一騎打ちは戦の華
■ 一騎打ちは戦の華
一騎打ちは戦の華
三国志の時代の戦場での武力衝突といえば、やはり「一騎打ち」に注目が集まります。武将同士が馬上からぶつかり合い、その武勇を競い合うのです。互いに名乗り合い、息詰まる攻防戦を繰り広げる。まさに戦場の花形といえるでしょう。三国志ではこの一騎打ちにおいて、幾多の名勝負が繰り広げられています。皆さんが三国志の一騎打ちで真っ先に思い出すのはどのシーンでしょうか。皆さんは一騎打ちで一番強い武将は誰だと思いますか?
15名の猛将の面々
■ 15名の猛将の面々
15名の猛将の面々
まずは三国志に登場する武将の中で、猛将としての呼び声の高いメンバーをピックアップしてみます。なにせ腕自慢の男たちがひしめきあっている世界ですからね。たくさんいます。
魏)張遼、許褚、典韋、徐晃
蜀)関羽、張飛、趙雲、馬超
呉)孫策、太史慈、甘寧
他)呂布、華雄、顔良、文醜
以上15名のメンバーに絞ってみました。さて、この中で最強はいったい誰なのでしょうか。まずはこの15名を強さ別に3分割してみたいと思います。上・中・下です。三国志正史と三国志演義の両方を考慮して選んでみました。
下グループ
■ 下グループ
下グループ
もちろん下グループとはいえかなりの手練れであることは確かです。
① 華雄・・・反董卓連合の戦いでは、数々の武将を討ち取っています。間違いなく董卓軍では最強ランクです。しかし三国志演義では関羽にあっさりと首を刎ねられました。三国志正史でも孫堅を攻め、陽人の戦いで討ち取られています。
② 文醜・・・袁紹配下の猛将です。三国志演義では追撃してきた張遼を射落とし、徐晃を退けるという活躍をしています。しかし関羽に押し切られ、逃げるときに背後から斬られるという最期でした。三国志正史では曹操軍の猛攻の前に討ち死にしています。
③ 徐晃・・・曹操の配下で「周亜夫」の風格があると評価された名将です。三国志演義では顔良、文醜に敗北していますが、怪我をしている関羽を一騎打ちで退けています。最期は孟達に射殺されました。三国志正史では顔良、文醜を撃破する活躍を見せ、ほぼ負けなしの戦ぶりです。樊城に関羽が攻め寄せた際には援軍として出陣し、関羽を撃破しました。
④ 顔良・・・袁紹配下の猛将です。三国志演義では呂布から曹操に寝返った魏続と宋憲を討ち、徐晃を退けていますが、関羽に討たれました。関羽に敗れたという記述は三国志正史も同様になっています。
⑤ 甘寧・・・来襲する孫権軍の将・凌操を討っています。その後は孫権に仕え、合肥の戦いでは百人ほどを率いて曹操の陣に決死の夜襲を仕掛けて成功させています。三国志演義では劉備(玄徳)との夷陵の戦い時に、異民族の沙摩柯に射殺されています。三国志正史では戦死したとは記されていません。
中グループ
■ 中グループ
中グループ
① 趙雲・・・三国志ではとても人気のある武将です。三国志演義では数々の敵将を討つ活躍を見せていますが、三国志正史での評価はあまり高くはありません。趙雲といえば、長坂の撤退時には劉禅(阿斗)を抱いて戦場を離脱したことで有名です。また老齢になってからですが、三国志演義では姜維と一騎打ちをして引き分けています。
② 張遼・・・江東では「遼来遼来」といえば泣く子も黙るというほどの武勇で知られる猛将です。合肥の戦いでは敵君主である孫権をあと一歩のところまで追い詰めました。三国志演義では太史慈の夜襲を見抜いて射殺しています。しかし曹丕と共に臨んだ孫権討伐戦では丁奉の矢を受けて亡くなっています。三国志正史では病で亡くなったとあります。
③ 典韋・・・三国志演義では「悪来」に例えられています。三国志正史では呂布の猛攻に一歩も引かず、敵将を撃破しました。一騎打ちでは許褚と互角に戦っています。降伏した張繍が反乱を起こしたときに命をかけて曹操を守り、討ち死にしました。
④ 太史慈・・・孫策の配下の猛将です。一騎打ちでは劉繇の配下であった頃、攻め込んでくる孫策と一騎打ちを繰り広げ引き分けています。三国志正史において一騎打ちが記されていることは珍しく、こちらは三国志演義と同様な内容です。三国志演義では張遼に夜襲を見抜かれて射殺されています。
⑤ 馬超・・・「錦馬超」の異名を持ち、許褚や張飛と互角に渡り合ったと三国志演義には記されています。しかし三国志正史では、会見の際に許褚の存在があり曹操を襲えなかったともあります。三国志演義だけで考えると間違いなく最強ランクの武将です。
上グループ
■ 上グループ
上グループ
