三国志時代を生きた女性たちが就いた職業

三国志時代を生きた女性たちが就いた職業

古代に分類される三国志の時代。男尊女卑の考え方から女性は仕事に就いていないのでは?と思われがちですが、古代の方が現代と同じくらいに女性が社会で活躍しています。さて、三国志時代の女性たちはどのような職業に就いていたのかを解説していきましょう。


古代は今と同じくらい女性に活躍の場があった

古代は今と同じくらい女性に活躍の場があった

古代は今と同じくらい女性に活躍の場があった

嫁の字が表すように女性は家にいて家事に励み、外では仕事に就くことが少ないと思われがちですが男尊女卑の考え方はわりと最近できたもので、古代は今と同じくらいに女性が社会へ進出するチャンスがありました。
また、仕事をせず子供を産むことが使命という女性は皇女や有力な豪族に嫁いだごく一部の女性だけで、庶民の場合は女性が家事をしながらも仕事をこなしている女性が多くいました。また、女性でなければ就くことのできない職業があったことも事実です。
本記事では男性たちが戦、戦、戦で表舞台に立っていたときに女性がどのような職業について生計を立てていたのかを解説します。

当時の女性公務員 宮女

当時の女性公務員 宮女

当時の女性公務員 宮女

いつの時代も女性でなければ就くことのできない職業があります。その代表格ともいえるのが宮女(女官)という職業です。宮女とはいわば女性公務員のことです。宮廷で女性でなければ務まらない仕事を担当します。例えば後宮での雑用係や儀式におけるお巫女さんなども宮女に該当します。後宮に仕える女性はすべて皇帝の妻という名目です。宮女になれる女性のほとんどは有力な豪族の娘や貴族の娘だけです。実家ではお姫様として育てられてきたのに後宮では一端の雑用係という位置づけだった女性も数多くいます。

男性に癒しのひとときを提供する 妓女

男性に癒しのひとときを提供する 妓女

男性に癒しのひとときを提供する 妓女

三国志の時代には既に妓楼という女性が男性客とお酒を一緒に飲む業種が発達していました。その妓楼で働く女性たちのことを妓女と言います。妓女は現代の職業に例えるとキャバクラ嬢のような職業です。楽器を演奏したり舞を披露することもあったので、京都の舞妓さんや芸妓さんと似たような趣旨でした。妓女として働くためには楽器の演奏や舞だけでなく男性客に会話を楽しませるため政治、経済、兵法、儒学などの教養を身につけなければならず大変長い修行期間を必要としました。
また、曹操(孟徳)の実母はかつて「花が恥じらい、太陽さえも恥じて出て来ぬ」と言われるほどの美人な妓女で曹操(孟徳)の父親は十常侍を務めていた曹操(孟徳)の祖父の財産をつぎ込んで身請け(妓楼から結婚するために妓女を買い取ること)しました。また、曹操(孟徳)自身もお酒を妓楼に飲みに行き、そこで働いていた妓女の卞夫人に一目惚れして身請けします。卞夫人はその後曹操(孟徳)の後を継ぎ魏の初代皇帝となる曹丕(子桓)をはじめとする男児を3人出産しました。

生糸を作るための養蚕業と製糸業

生糸を作るための養蚕業と製糸業

生糸を作るための養蚕業と製糸業

女性は力仕事をする職業には向かなかったので繊細な技術やまめな仕事の多い養蚕業や製糸業で生計を立てる者が多くいました。養蚕業とは蚕を育てて生糸の原料となる蚕の繭をとる仕事です。また、繭をとっただけでは布を織ることができません。繭の繊維をほぐしながらより合わせて糸を作りました。蚕の繭を原料とした糸は生糸と呼ばれそれから作られる布は絹、つまりシルクで皇帝などの高貴な身分の者が着用する着物になったり紙の代わりとして使用されることもありました。

