで、江東を制圧していった「孫策」。しかし、相手も備えは充分です。もちろんそんな簡単にはいきませんでした。奪った拠点を奪還されたりもしているのです。


袁術に冷遇される孫策

「小覇王」の異名も持つ、孫策、字は伯符。
揚州呉郡の生まれで、黄巾の乱の鎮圧や反董卓連合で大活躍をした孫堅の息子になります。武勇に優れていた孫堅は多くの手柄をあげますが、192年に荊州の劉表を攻めて、37歳の若さで戦死してしまいます。
20歳に満たない孫策は、父の遺骸を葬った後、袁術の配下として活躍することになります。

袁術は孫策の活躍ぶりを見て、「私に孫策のような息子がいれば」と感心しており、孫策は若武者ながらかなり高い評価を得ていたことがわかります。
しかしその才能を恐れたからなのか、功績をあげる孫策に対し、袁術は九江郡や盧江郡の太守にするという約束を反故してきました。(このような若者をいきなり太守に任命することが本当にあるのか疑問はあります)
いいようにこき使われていたのが、この時の孫策だったわけです。成果を出しても昇進できない不当な扱いに反発し、孫策は独立を考えるようになります。

揚州を巡る袁術と劉繇の争い

孫策にとって幸運だったのは、袁術は多くの勢力と揉めていたために、武功をあげるチャンスがいくらでもあったということです。
袁術は揚州の寿春を本拠地としていましたが、揚州の正式な刺史は劉繇でした。劉繇は寿春から離れた長江以南の曲阿を本拠地として、長年に渡り袁術に抵抗しています。
袁術は曲阿のある丹陽郡で影響力のある呉景(孫策の叔父)や孫賁(孫策の従弟)と通じて、劉繇にプレッシャーをかけますが、劉繇は張英や樊能、于麋を用いて守りを固めました。
袁術は、長江に築かれた横江津、当利口という劉繇の拠点を突破することができずに、1年もの間、対峙することになります。

孫策軍結成

劉繇に対抗するために、袁術は孫策を出陣させることを決めます。孫策がしきりに親類である呉景・孫賁の援軍となることを希望してきたからです。
それでも袁術は孫策に千の兵士か与えませんでした。軍馬はわずかに数十頭です。
あまりに小さな援軍でしたが、メンバーは豪華です。父の代から仕えていた歴戦の勇・黄蓋、程普、韓当、朱治などが孫策を支えます。

さらに長江を渡る直前の歴陽では朋友である周瑜が、孫策の陣営に加わっています。
他にも周泰、蒋欽、凌操、陳武といった猛者たちが孫策の配下となり、兵の数は5000人を突破するほどまでに膨れ上がっています。
それだけ孫策の武勇は鳴り響いており、人望もあったということでしょう。

躊躇なく劉繇の重要拠点・牛渚を攻める

歴陽で待つ叔父の呉景と合流した孫策は、すぐに劉繇攻めを開始します。
孫策の優れている点は、とにかく行動に移せるところです。判断も早く、迅速です。
長江を渡り、1年かけても陥落できなかった横江津(樊能と于麋が守将)、当利口(張英が守将)を攻略。さらに劉繇軍の兵糧や武器を貯蔵している牛渚を落としました。

三国志演義では、于麋が孫策に一騎打ちを申し出ますが、あっさりと捕獲されてしまいます。于麋を救出しようと樊能は孫策を背後から襲い掛かりますが、大喝されて落馬し亡くなりました。于麋を抱きかかえたまま帰陣した孫策は、いつの間にか于麋を絞め殺していたことに気が付きます。恐るべき孫策の武勇です。

袁術相手には善戦していた劉繇でしたが、相手が孫策に代わった途端、あっという間に崩されてしまったのです。劉繇は牛渚を放棄して本拠地の曲阿へ退きます。

笮融は孫策相手に抵抗

牛渚を占領した孫策は、曲阿を攻める前に、秣陵へ進軍しました。秣陵には劉繇に与する下邳国の相・笮融が陣を構えていたのです。しかし笮融も孫策の勢いを止めることができず、配下500の首を討たれ、城に退却。籠城戦に切り替えることになります。
兵の少ない孫策は攻城戦では思ったような成果が出せません。そこで孫策は再び長江を渡り、彭城国の相・薛礼を攻めました。(薛礼は陶謙の圧迫を受けて徐州を追い出され、秣陵近くに拠点を置いていたようです)
当然にように対抗できない薛礼は逃げ惑うだけです。

しかし、ここで時間ができました。この隙に劉繇は、孫策に占拠された牛渚を奪還することに成功します。笮融の抵抗が、劉繇の反撃の機会を作ったのです。
孫策にしてみたら、こっちを潰せばあっち、あっちを潰せばこっちというように、ゲリラ戦でかき回されています。兵が少ないために、拠点を維持できないのです。
いつまでも抵抗を続ける劉繇や笮融に対し、なかなか厄介な相手だと感じたことでしょう。

孫策ついに負傷する

劉繇に牛渚を奪われた孫策はすぐさま転戦、休む暇など与えずに一気に牛渚を攻めて再び陥落させました。この時、孫策は劉繇の兵一万を捕虜としています。
それでも孫策は休みません。また、秣陵を攻めるのです。籠城する笮融は、牛渚がまたも陥落したことで士気が低下していましたが、必死に抵抗を続けました。
やがて、放った矢が孫策に突き刺さります。
孫策の父である孫堅も同じように陣頭に立って兵を鼓舞し、戦死しています。

孫策が矢傷で死亡したという情報が流れました。
笮融は好機到来と見て、城から出撃し、孫策軍に襲い掛かります。孫策を失った将兵は耐えられずに逃亡し始めました。
笮融は喜々として追撃します。しかし、これは城から笮融をおびき出す罠だったのです。孫策は死んではいませんでした。
伏兵に破れ、笮融は大敗し、落ち延びていきます。

まとめ・曲阿を得る

その後、孫策は本格的に劉繇の本拠地である曲阿を攻めることになります。そして、運命の相手、太史慈に出会うことになるのです。孫策は太史慈と一騎打ちの死闘を演じました。
果たして孫策の矢傷は癒えていたのでしょうか。
ちなみに太史慈は劉繇が敗れて曲阿を去った後も、山越族と手を結んで、孫策に対しゲリラ戦を挑んでいます。しかし、捕まることとなり、孫策はその縄を切って太史慈に協力を願い出ました。
太史慈は約束の日までに劉繇の残兵をまとめてくることを提案。孫策はそれを許し、太史慈はその約束を果たして、兵を引き連れて戻ってきました。
こうして孫策兵力を増強し、呉郡や会稽郡をまたたくまに制圧し、大きな勢力となることに成功するのです。

袁術が皇帝を自称した際には、手切れすることで、孫策は江東の地で独立していきます。

「目標を達成するために徹底的に行動に移せる」「どんな妨害にもくじけずにチャレンジを続ける」孫策から学ぶことは、現代のビジネスマンには多いのかもしれません。

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