三国志・関羽の千里行、五関を突破し、六将を討つ!六将で一番強いのは誰?

三国志・関羽の千里行、五関を突破し、六将を討つ!六将で一番強いのは誰?

三国志演義の有名なエピソードに関羽の「千里行」があります。ここで関羽の行く手を阻むのが、関所を守る六将です。果たして六将で最も強いのは誰なのでしょうか?


関公三約

関公三約

関公三約

劉備(玄徳)の家臣にして、義弟である関羽は、曹操に徐州を攻められ、劉備(玄徳)の家族を守り下邳城に籠城します。曹操配下の張遼が関羽に降伏することを提案しますが、その際に関羽が提示した降伏条件が「関公三約」です。

1、 曹操ではなく漢に降るということ
2、 劉備(玄徳)の夫人には誰も手を出さないこと
3、 劉備(玄徳)の居所が判明したら、すぐにそのもとへ帰ること

関羽の義の篤さと、武勇に注目していた曹操は、その提案を飲みます。
こうして関羽は降伏することになるのですが、劉備(玄徳)は死んでおらず、袁紹の陣中にいることが判明します。関羽は曹操のもとを去ることになるのです。

漢寿亭侯

漢寿亭侯

漢寿亭侯

関羽は、曹操が宿敵である袁紹と戦うことになると曹操の陣営の将として出陣します。この時は、まだ袁紹の陣中に劉備(玄徳)がいることを関羽は知りません。
そして白馬・延津の戦いにおいて敵の主力である顔良、文醜を立て続けに討ち取り、圧倒的な武勇を見せつけます。

このあたりは「三国志演義」の絶妙な脚色が話を盛り上げているのですが、そのエピソードのひとつに曹操が関羽に与えた爵位があります。
白馬の戦いで顔良を討ち取った関羽の功績に対し、曹操は「寿亭侯」の爵位を与えるのですが、関羽はまったく喜ぶ様子がありません。曹操はそこで気づき、「漢寿亭侯」と一字追加して贈り直したところ、関羽は満面の笑みで、「曹操はよくわかっている」と快く受け取ったと記されています。

五関突破の一番手・孔秀

五関突破の一番手・孔秀

五関突破の一番手・孔秀

延津の戦いの後、劉備(玄徳)の所在が判明したことで、関羽は曹操のもとを離れます。劉備(玄徳)の家族を連れて、関羽は曹操の領地を脱出していくことになるのです。
曹操は許可したものの、関所への連絡は遅れます。関羽は問答無用で関所を守る将を討ち取りながら強行していくことになるのですが、これが、三国志演義が生み出した「五関突破」のエピソードです。

最初の関所は東嶺関で、守将は「孔秀」でした。孔秀は「丞相の許可がないと通すわけにはいかないが、人質を置いていくのなら構わない」と対応します。連絡を受けていないのですから当然の処置で、むしろ妥協しているぐらいですが、関羽はこの対応に怒り、一合で斬り捨てました。

五関突破が三国志演義の演出ですから、そこに登場する守将も当然架空人物になります。袁紹軍で最強を誇る猛将の顔良・文醜を討った関羽を、関所の守将ごときでは太刀打ちできるはずもなく、あっさりと倒されてしまいます。

五関突破の二番手・三番手・孟坦と韓福

五関突破の二番手・三番手・孟坦と韓福

五関突破の二番手・三番手・孟坦と韓福

五関突破のエピソードは、三国志演義の第27回になります。
孔秀があっさり討たれたことを知った次の守将である「韓福」は、配下の「孟坦」と対応策を講じます。もちろん簡単に通すわけにはいきません。そのための関所なのです。
兵力にものをいわせて倒すという計画は浮かばないようで、韓福はあくまでも一騎打ちで関羽を倒そうとします。

その時の策が、まず孟坦が関羽と一騎打ちをしてわざと負けを演じて退却し、誘導してきたところを韓福が弓矢で奇襲するというものでした。わざと負けを演じて相手を誘導するのは三国志演義のお決まりのパターンではあります。
二刀を愛用し、見事に関羽と一騎打ちを繰り広げた孟坦は、計画通りにわざと退却するのですが、乗っている馬のスピードが違いました。なにせこの時の関羽は、曹操からプレゼントされた赤兎馬に乗っていたのです。
追いつかれた孟坦はそのまま真っ二つにされてしまいます。誘導には成功したものの、韓福の放った矢は関羽の肘に当たっただけでした。そのまま韓福も関羽に討ち取られています。

五関突破の四番手・卞喜と五番手・王植

五関突破の四番手・卞喜と五番手・王植

五関突破の四番手・卞喜と五番手・王植

三つ目の関所である沂水関の守将は「卞喜」です。元は黄巾の一味で、流星錘の使い手という設定です。ここでは兵を途中の鎮国寺に伏せておいて関羽を倒すという作戦に出るのですが、寺の僧侶が関羽にこのことを教えたので、作戦は成功せず、卞喜は流星錘の攻撃もはじき返され、関羽に討ち取られてしまいます。

四つ目の関所の守将は韓福の親戚である「王植」です。
ここでも別な作戦が練られ、今度は関羽が安心しきったところを攻撃して倒すという策略が実行されます。王植は手厚く関羽らを出迎えた後、その宿舎に火をつけて焼き殺そうとしたのです。
しかし王植の配下の「胡班」が関羽の人柄に惚れ込み王植を裏切ります。関羽はそのおかげで宿舎を事前に脱出することができたのです。気づいた王植は追撃しますが、関羽に迎撃されて、一刀のもと胴体を輪切りにされて殺されてしまいます。

