三国志 人物・武将
三国志 の登場人物を紹介。三国 時代 人物 相関 図三国擁立へ! 【劉備(玄徳)】の軌跡④「益州攻防戦~定軍山~荊州の悲劇」
劉備(玄徳)は益州に入ると、快進撃を繰り広げて乗っ取りを始めます。諸葛亮の天下三分の計を成し得ますが、益州の外には呉や魏が強大なライバルとして立ちはだかります。ここでは益州攻防戦や曹操軍に快勝した定軍山の戦い、それにともなって起こった荊州の悲劇をみていきましょう。
天下三分の計実現へ! 【劉備(玄徳)】の軌跡③「長坂の戦い~入蜀へ」
劉備(玄徳)は諸葛亮を得たものの、劉表の死によって、曹操の大軍から追われることになっていきます。天下三分の計実現へ向けて、益州入りを目指さなくてはなりませんが、まずは曹操との対決が迫っていきました。ここでは曹操と対決し、孫権との同盟や入蜀までを見てきましょう。
三国志・黒山賊の頭目「飛燕」こと張燕は「飛将」に敗れて失墜し、誰に降ったのか
三国志の群雄の中では異色の「元盗賊」という「張燕」とはどのような人物だったのか、そして最終的に誰に降ったのかをお伝えしていきます。
三国志の説明をする上で字というのは避けては通れないものです。しかし、三国志の歴史でしか出てこないこの字は一体どんな意味を持っているのでしょうか。
三国志で位の高い者の養子になるというのはよく見られることがあります。しかしこれがあまりにもあっけないケースばかりです。「えっこんなので養子になれちゃうの?」というエピソードばかりです。現代との違いをまざまざと見せつけられることでしょう。
諸葛亮と言えば蜀における重要人物です。三国志の登場人物の中でも高い人気を誇っています。そんな諸葛亮ですが、“天才軍師”と評する人から、“無能”だったとの説を唱える人までいるのです。そこで今回は、諸葛亮は有能・無能どっちだったのか紹介していきたいと思います。
三国志時代にタイムスリップ!当時はどんな生活を送っていたのか!
三国志の歴史を知りたい初心者にも分かりやすい三国志時代の生活を紹介します。有名な武将たちがどのような生活を送っていたのかなどを知るのに参考になるかとおもいます。
三国志・「虎痴」と畏怖され、常に死と隣り合わせにあった曹操を守り抜いた猛将・許褚
絶えず命を狙われ続けた曹操を最後まで守り続けた魏の猛将・許褚は、どのように描かれているのでしょうか。許褚の謎にも迫ります。
三国志と言ったらやはり合戦がメインになってきます。この武将はどんな成果を上げた、あの軍師はどんな策で相手を葬ったということに目が行きがちです。しかしここでは彼らのサイドストーリーに着目してみました。知らなくても困りませんが、知っていたらより三国志を楽しめるかもしれません。
「才能がないわけじゃない、本気を出していないだけだ」という言葉とともに「明日から本気出す」というネット上の若者。でも、三国時代にもそんな人がいました。蜀の軍師中郎将・龐統(士元)です。
三国志演義では、劉備(玄徳)の配下に「元黄巾」という肩書を持つ者が複数います。なぜそのような設定になっているのでしょうか?
日本では老害などと言われて疎まれがちのおじいさん。でも、三国時代にはとんでもない能力を持ったおじいさんたちが大活躍しています。中でも左慈、華陀、于吉といった人たちは、異能の力で人々を驚かせたそうなのです。
三国志・董卓のような暴君か、劉禅のような暗君か、呉のラストエンペラー孫皓の器量
呉の最後の皇帝である「孫皓」。残虐な皇帝として有名ですが、はたしてどのような器量だったのでしょうか。
三国志きっての天才・蜀の軍師である諸葛亮(孔明)を育んだのは襄陽の隆中でした。そこは英傑がこぞって在野で知を競い合う土地だったのです。どんな人物たちが切磋琢磨していたのでしょうか。
三国志演義では関羽(雲長)の愛刀の青龍偃月刀や張飛(翼徳)の蛇矛(じゃぼう)など、人々を魅了する武器が登場します。そこまで有名ではないものの、諸葛亮(孔明)が発明した当時は画期的な新兵器だった幻の連弩を紹介します。
魏・呉・蜀と多くの国々が戦った三国時代ですが、この時代ではなんと約7割の民衆が命をおとしたというとても悲しい現実があります。今回はあえて三国武将にスポットをあてずに三国時代を生きた民衆の文化について考察していこうと思います。
関羽(雲長)は桃園の誓い にて劉備(玄徳)らと義兄弟の契りを交わして以降、青龍偃月刀を愛刀としました。軍神と言われるほどの関羽(雲長)の活躍は関羽(雲長)個人の実力だけでなく、青龍偃月刀という武器が優れていたからと言っても過言ではありません。
本当の三国志の世界はろくなリーダーがいなかったという驚愕の事実
三国志の世界には当然リーダー格となる人物がたくさん登場しますが、英雄と呼ばれている人物でも史実をたどればとんでもないミスをやらかしてしまうなどしています。今回は、そんな三国志の本当の世界を辿り、どんなミスがあったかなどを追及していこうと思います。
三国志には関羽の青龍偃月刀や呂布の 方天画戟 など数多くの武器が出てきます。それらは後の世の物語などにも多くの影響を与えています。また、日本でも横浜の関帝廟などでは、青龍偃月刀をもっている関羽の像があります。これらの武器は実在していたのでしょうか?また、どのように生まれてきたのでしょうか?
蜀の名君劉備(玄徳)が民や将から慕われていた理由を考察してみた
三国志といえば蜀!名君といえば劉備(玄徳)と多くの人が認識しているわけですが、これは三国志演義という小説が蜀や劉備をあたかも主人公視点のように書いているからでもあります。とはいえ劉備(玄徳)の人気はありますし、脚色であったとしても慕われる理由は知りたいので今回はその理由について考察してみることにしました。