人を凌駕する神聖な動物たち
■ 人を凌駕する神聖な動物たち
人を凌駕する神聖な動物たち
古来より特別な動物は神の化身として崇められたり、神の乗り物として敬われたりしています。インドでは牛は神聖な動物なので、交通の妨げになっても民衆は怒ったりしません。日本では三本足のカラスである八咫烏が有名です。サッカー日本代表のイメージキャラクターにもなっていますね。
三国志同様に親しまれた白話小説には、「西遊記」がありますが、孫悟空こと斉天大聖は猿ですし、猪八戒こと天蓬元帥は豚です。日本の昔話である桃太郎でも、猿は鬼退治に活躍しています。戦国時代を統一した豊臣秀吉もかつてはサルと呼ばれていたようです。
人間の手の及ばない相手や事件に対抗するには、そういった人間の力を超越した動物の力が必要になると考えたのかもしれません。そしてその力の援助を受けられる人間は、カリスマ的な存在として周囲を圧倒していきます。
これは西洋文化も同様です。ドラゴンやペガサス、フェニックススといったファンタジーのキャラも人間に力を貸して、進むべき道を示したりします。
三国志で動物に例えられる英雄は?
■ 三国志で動物に例えられる英雄は?
三国志で動物に例えられる英雄は?
動物に例えられたり、動物の力を有すると考えられたのは、その英雄が、人間には成し得ないような難業を克服することができると信じたからではないでしょうか。
三国志ではそのような人物がいるのでしょうか?
有名なところでは、「虎」のような勇猛さを誇る「許褚」でしょう。「虎痴」と畏怖されていたほどで、絶体絶命の曹操の危機を救い、最後まで曹操を守り抜きました。あれだけ周囲を敵に回しても曹操が生き延びてこられたのは、間違いなく許褚の活躍があったからです。
虎といえば、劉備(玄徳)の義弟である「張飛」も虎髭で知られていますね。ちなみに頭は豹のようで、顎は燕のようだと三国志演義には記されています。残念ながら張飛は部下の裏切りによって殺害されてしまいますが、張飛は劉備(玄徳)をとことん守り抜いて蜀建国の立役者となった猛将です。
他にも「江東猛虎」と呼ばれたのが「孫堅」です。虎のような体で、熊のような腰回りだったと記されています。
虎はやはり圧倒的な力の象徴だったようです。
日本では武田信玄が甲斐の虎と畏怖されていました。
虎以外の動物は登場するのか?
■ 虎以外の動物は登場するのか?
虎以外の動物は登場するのか?
虎以外では、やはり「龍」でしょう。日本では越後の龍こと上杉謙信が有名です。
三国志ではあの「諸葛亮」(孔明)が「臥龍」と呼ばれています。まだ臥せている状態の龍ですね。伏龍も同じ意味です。龍の知恵は遥かに人を凌ぐといわれますが、まさに諸葛亮(孔明)の知略は神算の域で描かれています。
動物に例えられたわけではありませんが、劉備(玄徳)を助け、その息子である劉禅を窮地から救った趙雲も、字は子龍ですね。劉備(玄徳)の義弟の関羽の愛用する武器は、青龍偃月刀です。劉備(玄徳)は龍や虎に囲まれていたような状態です。
諸葛亮(孔明)の宿敵である「司馬懿」もまた、動物に例えられています。「狼」ですね。人にとっては虎も龍も狼も恐ろしい存在でしょう(龍は空想上の動物ですが)。司馬懿は狼顧の相を有しており、身体を動かさずに狼のように首だけを180度回転させて真後ろに振り返ることができたそうです。実際に曹操が試しています。司馬懿の能力がとても高い点にも気づいていた曹操は常に司馬懿を警戒しました。
諸葛亮(孔明)のライバルのひとりに「龐統」がいます。臥龍の諸葛亮(孔明)に対して、龐統は「鳳鄒」と呼ばれていました。「鳳凰」の雛です。風貌は冴えなかったようですが、能力は諸葛亮(孔明)に匹敵するほどでした。知略を尽くして益州攻略に活躍しますが、落鳳坡という場所で戦死しています。
諸葛亮(孔明)の兄・諸葛瑾
■ 諸葛亮(孔明)の兄・諸葛瑾
諸葛亮(孔明)の兄・諸葛瑾
他の動物はどうでしょうか?
呉には孫策や周瑜といったずば抜けた能力を持った英雄がいましたが、容姿端麗であるという表現にとどまっています。孫策は江東の制圧で活躍し、周瑜は劣勢にも関わらず曹操の大軍を赤壁の戦いで破っていますが、それはあくまでも人の及ぶ域という扱いなのかもしれません。
他にも魯粛、呂蒙、陸遜などの優秀な人材がいますが、特に例えられたりすることはありません。太史慈や甘寧などの猛将も同様です。
しかし、そんな呉にあって、動物に例えられている人物がいました。
諸葛亮(孔明)の兄である諸葛瑾です。なにせ呉の大将軍まで務め、主君である孫権とは「神交」と呼ばれるほど深い交わりを結んだ大物です。忠義に篤く、孫権から絶大な信頼を得ています。
はたして諸葛瑾はどのような動物に例えられたのでしょうか?
水軍が精強であることで有名な呉ですから、海の王者であるクジラやサメという可能性も大いに考えられます。
諸葛瑾を動物に例えたのは孫権だった
■ 諸葛瑾を動物に例えたのは孫権だった
諸葛瑾を動物に例えたのは孫権だった
大将軍まで務めた諸葛瑾を動物に例えたのは、他でもない孫権です。諸葛瑾はどうやら面長な容姿だったようで、それを面白がった孫権は宴会の席にロバを入れて、その額に諸葛子瑜と書き込みました。(子瑜は諸葛瑾の字)
ロバには何か特別な力があったのでしょうか?
ロバは馬よりも小型でしたが、力もあり、記憶力にも優れていたようです。ただし、高齢になると労働力として期待できないために、料理して食べていたという文化が伝わっています。注目すべきは、人を凌駕する力ではなく、最後まで健気に尽くす生き様なのかもしれません。
まとめ・ロバの力が国を発展させた
■ まとめ・ロバの力が国を発展させた
まとめ・ロバの力が国を発展させた
呉には、とんでもないことをしでかすような驚異的な力よりも、地道に取り組むロバのような姿勢が最も必要だったのかもしれません。なんといっても孫権には皇帝を名乗る正統性などまったく無かったのです。それでも呉を支え、発展させられたのは、健気に孫権に尽くす諸葛瑾の忠義が波及したからかもしれません。
ちなみにこの宴会に出されて諸葛子瑜と書かれたロバには、諸葛瑾の息子である諸葛恪が知恵をきかせて加筆し、「諸葛子瑜之驢」としています。諸葛恪にはロバであることを拒否するプライドがあったのです。諸葛瑾は息子を見て、「家を栄えさすのも、滅ぼすのもこの子だろう」と予言しました。
実際に諸葛格は大将軍や太子太傅となり権力を握るのですが、独断専行が過ぎて、クーデターにあい殺害されてしまいます。諸葛瑾の予言の通りに一族はことごとく処刑されました。
もし諸葛格にロバのようなひたむきに従う姿勢があったら、三国志の後半の話はまた、まったく違っていたかもしれません。