三国志に登場する大型兵器8選!

三国志に登場する大型兵器8選!

三国志の時代、しのぎを削り合っていた群雄たちは戦況を有利に進めるため兵士に持たせる武器だけでなく、乗り物や設備などの大型兵器も開発・改良していました。


大型兵器の開発・改良

大型兵器の開発・改良

大型兵器の開発・改良

三国志の時代はまさに乱世。その世の中で割拠した群雄たちは戦況を有利に進めるため、兵士に持たせる武器以外にも乗り物、設備型武器など大型の兵器に至るまで開発・改良していました。
戦略や作戦も重要ですが、使用する武器とそれを扱う人を制作したり育成しておかなければ実行に移すことができません。「兵は詭道なり…」と孫子にある通り、戦略というのはいかに敵を欺く・敵の予想をはるかに越えられるかがカギとなります。
本記事では、この時代に使用されていたと伝わる大型兵器についてご紹介します。

①曹操考案「霹靂車(へきれきしゃ)」

①曹操考案「霹靂車(へきれきしゃ)」

①曹操考案「霹靂車(へきれきしゃ)」

曹操が考え出した当時最先端の後方支援兵器です。霹靂車は、てこの原理を活かした投石装置で、車輪が搭載されているので陣地侵入・撤収が用意に行うことが可能。
長い棒の先端に動物(牛や羊)の革かロープで編んだ網で作ったハンモックがついていて、そこに石や油壺を装填し、片端に括りつけられた縄を勢いよく引いて石を遠くまで飛ばすことができます。
当時の常識では材料を現地調達して現地で工作兵が戦いながら制作するというスタイルが主流であったのに、既製された兵器を戦場に持ち込んできたので敵兵のド肝を冷やしました。霹靂車を導入した官渡の戦いで曹操は、旧知の仲の袁紹に勝利しています。

②城門・城壁を破壊するための兵器

②城門・城壁を破壊するための兵器

②城門・城壁を破壊するための兵器

三国志の時代の戦争は、建築物が並ぶ街で行われる市街地戦や野原で展開される野戦よりも専ら籠城・攻城戦(城の守備/城攻め)が主流でした。
そのため、城を攻める際には城門や城壁を破壊するアクションが必要です。そこでは、以下のような兵器が活躍しました。

衝車

衝車

衝車

丸太の先端を鋭角に削って尖らせたものを台車に乗せたシンプルな装置です。人力で押したり引いたりして城門・城壁に衝突させて破壊します。
それまでは、何十人もの兵士が丸太を抱えて走って突撃させていたので、城門にたどり着くまでの間に転倒したり丸太を放棄せざるを得ない状況に陥るなど、城門・城壁を破壊するまでに大変な時間と労力を要しました。

亀甲衝車

亀甲衝車

亀甲衝車

上記に紹介した「衝車」のアップグレード版。衝車に木や金属を網状に組んだフレームを設置し、その上に動物(牛や羊)の革を張って、防御しながら城門・城壁を破壊することができます。
これを用いたことで、城門・城壁を破壊するまでに投石や矢によって戦死する兵士の数が激減しました。

③城壁に梯子を架ける「雲梯車」

③城壁に梯子を架ける「雲梯車」

③城壁に梯子を架ける「雲梯車」

先に紹介した兵器は城門・城壁を破壊するための兵器でしたが、雲梯車は兵士を城壁の上に乗りこませるための大型兵器です。
この兵器が開発されるまでは、城壁にかなり接近してから投げ縄を架けてよじ登る。先頭に俊足の兵士を後方に力自慢の兵士を配置し、それらに梯子を抱えて走らせ先頭の兵士が城壁を駆け上がり、後方の兵士が腕力で押し上げるという手法で城壁を登っていました。
しかし、これらの手法ではやはり城壁に接近するまでの間に投石や矢を受けて絶命したり、せっかく梯子をかけても城壁の敵兵士に梯子を蹴飛ばされて倒されなかなか城壁の上にたどり着くことができませんでした。それらの悩みを一気に解決してしまったのが、雲梯車です。