ちなみに胡班はこの兼ね合いで、第73回の話で劉備(玄徳)の配下になっています。牙門将に任じられていますが、その後の活躍はありません。

五関突破の六番手・秦琪

五関突破の六番手・秦琪

五関突破の六番手・秦琪

最後の関所の守将が「秦琪」になります。
曹操の配下には蔡陽(または蔡楊)という武将がおり、「三国志正史」にもその名前がありますが、その甥が秦琪です。秦琪自体は三国志演義の架空人物になります。
黄河の渡し口を守備しており、通行手形をめぐって関羽と揉め、一合で討ち取られています。ここでは特に新しい作戦は実行されていません。

しかし秦琪が蔡陽の甥であることや、夏候惇の部将であることから、さらにこの後、関羽は狙われることになるのです。
ちなみに蔡陽は、劉備(玄徳)に合流した関羽と一騎打ちを演じ、一刀両断にされています。夏候惇も関羽と一騎打ちをすることになりますが、こちらは十合ほど打ち合った末に引き分けに終わっています。

まとめ・六将で一番強いのは……

まとめ・六将で一番強いのは……

まとめ・六将で一番強いのは……

五関を守る将の中で最も強いのは誰なのでしょうか?
実際に関羽に手傷を負わせることができたのは、韓福だけです。だまし討ち的な手法で、さらに弓を使用はしているものの、関羽の肘を射たのは見事な腕前といえます。全員が架空人物ではありますが、最強はやはり韓福ということになるのではないでしょうか。
ちなみに韓福の官位が洛陽太守ですから、曹操にはかなり重く用いられていたことになります。関所の守将とは格が違うような気がしますね。

顔良や文醜を討ったあたりから破竹の連勝を続ける関羽の一騎打ち。呂布亡き後の最強の武将は関羽だと印象付けることに成功しています。なんといっても赤兎馬を受け継いでいるのです。この時点で、関羽の武勇は呂布に追いついたと言っても過言ではありません。





この記事の三国志ライター

関連する投稿


魏軍武勇筆頭! 義にも厚かった猛将・張遼

曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。


女性目線から見た「関雲長」曹操と関羽

関羽、男として魅力的。義の人、一騎当千。曹操、悪党のイメージ強いです(泣)。策略家、女好き、等関羽に比べあまり印象が良くないです。この二人を主人公にした映画から、曹操の片思いに重点を置いて観てみようというこの企画。宜しかったら最後までお付きお願いします。


英雄たちの物語はここから始まった!「桃園の誓い」とは?

三国志は今から約1800年前、昔の中国の史実です。(史実を元にした小説でもあります。)役人のわいろなどが横行し、治安の乱れた世を正そうと同じ志を持った若者3人が出合うところから三国志ははじまります。この出会いのシーンで最も有名なのが「桃園の誓い」なのです。


まるでコント!語り継がれてきた 桃園の誓い 三兄弟の姿とは?

『三国志演義』には作者・羅貫中の創作がさまざま盛り込まれており、劉備(玄徳と関羽、張飛の3人が志を確かめ合い、義兄弟の契りを交わす“桃園の誓い”もそのひとつ。羅貫中は民間伝承も参考にしたそうなのですが……。さて、桃園の誓い、桃園三兄弟は中国の人々の間でどのように語り継がれてきたのでしょうか?


関羽死す! 魏・呉・蜀が死闘を繰り広げた「樊城の戦い」

 西暦219年、樊城の戦いで関羽が戦死した。関羽は、魏軍の守る荊州の樊城を攻め、于禁らを破った。しかし、呉軍の呂蒙らが魏に呼応して関羽の背後を突き、関羽は捕らえられて斬られた。なぜ、関羽は孫権の裏切りにあって殺されなければならなかったのか。複雑な戦いの経過を紹介する。


最新の投稿


春秋戦国時代 伍子胥の人生について

伍子胥(ごししょ)は、中国の春秋時代に活躍した楚の武人です。彼の本名は員(うん)で、楚の平王によって父と兄が殺されたため、復讐を誓いました。彼は呉に亡命し、楚との戦いで、ついに復讐を果たしました。しかし、後に呉王夫差が越王勾践を破った際、降伏を許そうとする夫差に反対し、意見が受け入れられず、自害させられました。


孫氏の兵法の孫武(そんぶ)とは?

『孫氏の兵法』における「孫氏」とは、古代中国の軍事思想家である孫武です。兵法書『孫子』を著し、戦争や軍事戦略に関する理論を全13篇から構成。特に「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」が有名で、戦争を避けることが最も優れた戦略であると説いています。 参考:ドラマ 孫子兵法 ‧


『キングダム』における羌瘣とは?

羌瘣は、漫画『キングダム』に登場する架空のキャラクターです。彼女は羌族出身の少女で、精鋭の暗殺者集団「蚩尤(しゆう)」に属していました。彼女は、原作、映画においても非常に魅力的なキャラクターです。その環境や周辺を史実を参考に紐解いてみます。


赤兎馬とは? 三国志初心者必見 三国志における名馬の物語

赤兎馬とは、三国志演義などの創作に登場する伝説の名馬で、実際の存在については確証がなく、アハルテケ種がモデルとされています。体が大きく、董卓、関羽、呂布など、三国時代の最強の武将を乗せて戦場を駆け抜けました。


春秋戦国時代 年表 キングダム 秦の始皇帝の時代の始まり

キングダム 大将軍の帰還 始まりますね。楽しみにしていました。 今回は、秦の始皇帝「嬴政」が、中華統一を果たす流れについて記述しようと思います。映画、キングダムのキャストの性格とは若干違うかもしれませんが、参考程度に読んでみてください。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング

最近話題のキーワード

三国志の魅力と登場人物で話題のキーワード


故事 三顧の礼 泣いて馬謖を斬る 苦肉の策(苦肉計) 破竹の勢い