三国志の独眼竜!?魏の夏候惇とはどんな武将だったの?

三国志の独眼竜!?魏の夏候惇とはどんな武将だったの?

日本で独眼竜と言えば伊達政宗です。そして、三国志なら夏候惇が隻眼のイメージが強く、独眼竜と言えるでしょう。実は夏候惇は伊達政宗と同じぐらい魅力的な武将です。そこで今回は、魏の武将・夏候惇について解説していきましょう。


1.夏候惇ってどんな武将

1.夏候惇ってどんな武将

1.夏候惇ってどんな武将

夏候惇と曹操の関係

夏候惇と曹操の関係

夏候惇と曹操の関係

魏の武将として有名な夏候惇は、曹操からの信頼が最も厚かったとされている人物です。なぜ夏候惇が曹操からの信頼が厚かったのかというと、実は、夏候惇と曹操は従兄弟にあたるのです。「正史三国志」でも、2人の父親が兄弟であることが記されており、夏候惇と曹操が従兄弟であることがわかります。そして夏候惇は、曹操が挙兵したときから副将として従っています。曹操にとって夏候惇は、親族関係にあり、しかも最古参の部下であることから、強い信頼関係があるのですまた、曹操は夏候惇に対し、車への同乗や寝室への出入りを許しており、これほど厚遇された人物はいないと言われています。それだけ、曹操は夏候惇を信頼していたのです。いずれにしても、夏候惇と曹操は従兄弟であり、長年の付き合いから信頼関係を築いていったのです。

夏候惇の略歴

夏候惇の略歴

夏候惇の略歴

夏候惇は、14歳のときに男性を殺しています。学問の師匠を侮辱され、その侮辱した男を殺しているのです。このことから、夏候惇は非常に気性が荒いことがよくわかります。その後、曹操が挙兵したときには、副将として従っています。そして、190年に曹操が奮武将軍を称したときには司馬を任されています。ちなみに、司馬とは軍内の規律を監督するのが仕事です。

198年には洛陽の長官である河南尹も転任しており、204年に鄴が平定されると伏波将軍に昇任しています。子の際には、河南尹の職も引き続き任されており、法令に拘束されず自己判断で職務を遂行することが許されたのです。このことからも、曹操からの信頼の厚さがよくわかります。

217年になると揚州方面全二十六軍の総司令官に任命され、2018年になると前将軍に任命されています。曹操が亡くなり曹丕が魏王となると、大将軍に任命されました。ちなみに、大将軍とは軍務・軍政の最高職です。

夏候惇の最期

夏候惇の最期

夏候惇の最期

220年3月に大将軍に任命された夏候惇ですが、わずか1カ月後の4月に病に倒れ亡くなっています。曹操が亡くなってからは、4カ月後のことです。ちなみに、創作として知られている「三国志演義」では、曹操の危篤の際に枕元へ呼ばれ、そこでかつて曹操が殺害した人物の亡霊を見てしまいます。そして、これにより夏候惇は昏睡し、その後死去するという設定にされているのです。

2.夏候惇はなぜ隻眼なの?

2.夏候惇はなぜ隻眼なの?

2.夏候惇はなぜ隻眼なの?

隻眼になった理由

隻眼になった理由

隻眼になった理由

三国志の独眼竜である夏候惇は、その名の通り片方が隻眼です。そこで疑問に思うのが、なぜ片方の目が隻眼になっているのかだと思います。夏候惇が隻眼になった理由は、戦によって片目を失ってしまったからです。実は、194年までは夏候惇も両目がありました。しかし、同年に呂布が兗州で張邈・陳宮らと反乱を起こすのです。

当然、曹操軍と呂布軍は戦うことになるのですが、夏候惇もこの戦いに参戦します。そして、左目を射貫かれてしまい、夏候惇は隻眼となったのです。ちなみに、左目を失った夏候惇は、夏侯淵と区別するために盲夏候と呼ばれるようになったとのことです。しかし、夏候惇本人はこのあだ名を嫌がり、鏡で自分の顔を見る度に怒り、鏡を投げ捨てたとされています。隻眼の将軍でかっこいいイメージのある夏候惇ですが、本人としては嫌だったのでしょう。

片目を失った際のエピソード

片目を失った際のエピソード

片目を失った際のエピソード

夏候惇が片目を失った際のエピソードは、「三国志演義」で記されています。夏候惇は呂布軍の武将である高順と一騎討ちし、これを打ち破り追撃しようとします。すると、敵将の曹性が矢を放ち左目が射貫かれたとされているのです。このときに夏候惇は、刺さった矢を眼球ごと引き抜いて「親からもらったこの体、棄てることなど出来ようか」と叫び、目を喰らったとされています。そしてその後、曹性が次の矢を番える暇もなく討ち取ったとされているのです。ちなみに、「三国志演義」は創作とされており、このエピソードも創作の可能性が高いです。そして「正史三国志」では、夏候惇は左目に流れ矢が当たったとされており、目を食べたという表現はありません。このことから、片目を失った際のエピソードは創作である可能性が高いのです。

3.実は夏候惇は…

3.実は夏候惇は…

3.実は夏候惇は…

ナンバー2として優秀

ナンバー2として優秀

ナンバー2として優秀

夏候惇は、曹操軍の中でナンバー2の立場です。蜀のナンバー2と言えば関羽であり、呉のナンバー2は周瑜です。この2人に比べると夏候惇は地味な気がします。しかし、実は夏候惇はナンバー2としてとても優秀です。関羽や周瑜よりもナンバー2としての資質は上でしょう。なぜなら、夏候惇の忠誠心は群を抜いており、曹操も抜群に信頼しているからです。組織には必ずナンバー2を置く必要があります。ナンバー2は優秀なら良いわけではありません。裏切られれば大損ですし、君主を超えて権力を握れば大失政となる可能性があります。そのため、組織のナンバー2は忠誠心が重要であり、信頼関係を築けている夏候惇はナンバー2として優秀なのです。

武将よりも政治家?