雲梯車はいわば梯子車とも言える大型兵器です。
梯子が届きそうな距離まで接近したら、梯子を城壁に架けてその上を歩いて渡るのはもちろんのこと、小学校や公園に設置している遊具の雲梯と同じ要領で梯子にぶら下がり、腕伝いに渡ることもできました。

④やぐらが接近してくる井闌車(せいらんしゃ)

④やぐらが接近してくる井闌車(せいらんしゃ)

④やぐらが接近してくる井闌車(せいらんしゃ)

 井闌車は秦の始皇帝に仕えた王賁将軍のお家芸です。なんとこの井闌車は弓兵が配置できるようにやぐらに車輪がついている車でした。そして、このやぐらの内部には階段が作られており、やぐらの真下に吊り橋がついていて、城壁に接近するとその橋を下して兵士を城壁内へ運搬することができました。
有効な攻撃をしながら、安全に兵士を城壁内に運搬できる優れものです。

⑤諸葛亮の嫁が開発した「虎戦車」

⑤諸葛亮の嫁が開発した「虎戦車」

⑤諸葛亮の嫁が開発した「虎戦車」

諸葛亮のお嫁さんの黄月英が設計・制作した対禽獣用のからくり兵器です。外観は虎の毛皮が被せられていて、押したり引いたりしなくても駆動できるようにからくり仕掛けになっていました。プリティな見た目とは裏腹に一定間隔で虎の口から炎が噴き出せるようになっていて、世界最古のロボット兵器と言っても過言ではありません。
これには、象や虎を戦線投入する南蛮兵士や体に鋼の鱗がついている木鹿大王(ぼくろくだいおう)も妖術の類だと騒いでみなしっぽを巻いて退散しました。

⑥埋没させる「てん壕車」

⑥埋没させる「てん壕車」

⑥埋没させる「てん壕車」

設計によっては、城壁の周りに壕を設けていて、容易に近づけないようにしているお城もありました。壕があると雲梯車や井闌車も接近することができません。ましてや単身で登ろうにも壕に足が取られてなかなか進めなかったり、鎧の重みで溺れてしまうこともありました。それを打破するために登場したのがてん壕車です。
車の前方に衝立を設けて守城兵の攻撃から防御しながら、城の壕に接近し、車体に積んだ土や土塁などで壕を埋めることができました。

⑦壕に架橋する「壕橋(ごうきょう)」

⑦壕に架橋する「壕橋(ごうきょう)」

⑦壕に架橋する「壕橋(ごうきょう)」

この兵器も壕対策に開発された兵器です。構造は先に紹介したてん壕車に類似しており、前方に衝立を設けて守城兵の矢を避けながら壕に近づくことができます。橋の部分はスライド式になっていて壕橋を数人の兵士が押して行き、橋をスライドさせて橋を架けました。

⑧古代式エレベーター「巣車(そうしゃ)」

⑧古代式エレベーター「巣車(そうしゃ)」

⑧古代式エレベーター「巣車(そうしゃ)」

巣車は敵城内を偵察するための兵器です。ロープで吊るされた小屋に兵士を乗せ、てこの原理を利用(滑車を利用)して引っ張り上げたり下したりして、高所から城内の様子を探ることができました。井闌車よりも低コストで制作できそうですが、小屋を昇降させるのに大人数を要するため、兵士の運搬用には用いられなかったようです。

未だに続く兵器開発

未だに続く兵器開発

未だに続く兵器開発

これらの兵器が開発・製造されたのは西暦200年ごろの時代です。今回紹介するのを省いた戦車ができたのは、今から4600年前の三皇五帝時代。もちろん三国志の戦闘でもおおいに活躍していた兵器です。元陸上自衛隊の戦車乗りだった筆者は、大好きな戦車が三国志でも用いられていたことに誇りを感じています。
武器の開発・改良をしなくても世界の平和が保てる世の中になるといいですね。





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