三国志 人物・武将
三国志 の登場人物を紹介。三国 時代 人物 相関 図曹操(孟徳)の祖父曹騰が誕生したころには既に曹家は衰退していたのですが、曹操(孟徳)の系図を辿ってみると前漢を建国した高祖劉邦に仕えた曹参にたどり着きます。本記事では、曹操(孟徳)の出身である曹家の家柄について解説します。
215年、曹操(孟徳)は張魯(公祺)が治める漢中の平定に成功しました。劉備(玄徳)の統治が始まったばかりの蜀にとっては大いなる脅威となりました。曹操軍の実力も去ることながら、劉備(玄徳)が統治して日の浅い蜀は人的結束力にまだまだ不安があったからです。漢中平定に成功し日の出の勢いの曹操軍。蜀に攻め込んで来るのは明白。ついに、諸葛亮(孔明)が「切り札」を投入します。
孫策・孫権の江東軍において軍事の頭脳は周瑜・魯粛・諸葛瑾など数多く挙げられますが、内政の頭脳といえる人物は張昭・張紘の二名が真っ先に挙げられるでしょう。江東の二張と呼ばれるこの二人、どういう人物だったのでしょうか
現代でも占いはとても人気です。星占いやトランプ占いなど、様々な占いがあります。そこで気になるのが、三国志の時代にも占いがあったのかではないでしょうか?今回は、三国志の時代にあった占いや代表的な占い師について紹介していきます。
三国志・三絶のひとつ「奸絶」の曹操のイメージはいかに確立されたのか
三国志演義では、劉備(玄徳)の最大の敵として君臨する「曹操」。まさに悪の象徴として描かれています。はたして曹操の悪のイメージはどのようにして確立されたのでしょうか?
赤壁大戦開戦前、孫呉は抗戦するか降伏するかでもめにもめていました。そんなとき、諸葛亮(孔明)による舌先三寸によって周瑜(公瑾)と孫権(仲謀)は激昂し、開戦に踏み切ります。本記事では若き呉の棟梁孫権(仲謀)が激昂した真意について解説しましょう。
誰にでも1回や2回は人生もうだめだと思ったことがあることでしょう。そんな時三国志の武将の生き方を参考にしてみてはどうでしょうか。力でピンチを打破する者もいれば知恵で回避する者はもちろん「えっまさか!」と思うようなことをする者もいます。
三国志演義では善人としてのイメージが強い「董承」。献帝のために曹操暗殺計画を企てるのですが、はたしてどのような人物だったのでしょうか?
三国志の登場人物では、曹一族、夏侯一族の他、諸葛一族、司馬一族、馬一族など、元々高い地位にあって、そのまま活躍した人物がたくさんいます。ですが、劉備(玄徳)・関羽・張飛のようにどこの馬の骨からか出世した人物も多くいます。 それらの人物の内、「えっ?この人が」という人物を挙げてみます。
三国志の時代で注目されるのは、男性ばかりです。武将や君主が男性ばかりだけに、それも致し方ありません。それでも、三国志の時代に活躍した女性もいるのです。そこで今回は、三国志の時代に実在し、活躍した女性を紹介していきます。
三国志・関羽の千里行、五関を突破し、六将を討つ!六将で一番強いのは誰?
三国志演義の有名なエピソードに関羽の「千里行」があります。ここで関羽の行く手を阻むのが、関所を守る六将です。果たして六将で最も強いのは誰なのでしょうか?
三国志を読んでいて一番盛り上がるのは一騎打ちのシーンだという人は多いと思います。関羽と黄忠・張飛と馬超・許褚と典韋・etc。どれも演義で読むとワクワクするシーンですが、その殆どは演義での創作です。日本でも、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちなどが有名ですが、殆どが創作です。合戦者の著者も読者が楽しめる内容を求めて書いたのでしょう。ですが、わずかながらも正史に記載されている一騎打ちもあります。果たして、どのような一騎打ちがあったのでしょう。
劉備(玄徳)の蜀漢建国を邪魔する曹操(孟徳)、孫権(仲謀)の陰謀
荊州から益州に入った劉備(玄徳)は214年に成都を攻略し劉璋(季玉)を降伏させます。そして、劉璋(季玉)の身柄と財産を保障して振威将軍の印綬を与えた上で公安に送り、豊富な物資と軍勢を手に入れました。さらに劉璋(季玉)の旧臣を積極的に召抱えて人的な面でも大きく充実しました。 当然、曹操(孟徳)、孫権(仲謀)はこの動きが不愉快です。
三国志に登場する「君主」・「軍師」・「大将軍」・「丞相」・「部将」・「文官」を10人選んで、仮想で最弱国を築いてみました。さて、どんなメンバーになるのでしょうか?
多くの人が三国志で一番強い武将に呂布(奉先)を挙げます。しかし彼はよく君主を裏切る人物だったので自分が君主だった場合彼に多くの年俸を払いたいと思いたくはないでしょう。ここでは独断と偏見で「自分が君主だったら誰にどれだけの年俸を払いたいか」という事を紹介したいと思います。プロ野球などの年俸を意識してもらえたら幸いです。
三国志・掟破りの風使い諸葛亮(孔明)は赤壁に東南の風を吹かせたのか?
三国志で最も有名な戦いが「赤壁の戦い」です。劉備(玄徳)、曹操、孫権が入り乱れた駆け引きを繰り返します。手に汗を握るシーンですが、勝利に導く東南の風を諸葛亮(孔明)はどうやって吹かせたのでしょうか?
三国志、もとい漢代には故事成語がたくさんあります。偉大な仕事や役職につくために必ず通過するべき学校や組織、プロセスのことを指す「登竜門」もそのひとつで、郭泰(林宗)という軍師と李膺(元礼)という名士が生んだとされています。
三国志では豪傑や天才のエピソードに目が行きがちですが、その裏で不幸な目にあった物も少なくありません。戦って負ける、策にはめられるというのは日常茶飯事ですがその中でも群を抜いているエピソードを持つ登場人物を紹介したいと思います。
三国志演義では裏切り者という印象の強い、呂布・魏延・蔡瑁。彼らは本当に恩知らずの裏切り者だったのでしょうか?それともそう描かれているだけなのでしょうか?もし、そうなら理由はあるのでしょうか?
三国志演義に登場する最強の戦術「十面埋伏の計」とは、いったいどれほどの威力を持っているのでしょうか?「倉亭の戦い」を振り返って検証してみましょう。