諸葛亮(孔明)が南蛮に攻め込んだ理由と成果について

諸葛亮(孔明)が南蛮に攻め込んだ理由と成果について

いくつもの国がしのぎを削り、三国に絞られた状態でも諸葛亮(孔明)は誰よりも南蛮の勢力を注視していました。魏に攻め込む際に南に憂いがあっては攻めこめない。そういう想いがあったのです。しかしそれだけではなく、何とかして南蛮の勢力を自分たちの力に変えられないかとも思っていました。ここでは蜀と南蛮のかかわりについて紹介しま


諸葛亮(孔明)が伝説となった話

諸葛亮(孔明)には赤壁の戦いや北伐などいくつもの伝説がありますが、最も「それは諸葛亮(孔明)にしかできない」というエピソードが南蛮征伐時の七擒七縦(しちじゅうしちきんと読みます)ではないでしょうか。七擒七縦とは、「7度捕らえられて、7度釈放されること」を意味しますが、諸葛亮(孔明)はなんと敵である孟獲相手にそれをやってのけたのです。
いくら自信があり、「何度やっても勝てる相手だ」と思っても常識的に考えてリスクが大きすぎます。しかしそれをいとも簡単にやってしまったため、最初は諸葛亮(孔明)に敵意むき出しの南蛮の王、孟獲も屈服せざるを得ません。
これにより孟獲は完全服従し、南からの憂いがなくなったばかりでなく、自分たちの戦力としても計算できるようになったのです。
並みの軍師なら捕らえて処刑するところでしたが、三国を統一するには彼らの力も必要と考えていたのでしょう。つくづく先を見据える諸葛亮(孔明)が伝説となったのはまさにここではないでしょうか。

泣いて馬謖を斬るの「馬謖(幼常)」は実はすごかった

三国志をあまり知らない人でも「泣いて馬謖を斬る」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。これは諸葛亮(孔明)が寵愛していた弟子馬謖(幼常)を斬る際のエピソードです。(ちなみにこの涙の理由は諸説がいくつかあり、単純に軍閥により馬謖(幼常)を斬らなければいけない悲しさ故の涙という説があったり、劉備(玄徳)が「馬謖(幼常)はつまらない男だから入れ込む必要がない」と言われていたにもかかわらず自分は寵愛していて最後裏切られ、自分の見る目のなさを悲しんだという説もあったりします)
ここまで聞くと「馬謖(幼常)は大したことないのではないか」と思うかもしれませんが、実は諸葛亮(孔明)の考え方に最も近かった軍師の一人だといえます。
南蛮征伐の時も「ただ攻めて敵(孟獲)を倒してもまた反乱を起こすだけです。彼らの心を屈服させる必要があります」と説いたのです。
諸葛亮(孔明)と全く同じ考えだったため諸葛亮(孔明)は馬謖を寵愛したのです。
これは私の意見ですが、天才故自身の考えていることを全く理解されないことが多い諸葛亮(孔明)にとって自分と同じ次元で物を見ることができた馬謖の存在が嬉しく、寵愛したのではないかと思っています。

孟獲、孟優の弱点

見方を変え、今度は諸葛亮(孔明)に7度捕らえられた南蛮の王「孟獲」とその弟の孟優について紹介したいと思います。想像すると分かるようにいくら諸葛亮(孔明)相手であっても7度たやすく捕らえられるということから見てもあまり知恵はないのではないかということがうかがわれます。
実際力はあったが戦術が悪すぎたという評価を下す学者もいます。弟の孟優の方が若干頭を使い、他国に援軍を求めたり、降伏すると見せかけたりなど策を使っていましたが、魏や呉の相手と比べると全然と相手にならない言ったところでしょう。
それゆえ仲間になってもさほど大きい戦果を挙げることなく終わっています。個人的には南蛮と戦い、後に蜀の戦力となったものの戦わないで南方をけん制するぐらいがベストではなかったのだろうかと思っています。

