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三国志において、関羽・張飛・趙雲、魏の張遼・徐晃・張郃に比べ、どうしても有名な武将が中々上がってこない呉の国。正史では有能な将であった周瑜・魯粛・諸葛瑾・陸遜辺りが、演義では参謀のように書かれている。ですが、演義でも正史でも有能な武将として書かれている人物がいます。それが甘寧です。彼はどんな人物であったのでしょうか?
昔の中国でおこった出来事を元にしたことわざである「故事成語」。今でも多く使われています。これらの中には三国志中の出来事が元になったものもたくさんあります。それらを紹介していきます。
魏・呉・蜀漢が100年近くも争い続けた三国志も、蜀漢が滅び、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみ。最後は呉が武帝(司馬炎)率いる晋に滅ぼされ、中国が統一されて終わります。これは正史でも演義でも同じです。最後の舞台となった晋と呉の決戦はどのように繰り広げられていったのでしょう!?
三国志の序盤において、中原では曹操・袁術・呂布・劉備(玄徳)・劉表らによって勢力争いが行われていました。その一方で、黄河の北側・河北では、袁紹と公孫瓚が覇権を争っていました。袁紹VS公孫瓚、彼らの争いとはどういうものであったのでしょうか?
三国志演義(正式名称:三国演義)は三国志正史を元に書かれた小説です。当然両者には差があります。蜀漢を正当とする演義では大活躍しても、魏を正当な王朝とする正史では、あまり目立たない人物も数多くいます。 どんな人物が当てはまるでしょうか?
三国志の登場人物では、曹一族、夏侯一族の他、諸葛一族、司馬一族、馬一族など、元々高い地位にあって、そのまま活躍した人物がたくさんいます。ですが、劉備(玄徳)・関羽・張飛のようにどこの馬の骨からか出世した人物も多くいます。 それらの人物の内、「えっ?この人が」という人物を挙げてみます。
孫策・孫権の江東軍において軍事の頭脳は周瑜・魯粛・諸葛瑾など数多く挙げられますが、内政の頭脳といえる人物は張昭・張紘の二名が真っ先に挙げられるでしょう。江東の二張と呼ばれるこの二人、どういう人物だったのでしょうか
三国志を読んでいて一番盛り上がるのは一騎打ちのシーンだという人は多いと思います。関羽と黄忠・張飛と馬超・許褚と典韋・etc。どれも演義で読むとワクワクするシーンですが、その殆どは演義での創作です。日本でも、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちなどが有名ですが、殆どが創作です。合戦者の著者も読者が楽しめる内容を求めて書いたのでしょう。ですが、わずかながらも正史に記載されている一騎打ちもあります。果たして、どのような一騎打ちがあったのでしょう。
三国志演義では裏切り者という印象の強い、呂布・魏延・蔡瑁。彼らは本当に恩知らずの裏切り者だったのでしょうか?それともそう描かれているだけなのでしょうか?もし、そうなら理由はあるのでしょうか?
演義ファンの方は「魏の国の名将は?」と聞かれたら、真っ先に答えるのは張遼でしょう。続いて徐晃、そして張郃と言ったところでしょうか。実際、この三人と楽進・于禁を合わせた五人が一つの列伝にまとめられており、魏の五虎大将軍と言っていい存在です。その中でも、もっとも後の時代まで活躍したのが張郃です。
演義で呂布と並ぶ裏切り者の代名詞である魏延。演義での主役とも言うべき諸葛亮に逆らったため、裏切り者という印象が強い彼ですが、対南蛮や北伐では蜀漢の中心の将軍として働いた名将でもあります。本当の魏延はどのような人物なのでしょうか?
諸葛亮率いる蜀漢の侵攻を防いだ司馬懿。演義ですと、諸葛亮死後のことは大分端折られてしまうので司馬懿がどのようなことをしたかはあまり書かれていません。ですが、正史ではもちろん記載されていますし、歴史学的には非常に重要な部分です。司馬懿の後半の人生はどのようなものだったのでしょうか?
三国志を題材にしたゲームや小説・漫画で多いのは劉備(玄徳)あるいは諸葛亮を主人公とした作品です。やはり蜀漢を正当な王朝として考えるのが架空の話の中では流行りなのでしょう。その場合、ラスボスに当たるのは誰でしょうか?董卓や曹操が悪役でそれになることもありますが、圧倒的に多いのは司馬懿です。何故、彼はそのようなポジションになるのでしょうか?
歴史は延々と続くものですから、正史三国志の時代のスタートはいつなの?と明確に示すことはできません。ですが、物語である三国志演義では明確なスタート地点があります。黄巾の乱です。黄巾の乱は歴史の授業にも出てくる、学問的にも大きな事件でです。壮大なる三国志の幕開け、黄巾の乱。一体どのような事件だったのでしょうか?
三国志演義、序盤から数々の見せ場があります。その中で印象深いものの一つが曹操による徐州での大虐殺でしょう。父親を殺された曹操が復讐のために徐州に攻め入り、劉備がわずかの援軍を率いてやってくる。二人の対称的な姿が映し出されます。その後、呂布や袁術が絡んできて、複雑な人間模様が描かれます。では、正史の徐州での攻防はどのようなものだったのでしょうか?
中国統一を果たせなかったとは言え、曹操の魏国は中国の七割を支配しました。その途中で最大の敵となったのは北方の名門袁紹一族でした。曹操と袁紹の一大決戦「官渡の戦い」。狭義では官渡の地での決戦のみを示しますが、広義では曹操と袁紹の戦い一連を表します。ここでは広義の「官渡の戦い」を見ていきます。
三国志の中で最大の合戦と言われる「赤壁の戦い」。演義では諸葛亮の圧倒的な才覚の前に周瑜や魯粛もタジタジで曹操がコテンパンにやられます。ですが、東南の風を人為的に起こしたり関羽が曹操を見逃すのを見越したりと流石に現実的にはちょっと・・・というシーンも多々あります。正史の赤壁の戦いは一体どうだったのでしょうか?
いつの時代にもイケメンがいればブサイクもいます。三国志演義では孫策・周瑜・趙雲・呂布・馬超辺りがイケメンな描写をされています。一方、身なりが冴えなかった(ブサイク)として書かれる武将もいます。彼らは本当にイケメン、あるいはブサイクだったのでしょうか?
三国志の物語では数多くの戦がありました。となれば、当然捕まったり、敵兵に囲まれた武将もたくさんいます。人間は絶体絶命の局面でこそ本音が出るといいます。三国志の英雄たちはどのような本音を出したのでしょうか?
劉璋が治めていた頃から益州の名臣と言われていた「法正」と「黄権」。彼らはやがて劉備(玄徳)に仕え、その才能をフルに発揮します。演義では語られることの少ない二人ですが、どのような功績を残したのかを記載していきます