三国志 人物・武将
三国志 の登場人物を紹介。三国 時代 人物 相関 図中国の二大拠点のひとつである長安を陥落させた西涼軍。武力においても計略においても曹操軍に引けを取りませんでした。渭水の戦いは武力での戦いと計略合戦が織り交ざった一進一退の攻防となりますが、最終的には計略により勝敗が決します。
中国統一を果たせなかったとは言え、曹操の魏国は中国の七割を支配しました。その途中で最大の敵となったのは北方の名門袁紹一族でした。曹操と袁紹の一大決戦「官渡の戦い」。狭義では官渡の地での決戦のみを示しますが、広義では曹操と袁紹の戦い一連を表します。ここでは広義の「官渡の戦い」を見ていきます。
いくつもの国がしのぎを削り、三国に絞られた状態でも諸葛亮(孔明)は誰よりも南蛮の勢力を注視していました。魏に攻め込む際に南に憂いがあっては攻めこめない。そういう想いがあったのです。しかしそれだけではなく、何とかして南蛮の勢力を自分たちの力に変えられないかとも思っていました。ここでは蜀と南蛮のかかわりについて紹介しま
大国「魏」に対抗するため、「呉」の孫権は、北方の遼東に目をつけます。そして度重なる外交交渉を進めていくことになるのです。
蜀を陰ながら支えた武将!目立ちはしないが優等生な龐統の人生を振り返る!
蜀には心優しく民を思う武将が集まったとされています。もちろん関羽のように三国志に絶対欠かせない存在になった人もいれば、陰ながら蜀を支えた武将もいます。 そこで今回は目立ちはしなかったものの蜀を支えた武将である龐統について紹介します。
劉、曹、孫一族など皇帝を輩出した一族を筆頭として、三国志ではいくつかの一族が台頭します。曹操(孟徳)によって滅ぼされた袁一族、三国志の最終的な勝者となった司馬一族、そして、西涼から立ち上がり一時は長安を占領した馬一族もそのひとつです。三国志後半の蜀漢において重要な役割を果たす馬一族の活躍ぶりを見て行きます。
三国志の中で最大の合戦と言われる「赤壁の戦い」。演義では諸葛亮の圧倒的な才覚の前に周瑜や魯粛もタジタジで曹操がコテンパンにやられます。ですが、東南の風を人為的に起こしたり関羽が曹操を見逃すのを見越したりと流石に現実的にはちょっと・・・というシーンも多々あります。正史の赤壁の戦いは一体どうだったのでしょうか?
三国志の登場人物たちの名前は「姓」「諱」「字」に分けられますが、「姓+諱+字」で表記することは間違っているのでしょうか?
劉備(玄徳)と諸葛亮(孔明)は「水魚の交わり」と言われるほど密接な関係だったようです。これには義兄弟の関羽(雲長)と張飛(益徳)もヤキモチを焼いたのだとか。しかし、史実では密接な関係であると同時に微妙な関係にあったことも読み取ることができます。
諸葛亮(孔明)と同等かそれ以上の才能を持つとも言われた龐統(士元)。赤壁の戦いの頃から三国志に登場しますが、その才能を十分に発揮することなくこの世を去ってしまいます。短くも深く色濃い生涯となる「龐統(士元)の三国志」を見て行きます。
今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」
三国志の小説やドラマなどをひと通り見てきたけれど、話の内容はだいたい理解できているが時代背景や物語の進み方が蜀目線で進められていることに疑問がある方はどれくらいいるでしょう? 本記事ではそのような今さら聞けない三国志の疑問についてご説明いたします。
遼東に一大勢力を築いた公孫氏の興亡の経過をお伝えしていきます。そこには「因果応報」の理が見え隠れしています。
三国志好きは、一度は中国に行ってみたいという想いがあるでしょう。ここでは三国志のゆかりの地と何が起きた場所か紹介したいと思います。歴史と地理の両面から三国志を堪能し、より身近に感じてみてはいかがでしょうか。
蜀が建国された当初は、諸葛亮も健在で他国に脅威となっていました。しかし、諸葛亮の没後は、魏に攻められることもあり、蜀は安泰とはいえない存在となっていきます。その中で蜀を守り抜いた最大の功労者ともいえるのが王平です。その実力をみていきましょう。
いつの時代にもイケメンがいればブサイクもいます。三国志演義では孫策・周瑜・趙雲・呂布・馬超辺りがイケメンな描写をされています。一方、身なりが冴えなかった(ブサイク)として書かれる武将もいます。彼らは本当にイケメン、あるいはブサイクだったのでしょうか?
三国志を語る上で武将と武将が1対1で正々堂々と槍や刀、戟を打ち合って戦いを繰り広げる一騎打ちはどうしても欠かすことができません。 三国志では一騎打ちがくたびも出てきますが、その中からこれはと思う一騎打ちをピックアップしました。
日本で独眼竜と言えば伊達政宗です。そして、三国志なら夏候惇が隻眼のイメージが強く、独眼竜と言えるでしょう。実は夏候惇は伊達政宗と同じぐらい魅力的な武将です。そこで今回は、魏の武将・夏候惇について解説していきましょう。
蜀を建国し初代蜀の皇帝になった劉備(玄徳)、白馬将軍と呼ばれ群雄を恐れさせた公孫瓚の師匠は盧植(子幹)という名士です。劉備(玄徳)と公孫瓚に学問を教えた盧植(子幹)とはどんな人物なのでしょうか?
三国志・職業軍人VS文官官僚 なぜ張飛は劉巴にシカトされてしまったのか
武人と文人、三国志には大きく分けてこの2種類の人たちが活躍します。しかし重んじられたは文人の方だったようです。特に印象的なエピソードを交えてお伝えしていきます。
三国志の物語では数多くの戦がありました。となれば、当然捕まったり、敵兵に囲まれた武将もたくさんいます。人間は絶体絶命の局面でこそ本音が出るといいます。三国志の英雄たちはどのような本音を出したのでしょうか?