武将よりも政治家?

武将よりも政治家?

気性が荒くて、片目を失った際のエピソードのイメージが強い夏候惇だけに、武将として評価する人が多いです。しかし、実は夏候惇は政治家としての方が優秀との声があります。夏候惇は、軍政のエキスパートと言っても過言ではありません。曹操も、敵地や戦によって荒廃した土地を夏候惇に任せており、夏候惇は期待通り土地を立て直しています。さらに、戦においては、後方支援をメインに活躍しているのです。戦にとって戦略は重要ですが、それ以上に重要なのが兵站とされています。夏候惇は、戦略面ではなく、その基礎となる兵站面で曹操軍を支えており、軍政のエキスパートと言っても過言ではないのです。

4.まとめ

4.まとめ

4.まとめ

夏候惇は、三国志の独眼竜と言えます。曹操軍と呂布軍の戦のときに左目を失っており、隻眼だったからです。そんな夏候惇ですが、曹操からの信頼は抜群です。曹操とは従兄弟であり、曹操が挙兵したときから従っています。夏候惇は、ナンバー2として優秀であり、武将よりも政治家に近いです。曹操への忠義心からナンバー2向きであり、荒廃した土地の立て直しや兵站面での活躍など、軍政のエキスパートと言っても過言ではありません。いぶし銀の活躍をしている夏候惇だけに、ぜひ注目してみてください。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


夏候惇

関連する投稿


一体どんな人がいるの? 夏候惇を筆頭とした夏候一族

三国志には多くの氏があります。特に権力を有していたり、名門の家柄だったりすると、宗家や分家でも相当数の人物がいます。中でも劉氏や孫氏、曹氏、司馬氏といった皇帝の系列は多く存在しています。そこで、長らく魏に仕えていた武将の夏候氏について、ここでご紹介していきます。


関羽が曹操軍に!?この時代から軍神の人物像を紐解く

劉備(玄徳)軍の大きな支えである関羽。しかし、ある機を境に曹操軍の配下となってしまいます。劉備(玄徳)らはどのような心境だったのでしょうか?演義における曹操軍時代から、関羽の人物像を紐解いてみましょう。


初心者でも早分かり! 三国志人物伝【覇道を担った魏の英雄】(魏①)

三国志で一番強大な力を誇ったのが魏です。曹操を始め、有能な人材が集結し、その基盤を作り上げていきました。ここでは三国志人物伝として、覇道を担った魏の英雄、曹操・夏候惇・曹仁・荀彧を紹介していきます。


最新の投稿


秦 - 西の果てから天下を呑んだ、ある「機構」の物語

中国の歴史を語るとき、ある国の名前を口にしないわけにはいかない。 しかし、その国の物語を聞くとき、私たちはいつも、奇妙な感覚に襲われる。 感動がある。戦慄がある。英雄譚がある。同時に、無数の沈黙がある。 辺境の小国から立ち上がり、五百年の乱世を終わらせ、そして「皇帝」という言葉を、この世に初めて生み出した国。秦。


楚-南の大地に燃えた魂、滅びてもなお死ななかった言葉

長江の水音を聞いたことがあるだろうか。 中原の黄河が、礼と秩序の音色を奏でるなら、長江の水音は 、もっと深く、もっと湿り気を帯び、もっと熱い。 そこに、ある国があった。「蛮」と呼ばれ、礼の外に置かれ、しかし誰よりも大きな大地を抱え、誰よりも深い詩を生み、最後は 、 滅びてもなお、死ななかった国。その国の名を、楚という。


燕 - 北風の果てに夢を見て、易水の歌に消えた国

中原の地図を広げると、その北の端に、ぽつんと一つの国がある。 冬の風が長く、夜が深く、春の訪れが他のどの国よりも遅い土地。中原の華やかな覇者たちの物語からは、いつも少し離れた場所にいた国。 燕。 派手な栄光はない。しかしこの国には、北の風と同じくらい、静かで、深く、そして時に焼けつくほど熱い物語があった。


斉-海の光に育まれ、言葉を信じ、静かに幕を閉じた国

渤海の波が、夜明けの光に銀色に輝く。 塩を運ぶ車が街道を行き交い、商人の声が市場を満たす。 夜になっても消えない、人の気配。 戦国七雄の中で、海を持っていた国は、ただ一つだった。 その国の名を、斉という。


韓 - 最も小さな国が、最も深く考え続けた物語

戦国七雄の地図を広げると、その真ん中に、奇妙な形をした小さな国が、ぽつんと挟まれている。 西に秦。北に趙。東に魏。南に楚。 四方を、強国に、ぐるりと囲まれた国。 戦国七雄の中で、もっとも小さく、もっとも早く滅び、そして ―― もっとも深く考え続けた国。 その国の名を、韓という。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング