とんでもないエピソード満載の張飛(翼徳)について

吉川英治原作 三国志 (現在執筆中) @黄十浪 坂本六有

人物・武将

初心者でも早分かり! 三国志人物伝【孫呉の英雄】(呉①)

吉川英治原作 三国志 (現在執筆中) @黄十浪 坂本六有

人物・武将

初心者でも早分かり! 三国志人物伝【覇道を担った魏の英雄】...

吉川英治原作 三国志 (現在執筆中) @黄十浪 坂本六有

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徐州--三国志前半の激戦区

徐州--三国志前半の激戦区

三国志演義、序盤から数々の見せ場があります。その中で印象深いものの一つが曹操による徐州での大虐殺でしょう。父親を殺された曹操が復讐のために徐州に攻め入り、劉備がわずかの援軍を率いてやってくる。二人の対称的な姿が映し出されます。その後、呂布や袁術が絡んできて、複雑な人間模様が描かれます。では、正史の徐州での攻防はどのようなものだったのでしょうか?


諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

あなたは蒋琬(公琰)と費韋(文偉)をご存知でしょうか?この2名はあまり有名ではないものの、諸葛亮(孔明)が亡くなるほんの数日前に「あなたの後は誰に任せたらよいか?」という質問に諸葛亮(孔明)が挙げた2名です。 本記事では諸葛亮(孔明)という天才に後を託された2名について説明します。


ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

三国志に登場する人物はカッコイイですが、実は失敗も多いです。ダメ上司が多くおり、反面教師にすることができます。そこで今回は、魏・呉・蜀のダメ上司を紹介していきたいと思います。ぜひ、反面教師にしてみてください。


三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

蜀の猛将「関羽」と「張飛」にはそれぞれ息子たちがいました。三国志演義ではその息子たちが、父親以上の活躍を見せているのです。 「張苞」と「関興」の一騎打ちの成績に注目してみましょう。


三国志巡りの旅行へ!舞台となった土地は今!?

三国志巡りの旅行へ!舞台となった土地は今!?

三国志が中国を舞台にしている物語なのは理解している人も多いですが、実際の舞台となった土地を見に行った人は少ないでしょう。 そこで今回は三国志の舞台になった土地が現在どうなっているのか、現在の状況を紹介します。


黄巾の乱--三国志の幕開け

黄巾の乱--三国志の幕開け

歴史は延々と続くものですから、正史三国志の時代のスタートはいつなの?と明確に示すことはできません。ですが、物語である三国志演義では明確なスタート地点があります。黄巾の乱です。黄巾の乱は歴史の授業にも出てくる、学問的にも大きな事件でです。壮大なる三国志の幕開け、黄巾の乱。一体どのような事件だったのでしょうか?


張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

赤壁の戦い後、天下三分の計実現のために益州(蜀)攻略を模索していた劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)でしたが、逆に蜀からも漢中の張魯(公祺)に狙われていることを察知した人物たちが、外部から強い指導者を招き入れ、蜀防衛を図ろうと画策していました。その筆頭となって行動したのが張松(永年)でした。


結婚指輪が習慣づいていなかった三国志の時代は既婚者をどう見分けたのか?

結婚指輪が習慣づいていなかった三国志の時代は既婚者をどう見分けたのか?

左手の薬指に指輪をはめている男女を見ると「この人は既婚者だ」と容易に判断することができます。しかし、結婚指輪が習慣づいていなかった三国志の時代はどのようにして未既婚を見分けていたのでしょうか?


一時代を築いた天性の策士【司馬懿】

一時代を築いた天性の策士【司馬懿】

魏の策略家として名が挙がるのは荀彧や荀攸を筆頭に大勢の文官が揃っていました。しかし、その中でも飛びぬけて出世し、後に魏を倒して晋を建国するまでに至ったのは司馬懿の功績が強かったといえます。一時代を築いた司馬懿の功績をここで紹介していきます。


三国志・袁紹配下で最強レベル「文醜と顔良」の一騎打ち対戦成績は優秀だった!

三国志・袁紹配下で最強レベル「文醜と顔良」の一騎打ち対戦成績は優秀だった!