お酒を製造する酒造業

お酒を製造する酒造業

お酒を製造する酒造業

儀式や宴会などで欠かせないお酒は神聖なものなので高貴な身分の人でなければ作ることができないと思われがちですが、酒造は主に女性や奴婢の仕事でした。
当時のお酒はお米や麦に水と麹を加えて発酵させて作られており、現在のようなアルコールを気化させて一気に冷やし液体とする蒸留や何度も何度もろ過して作るような製法ではありません。壺に原料と水を継ぎ足しながら混ぜ合わせ、ひたすら放置するという製造方法でした。
日本のどぶろくのように臭いも味も酸っぱく、アルコール度数は3~5%程度でよっぽど大量に飲まない限りは酔うことができなかったと考えられています。
劉備(玄徳)の義弟張飛(益徳)はThe大酒飲みのレッテルが貼られている人物です。彼は一度主君不在時の城の留守居役を命じられ、禁酒を言い渡されていたのに大酒を飲んで酩酊し、呂布(奉先)に城を奪われてしまったことがあります。
ビールにも満たないアルコール度数のお酒をどれだけ飲んだらそんな無様なことになるのでしょうか?
まったく張飛(益徳)というキャラクターには何度も驚かされます。

着物や履物を作るお針子

着物や履物を作るお針子

着物や履物を作るお針子

三国志の時代は当然ミシンなんて世界のどこにも存在しません。当時の布製の着物や履物はすべて人の手でひと針ひと針丁寧に縫われていました。お裁縫は当時どんなに高貴な身分の女性であっても必ず身につけなくてはならないスキルであり、お針子になるために必要な資格や技術は特に必要なく誰でもとっかかりやすい仕事、かつ需要の多い仕事だったので多数の女性から人気を集めました。ただし誰でもできるということから労働時間あたりの賃金は低く、決して割りのよい仕事ではありませんでした。

家事の合間にできる洗濯代行サービス

家事の合間にできる洗濯代行サービス

家事の合間にできる洗濯代行サービス

お針子と同じくらい需要の多かった仕事が洗濯代行サービスです。洗濯は家事の中でも特に面倒で時間と労力がどうしてもかかってしまうものです。特に冬場なんかは水も冷たいので誰もがやりたがらない仕事でした。しかし、誰もがやりたがらない仕事というのは単価がある程度高くてもそれなりに需要があります。また、洗濯は老若男女問わず誰でもできる仕事なので面倒なのを我慢できさえすれば開業するのはとても簡単です。あとは洗濯物を間違えないように目印付きのかごを用意したり、水場までの道のりを往復する数を増やせば十分に生活できる報酬を稼ぐことができました。

家事のスペシャリスト家政婦(奉公人)

家事のスペシャリスト家政婦(奉公人)

家事のスペシャリスト家政婦(奉公人)

身寄りのない女性たちは家政婦(奉公人)として貴族や士族の家に住み込んで料理や洗濯、掃除などの家事や雑用をする仕事に就きました。
家政婦(奉公人)たちは居住する場所と食事を主人からもらう代わりにお小遣い程度の賃金だけをもらって生活しました。
たしかに受け取るお金は少なかったのですが家賃や食費なんかを考慮する必要がなく、やることさえちゃんとやっておけば何不自由なく生活することができたので未亡人となった旦那の実家にいられなくなってしまった女性や親が借金苦で身売りされた女性たちからすれば救済措置ともいえる仕事です。また、家政婦(奉公人)は仕える主人が悪ければいじめの対象となってしまったり、最悪暴行を受けて死亡してしまうケースもあります。その反面主人の息子が家政婦(奉公人)に心惹かれ、家政婦(奉公人)の身分から主人の家の嫁になるシンデレラガールもいました。
その代表的な例が前漢の武帝の皇后である衛皇后です。衛皇后はもともと曹操(孟徳)の祖先である平陽候と平陽公主(武帝の姉)に仕える家政婦(奉公人)でしたが、たまたま姉のもとに遊びに来た武帝が恋心を抱きそのまま連れて帰って皇帝の妻となった女性です。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志時代を生きた女性たちが就いたとされる職業の例を本記事で説明しました。女性は家にいつもいて家事、子育てをするのが仕事とよく言われますが、古代の女性たちは今と同じくらい社会へ参加しており、自分たちの能力に見合った職業に就いて生活していました。


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