三国志・職業軍人VS文官官僚 なぜ張飛は劉巴にシカトされてしまったのか

三国志・職業軍人VS文官官僚 なぜ張飛は劉巴にシカトされてしまったのか

武人と文人、三国志には大きく分けてこの2種類の人たちが活躍します。しかし重んじられたは文人の方だったようです。特に印象的なエピソードを交えてお伝えしていきます。


三国志といえば武将が注目される

三国志演義を読んでワクワクする要素として、個性豊かな武将たちが戦場で激しくぶつかり合うシーンがあげられます。時には武将同士が一騎打ちを演じ、時には智謀を駆使して一発逆転する。それが三国志を盛り上げ、現代まで語り継がれた要因でしょう。

現代でも三国志の小説・漫画・ゲームアプリなど、いろいろな場面で三国志は注目を集めていますが、活躍するのは、猛将や名軍師といった類で、内政に従事した文官官僚にスポットが当たることはほとんどありません。

例えば、三国志でトップクラスに位置する武勇を誇る張飛、そして蜀の名士として有名な劉巴、みなさんでしたらどちらに魅力を感じるでしょうか?
シュミレーションゲームなどで君主の立場にあったら、どちらの人材を積極的に招きますか?

もちろん張飛ですよね。張飛の武勇は、蜀漢建国に大きな貢献をしており、他国にとっては大きな脅威なのです。

武は軽んじられる中国の文化

しかし、実情は違いました。中国は、その昔から「武」よりも「文」を重んじてきた文化を継続しています。武一辺倒の武将は軽んじられ、職業軍人の地位は、文官官僚の地位よりもずっと低いものでした。

三国志正史を著した陳寿は、張飛に匹敵する武勇の持ち主である関羽についてこう述べています。
「部下を可愛がったが、目上の者には傲慢だった」、「剛情で自尊心が強すぎたため、身の破滅を招いた」
恐らくこの目上の者とは、名士を筆頭にした文官官僚のことを指しているのではないでしょうか。職業軍人が軽んじられることに対する抗議の意味も含まれていたのかもしれません。

ちなみに蜀の諸葛亮や、呉の周瑜は、戦場で指揮を執りましたが、文人出身の武将です。職業軍人の関羽や張飛とは一線を画しています。

名士ならびに文官官僚のプライド

文官官僚のプライドがどれほど高く、職業軍人がどれほど侮られていたのかについて、興味深いエピソードがあります。蜀の張飛と劉巴のお話です。

劉巴の父は江夏太守を務め、孫堅とも結び、南陽を奪ったことがありましたが、恨みを買って殺されています。
劉巴は、その後、劉表を嫌がって出仕を断りましたが、曹操には仕えました。しかし、劉備が荊州の一部を制圧すると、劉備に仕えることを拒否し、交州に逃れます。そこでは意見が対立して、益州の劉璋に仕えています。
自分の意思を貫く、なかなか典型的な頑固な名士です。

劉備が益州を制圧すると、ここは素直に謝罪し、劉備に仕えました。以降は重く用いられ、尚書令にまで昇進しています。
知識人を尊敬していた張飛は、劉巴を訪ね、交流を持とうとしましたが、劉巴は張飛にひとことも言葉をかけずシカト、張飛は憤慨したといいます。

それを聞いた諸葛亮がフォローしようとしましたが、劉巴は「英雄と交わるが、軍人とは語らない。どうして兵子などと共に語れようか」と断りました。兵子とは、兵隊ふぜいという侮蔑の意味が込められています。

教養は人をつくる

要するに教養のない人とは、何を語っても時間の無駄であるということでしょう。名士を筆頭とした文官官僚と職業軍人の間には、大きな垣根が存在したのです。

ですから文官官僚に負けない教養をつけるべく学問に励んだ武将も数多くいます。
「呉下の阿蒙」はその代表格でしょう。
もともと呂蒙はまさに職業軍人という感じでした、しかし主君である孫権に学問の重要性を説かれて、必死に「孫子」「六韜」「春秋左氏伝」「国語」「漢書」「史記」などの歴史書を読み漁りました。

学問が身に付いてきた呂蒙に対し、上司である魯粛は驚き、「学識英博にして、呉下の阿蒙にあらず」と茶化して褒め称えましたが、呂蒙は得意げに「士は別れて三日にして、すなわち更に刮目して相待つ」と答えたといいます。
三日で進歩したというのは誇張が過ぎますが、それほど呂蒙の吸収力は素晴らしかったということでしょう。呂蒙のガッツにも魯粛は感心したのではないでしょうか。