曹操のライバル・袁紹の配下で有名な武将といえば「文醜と顔良」でしょう。果たしてどれほど強かったのでしょうか?その一騎打ちの足跡を辿ります。


呉の基盤を作り上げた英雄【孫堅】

呉の基盤を作り上げた英雄【孫堅】

有能な武将を率いて一代勢力に築いたのが孫策であり、それを受け継いで皇帝にまで登りつめたのが弟の孫権でした。しかし、彼らには偉大な父の孫堅が築き上げた基盤があり、当時の権力者・董卓に立ち向かっていました。そんな呉の基盤を作り上げた孫堅の戦歴をみていきましょう。


五虎大将軍の一人 馬超(孟起)の迷走と劉備軍への帰順

五虎大将軍の一人 馬超(孟起)の迷走と劉備軍への帰順

渭水の戦いにおいて離間の計に敗れた西涼軍。韓遂(文約)は曹操(孟徳)に降伏。馬超(孟起)は逃走します。流浪の立場となった馬超(孟起)は漢中の張魯(公祺)を頼りますが、張魯(公祺)は食客として迎えるものの、積極的に召し抱える訳でもなく、いいように彼を使い始め劉備軍と戦わせます。


知略NO.1は俺だ!諸葛亮(孔明)に待ったをかける天才たち

知略NO.1は俺だ!諸葛亮(孔明)に待ったをかける天才たち

三国志で知略NO.1と言ったらやはり諸葛亮(孔明)を推す声が多いです。しかし他にも知略に長ける軍師は多数存在します。ここではそんな諸葛亮(孔明)を推す声に待ったをかける軍師について紹介したいと思います。


三国志・呉の武将の中で最も多くの一騎打ちを演じたのは甘寧だった

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呉の武将の中で猛将と呼ばれる「甘寧」ですが、三国志演義で確認してみても、確かに素晴らしい武功をあげています。甘寧の一騎打ちの成果を見ていきましょう。


史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】④

史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】④

呂蒙の最大の見せ場となるのが、荊州攻略で関羽を撃破したことです。どの諸将でも成し遂げられなかった関羽を処罰することができたのも、呂蒙の軍略が冴えていたことに違いありません。呂蒙の荊州奪回を見ていきましょう。


三国志・蜀の猛将・魏延の一騎打ちの勝率の低さに驚き!

三国志・蜀の猛将・魏延の一騎打ちの勝率の低さに驚き!

蜀を代表する猛将「魏延」。劉備(玄徳)からも、諸葛亮(孔明)からも認められた武勇を誇りましたが、意外にも三国志演義での一騎打ちの勝率はかなり低いのです。


後漢王朝を揺るがした15万人の宦官と官吏

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漢室(後漢王家)は後継者に恵まれず、時代を経ると傀儡化されて実権を外戚と宦官に握られるようになります。後漢末期には外戚、宦官以外の官吏にも渡り、もはやその威容は名ばかりのものに。本記事では後漢王朝を荒廃させた宦官と官吏について解説します。


三国志で過小評価されている武将・君主5選を紹介!

三国志で過小評価されている武将・君主5選を紹介!

三国志の世界では、多くの登場人物がいます。当然、評価されている人物がいれば、まったく評価されていない人物もいます。そこで今回は、「過小評価されているのでは!?」と思える武将・君主にスポットを当てて紹介していきたいと思います。


三国志・徐庶はなぜ強烈なインパクトを放ちながら、一瞬で退場していったのか

三国志・徐庶はなぜ強烈なインパクトを放ちながら、一瞬で退場していったのか

劉備(玄徳)に諸葛亮(孔明)を推薦して陣営を去っていった徐庶。一瞬の登場でしたが、そのインパクトはまさに衝撃的でした。なぜ徐庶はここまで強烈なインパクトを放ちながら、すぐに消えてしまったのでしょうか。


三国志一番の悲劇の皇帝【献帝】波乱の人生とは~後編~

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後漢王朝の最期の皇帝となった献帝は、戦乱の洛陽を逃れ、曹操を頼るようになります。聡明な曹操は一見救世主のように映りますが、側近らが心配していたように権力を握ってしまいます。曹操の庇護下に置かれてからの献帝の行く末をみていきましょう。