① 関羽・・・「美髯公」とも呼ばれ、その武勇と忠義から後世では神格化しています。数々の武将を撃破してきました。顔良を斬り、于禁や龐徳も撃破しています。三国志演義では猛将・華雄をあっという間に斬り伏せて周囲を驚かせました。長沙を攻めた際に黄忠と一騎打ちを繰り広げており、馬が挫いたことで隙ができた黄忠を見逃しています。
② 孫策・・・「小覇王」と呼ばれる名将です。総大将でありながら先頭に立って兵を鼓舞し、強力な進撃を続けています。敵将の太史慈と一騎打ちで引き分けながらも旗下に組み込む懐の深さも孫策の魅力です。
③ 許褚・・・「虎痴」の異名を持ちます。三国志演義では典韋と引き分け、馬超と引き分けています。常に命がけで曹操を警護しました。ただし、酒に酔ったところを張飛に敗北したという記載も三国志演義にはあります。
④ 張飛・・・関羽が自分より強いと曹操に紹介したほどの武勇の持ち主です。長坂の撤退時には殿を任せられ、大喝によって曹操軍の追撃をひるませました。曹豹や紀霊など名だたる武将を討ち取っています。
⑤ 呂布・・・「飛将」の異名を持つ三国志最強の将です。三国志演義では劉備(玄徳)、関羽、張飛の三人を一度に相手しています。「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と伝わっており、三国志正史でもその武勇は高く評価されています。
アンケートによる 戦国武将 一騎打ち 最強 ランキング
■ アンケートによる 戦国武将 一騎打ち 最強 ランキング
アンケートによる 戦国武将 一騎打ち 最強 ランキング
少数の意見ではありますが、アンケートの結果での「一騎打ちで最強とされる武将たちのランキング」をまとめてみました。やはり呂布!
呂布(りょふ)
呂布は、その卓越した武勇と戦場での無敵ぶりから、「人中の呂布、馬中の赤兎」と称されました。彼の一騎打ちの強さは他の追随を許さず、多くの敵将を打ち倒しました。その力強さと恐ろしさは、他の武将たちにとっても伝説的な存在でした。
関羽(かんう)
関羽は、義と信義を重んじる人物で、その武勇も並外れていました。特に「五関突破六将斬り」の逸話は有名で、彼の一騎打ちの強さを証明しています。青龍偃月刀を巧みに使い、多くの敵を打ち倒しました。
張飛(ちょうひ)
張飛は、関羽と共に劉備の三兄弟として知られ、その豪勇は広く知られていました。長坂橋での単騎での敵軍を威嚇した逸話は有名で、彼の恐ろしい戦闘能力を示しています。
趙雲(ちょううん)
趙雲は、劉備に仕えた忠義の武将で、その武勇と冷静さから多くの戦場で活躍しました。特に長坂坡の戦いでは、単騎で劉備の息子を救出し、多くの敵を打ち倒したエピソードが有名です。
馬超(ばちょう)
馬超は、その優れた騎兵術と豪勇で知られ、彼の一騎打ちの強さは多くの敵を圧倒しました。馬上での戦闘において無類の強さを誇り、その勇猛さは他の武将にも恐れられていました。
典韋(てんい)
典韋は、曹操に仕えた猛将で、その巨大な体格と怪力で知られました。彼は多くの戦場で曹操を護り、一騎打ちにおいても非常に強力な戦士でした。
許褚(きょちょ)
許褚もまた曹操に仕えた猛将で、その豪勇と怪力で多くの敵を打ち倒しました。彼の一騎打ちの強さは他の武将たちにも恐れられていました。
黄忠(こうちゅう)
黄忠は、老いてもなおその武勇を誇り、特に定軍山の戦いでの活躍が有名です。老練な技術と勇気で、多くの敵を打ち倒しました。
孫策(そんさく)
孫策は、若くして江東を平定した猛将で、その卓越した戦闘能力で多くの敵を圧倒しました。彼の大胆さと武勇は、一騎打ちにおいても非常に強力でした。
甘寧(かんねい)
甘寧は、孫権に仕えた猛将で、その勇猛さと戦術的な才能で知られました。彼の一騎打ちの強さは他の武将たちにも認められていました。
これらの武将たちは、それぞれ異なる戦術や武器を駆使し、戦場での一騎打ちにおいても無類の強さを発揮しました。彼らの活躍は、三国志演義や正史の中でも色褪せることのないものです。
まとめ・最強武将は・・・
■ まとめ・最強武将は・・・
まとめ・最強武将は・・・
三国志演義で考えると間違いなく呂布がチャンピオンですね。関羽・張飛の二人を相手に戦える武将など他にいないでしょう。あまりにも別格すぎます。しかし三国志正史ではほとんど一騎打ちが描かれていないため、判断が難しいですね。それにしてもここまで強い関羽と張飛を義兄弟に迎えた劉備(玄徳)もまた凄い男だったのかもしれません。