三国志・三絶のひとつ「奸絶」の曹操のイメージはいかに確立されたのか

三国志・三絶のひとつ「奸絶」の曹操のイメージはいかに確立されたのか

三国志演義では、劉備(玄徳)の最大の敵として君臨する「曹操」。まさに悪の象徴として描かれています。はたして曹操の悪のイメージはどのようにして確立されたのでしょうか?


三絶

三国志には「三絶」という極めた人物が三人登場してきます。
「智絶」、「義絶」、「奸絶」です。智の極み、義の極み、悪の極みということになります。義の極みといえば、忠義に篤い関羽が真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。その通りです。「義絶は関羽」という設定です。
では智絶は誰でしょうか?三国志には知略に優れた人物は数多く登場します。呉の周瑜、陸遜、魏の司馬懿、賈詡、蜀の諸葛亮、法正、もちろん曹操もそのひとりに違いありません。甲乙つけがたいところですが、「智絶は諸葛亮」という設定です。
武絶や仁絶などがあればまだまだ迷うところですが、残りひとつは奸絶です。絶対的な悪の象徴なのです。従わない官徒を虐殺した董卓や李傕、孫皓などが候補にあがりますが、「奸絶は曹操」という設定になっています。
なぜ曹操が奸絶なのでしょうか?

毛宗崗の三国志演義

「三国志正史」には三絶という言葉は登場しません。そもそも曹操が悪であるという設定ではないからです。魏建国の土台を作り上げた英雄です。
対称的に、魏は帝位を簒奪した悪であるとしているのが14世紀後半に書かれた「三国志演義」になります。モンゴルを追い出し、漢民族の国を取り戻した明の時代です。その思想の柱は朱子学でした。朱子学では劉備(玄徳)が建国した蜀漢が正統であるとしています。つまり劉備(玄徳)や諸葛亮は善であり、それと敵対する曹操は悪ということになるのです。

しかし羅貫中が書いた三国志演義には三絶という表記はありません。その後、三国志演義は何度も書き換えが行われていきます。日本に広く伝わったのは江戸時代に翻訳された「李卓吾」の三国志演義になります。吉川英治の小説「三国志」も、横山光輝の漫画「三国志」も李卓吾の三国志演義をベースにしています。ここでも三絶の表記はないのです。

三絶が記されたのは、17世紀半ばにさらに大きな書き換えが行われた「毛宗崗」の三国志演義になります。時代はすでに清です。この時代はさらに理想とすべき義の在り方が追及されています。そのためにさらに脚色されることになるのです。
曹操を奸絶と評したのは、清代の毛宗崗ということになります。

いかに曹操の悪をアピールすべきか

善と悪を分かりやすく描くのは簡単なことです。善の側の人間については、長所や善い行いばかりを書き、悪の側の人間については、ことさら悪行ばかりをアピールしていけばいいのです。
劉備(玄徳)は仁徳に溢れる君主であり、諸葛亮や関羽は忠義に篤い臣です。基本的に三国志演義ではここは揺るぎません。弱小であっても志を高く持ち、巨悪や権力に最期まで抵抗します。そして漢の復興に命をかけるのです。

曹操もまた、様々な分野で才能を発揮し、多くの有能な人材を起用しています。法を整備し、乱を鎮め、屯田によって農地を開拓して多くの民衆が安心して暮らしていける世界を築いています。
しかしそこをアピールしてしまうと、劉備(玄徳)の存在感が薄れ、蜀漢の正統性もまた揺らいでしまうのです。三国志演義にとって大切なのは、曹操の冷酷さであり、野心であり、尊大さでした。曹操は悪であるということの説得力を高める材料が必要だったのです。
そこで目をつけられたのが「呂伯奢殺害事件」になります。

呂伯奢殺害事件

これは簡単に説明すると、逃亡中の曹操がかくまってくれた恩人を勘違いして殺してしまうという事件です。自分が生き残るために罪なき人、しかも恩人であっても平然と殺してしまう曹操に対して、「なんという非道な人物なんだ」と、三国志の読者はひいてしまいます。
この5年後には曹操は徐州の大虐殺を行うことになり、「やはり曹操は悪である」と確定してしまうことになるのです。保護した献帝をないがしろにすることも、荊州や揚州に侵攻したことも、魏王を称したことも、曹操の悪行ということになります。

三国志演義は見事に誘導に成功したといっていいでしょう。善と悪がはっきりと分かれていた方が読者はわかりやすく、主役たちへの感情移入もしやすいので話も盛り上がります。
三国志演義の演出・脚色の巧みさがなければ、三国志が現代まで人気であり続けることはできなかったのではないでしょうか。

呂伯奢殺害事件の諸説

話は戻りますが、実は呂伯奢殺害事件には諸説あります。
そもそも三国志正史では、呂伯奢が曹操に殺されたという記載がありません。殺されたのは呂伯奢の家族で、呂伯奢は留守だったようです。これを聞いてもさほどの違いはないように感じますね。
では、注釈を確認していきましょう。
まずは曹魏の王沈による「魏書」によると、呂伯奢の子どもたちが曹操の荷物を奪おうとしたので曹操が抵抗して殺害したとあります。あくまでも正当防衛の域です。
西晋の郭頒による「魏晋世語」によると、疑心暗鬼になった曹操が呂伯奢の子どもら8人を殺したとあります。これだと完全に曹操の勘違いですね。
東晋の孫盛による「異同雑語」によると、食器の音を聞いて勘違いした曹操が呂伯奢の子どもらを殺し、「私が他人を裏切ろうとも、他人に私を裏切らせはしない」という言葉を残しています。ここまでくると完全に開き直っていますね。

そして三国志演義になりますが、ベースは異同雑語です。しかしさらに脚色されています。まず曹操の逃避行を手助けした陳宮が一緒にいたこと。呂伯奢も殺害していること。「私が天下の人に背こうとも、天下の人に背かせはしない」と陳宮に宣言し、陳宮は曹操の本性を知って立ち去ったことです。そもそも家人については、疑心暗鬼になった曹操が勘違いして殺してしまったのですが、呂伯奢は通報される恐れがあるためにその後、意図的に殺害しています。
曹操は利他の欠片もない、自分主義の殺人鬼として描かれているのです。

まとめ・呂伯奢殺害事件の真相は?

曹操は悪人であるという印象を強く植え付けることになる「呂伯奢殺害事件」は、まさにターニングポイントでしょう。しかし、魏書にある通り、曹操の財を掠め取ろうとした呂伯奢の子どもらを退治したのが真相であれば、まったくもって濡れ衣です。

今となっては、真相は闇の中ですが、このエピソードがまんまと三国志演義では利用されています。いつの時代でもメディアは利用され、真相をなかなか語らぬものです。果たして曹操は奸絶と呼ぶにふさわしい人物だったのでしょうか。それぞれの言い分があり、それぞれの正義がありそうですね。

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