沙摩柯の功績

しかし南蛮の将の一人である沙摩柯は甘寧(興覇)を破るという功績を収めています。呉にとって武に秀でた将軍である甘寧(興覇)を打たれたのは大打撃でした。(総大将である孫権(仲謀)は甘寧(興覇)を寵愛していたからひどく悲しみました)将棋に例えていうと桂馬で角を取ったという位衝撃的なことだったでしょう。
その後沙摩柯は陸遜(伯言)に討たれてしまいますが、諸葛亮(孔明)としてみたら甘寧(興覇)を討った時点で十分おつりがくるといったところでしょう。
南蛮人の挙げた功績はそこまで大きなものはありませんが、これは「南蛮人強い!南蛮人凄い」と思わせた出来事に違いありません。
孟獲、孟優あたりが、敵将を討てば南蛮征伐は結果的に成功とみてよかったかもしれません。

南蛮征伐によるメリットは

結局南蛮征伐は大きな利益を生んだか?という見方に関して私は「ノー」だと思っています。南蛮を制圧したことにより南からの攻撃はなくそこに戦力を注がなくていいというメリットや、のちに南蛮人が味方になったということを加味してもそれだけの「うま味があった」とは思えないからです。
諸葛亮(孔明)が南蛮の王孟獲、孟優を7度捕らえたといってもそれなりに戦死者を出しているのです。世間的には「諸葛亮(孔明)はやはりすごいな!」という評価を与えますが部下的には「お前何やってるの?」というクレームが来てしまいそうなものです。
もし劉備(玄徳)が生きていたらここまで諸葛亮(孔明)に好き勝手させていなかったのではないかと思っています。
諸葛亮(孔明)も孟獲が7度捕まる前に降伏するものだと思っていたのではないでしょうか。捕らえて逃がす回数が多ければ多くなるほど彼の伝説化は強まりますがそれだけ戦死者が増えるので最後は意地で制圧しにかかっていた気がします。
3度くらいで孟獲が投降したら両軍戦力の減少をしなかったし、南蛮人が仲間になった後にもっと戦力になってくれたはずです。

まとめ

以上、諸葛亮(孔明)の南蛮征伐、「七擒七縦」についての私の意見を書きましたがいかがでしたでしょうか。中には「南蛮征伐は南の憂いが取れ心置きなく北伐に向かうことができた」という意見があったり、これにより蜀内部でも諸葛亮(孔明)の凄さが分かり士気が上がった、もしくは「この人に逆らったらとんでもない目に合う」と思う兵士が増え効果があったりしたとみる人もいると思います。
いわばこの南蛮征伐というのは三国志においてはサイドストーリー的要素が多数含まれ、横山光輝のマンガ「三国志」でもファンタジーチックに書かれている場面も少なくありません。
そのためまずはここに焦点を当て深追いするというよりは1、諸葛亮(孔明)が七擒七縦を行い、評価を高めた。2、南からの攻撃を心配する必要がなくなった。3、南蛮人が味方になり蜀の戦争に加わるようになった(そしてそれは大戦力というわけではなかった)
ということを覚えていただけたら幸いです。


関連する投稿


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志の英雄たちを姓名判断してみた!

三国志の英雄たちを姓名判断してみた!

三国志の英雄たちは、自らの運命を武力や知力で切り拓いてきました。しかし、実は産まれて命名された瞬間に、その命運が決まっていたのではないか? という興味のもと、各英雄の姓名判断をしてみました。はたして、あなたの好きな英傑はどういう運命だったのでしょうか。


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。


諸葛亮は本当に天才?実はたくさんの失敗をしていた!

諸葛亮は本当に天才?実はたくさんの失敗をしていた!

三国志で天才的な人物と言えば、諸葛亮を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、そんな諸葛亮も何度となく失敗をしています。実は、蜀が滅亡したのは、諸葛亮のせいだと主張する方もいるのです。そこで今回は、諸葛亮の失敗にスポットライトを当ててみたいと思います。


なかなか聞けない三国志の常識を一挙公開

なかなか聞けない三国志の常識を一挙公開

「三国志」ってよく聞くけどいったいどういう物なのかイマイチ分からない。もしくは「曹操(孟徳)が劉備(玄徳)を倒して天下統一を果たしたんだよね?」という人は少なからずいるとおもいます。他国の歴史なので知らなくてもそこまで恥ずかしいものではないかもしれませんが、ここでは「三国志においてまず知っておくべきこと」についてまとめてみました。三国志入門なのでここから三国志の世界を知ってもらえたら幸いです。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。