一説には、ライバル視している蜀の関羽が「春秋左氏伝」を愛読しているのを聞いて、その対抗心から、呂蒙は学問に励んだとも言われています。
結果として呂蒙はその総合力を孫権からも認められ、周瑜・魯粛の後継者として総司令官に抜擢されることになるのです。

孫権も名士を重んじた

呉の孫権もまた名士をはじめとする文官官僚を重んじています。
そもそも文武両道でなければ軍部の指揮官には任じません。諸葛瑾が大将軍に任命されたのもその辺りに理由がありそうです。

ちなみに孫権は、張飛と劉巴の経緯を聞いて、「劉巴が劉備の機嫌をとるために張飛などと話すようでは名士とはいえないだろう」と述べています。

こういった張飛の評価が、劉備が漢中王に即位した際に、重要拠点である漢中太守に張飛が選ばれなかった理由なのかもしれませんね。

劉巴の対応に激怒した張飛は、そのまま劉巴を殴り殺しかねないのではと思ってしまうのですが、部下に対しては哀れみをかけない性格だった反面、身分の高い人を敬愛したといいます。
劉巴の侮辱的な態度に対しても、張飛は憤慨しただけで、特に暴力に訴えるようなことはしていないのです。
どうも私たちがイメージする人間関係や価値観とは異なる世界が、三国志の背景には存在するようです。

まとめ 新しいチャレンジ

いつの時代にも、自分の得意分野や、安心して活躍できるテリトリーにいることに甘んじず、新しい挑戦をして自分を成長させようとする者はいるものです。
これは成功者の必要な条件なのかもしれません。
未知の世界へのチャレンジは、当然のように戸惑いやストレス、失敗などのリスクもありますが、確実にその人の視野を広げ、新しい価値観に気づかさせてくれます。
ひと回り大きく成長することができるのです。
そしてその成功体験が、更に自分を成長させていく言動に繋がっていきます。

張飛と呂蒙の違いについては、まさに現代のビジネスシーンで「成果をあげること」や、「能力を開発すること」の良い参考材料になるのかもしれません。このような視点をもたらしてくれるのも三国志の面白いところです。

ただ、教養溢れる張飛は、なんだか魅力半減なんですけどね。

関連する投稿


三国志演義の見どころ 壮絶な一騎討ちの名場面

三国志演義の見どころ 壮絶な一騎討ちの名場面

三国志演義の見どころは武将たちの駆け引きもあります。戦場での一騎討ちや智謀の計略など、胸躍る場面が多く演出されています。漫画やゲーム、小説などでも人気の三国志演義において、一騎討ちはいくつも登場しますが、有名な戦いを時代背景とともにみていきましょう。


漢中開戦!張郃(儁乂)、張飛(翼徳)に完敗

漢中開戦!張郃(儁乂)、張飛(翼徳)に完敗

218年、三国志の永遠のライバルたる曹操(孟徳)と劉備(玄徳)の勢力が激突します。それまで、常に強大勢力の曹操(孟徳)が矮小な劉備(玄徳)を「追う」構図でしたが、荊州・益州を支配し一大勢力となった劉備(玄徳)が曹操(孟徳)の勢力を次々と打ち破って行く展開となって行きます。最初の攻防は蜀の張飛(翼徳)と魏の張郃(儁乂)。戦いの経過を見て行きます。


裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

関ヶ原の戦いでは豊臣軍の一部が裏切ったことにより徳川軍の勝利を決定づけたといっても過言ではありませんでした。裏切りというと卑怯というイメージが付き物かもしれませんが、三国志の時代にも数多くの裏切りが存在しました。ここではそんな三国志を多く揺るがすような裏切りについて紹介していきたいと思います。


三国志・動物に例えられる英雄たちの中で、呉の大物・諸葛瑾は何に例えられたのか

三国志・動物に例えられる英雄たちの中で、呉の大物・諸葛瑾は何に例えられたのか

虎や龍、鳳凰や狼などに例えられる三国志の英雄たちの中で、呉の大将軍である「諸葛瑾」もまた、特殊な動物に例えられました。はたして諸葛瑾は何の動物に例えられたのでしょうか?


三国志の登場人物を超端的に紹介するとこうなった

三国志の登場人物を超端的に紹介するとこうなった

三国志の主な登場人物をどこよりも端的に紹介してみました。個人的見解もありますが、大それたことにはなっていないと思う為「これから三国志を学んでみたい」「三国志のゲームをする上でこの武将はどんな人物か知りたい」と思う人は是非読んでみてください。ここからさらに深く知るきっかけになれば幸いです。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。