三国志の時代でも女性が活躍!実在した女性を紹介!

三国志の時代でも女性が活躍!実在した女性を紹介!

三国志の時代で注目されるのは、男性ばかりです。武将や君主が男性ばかりだけに、それも致し方ありません。それでも、三国志の時代に活躍した女性もいるのです。そこで今回は、三国志の時代に実在し、活躍した女性を紹介していきます。


1.三国志の女性には実在しないケースも!

・男尊女卑が強い時代!

三国志の時代に実在し、活躍した女性を紹介する前に、当時の女性の説明しておきましょう。当時は、男尊女卑が強いとされています。実際に、当時の資料などだと女性は姓しか記されていないケースが多々あり、男尊女卑の傾向が強かったことが窺えるのです。

また、三国志は『正史三国志』と『三国志演義』があります。正史三国志は歴史書であり、基本的に歴史に忠実となっています。その一方、三国志演義はフィクションも混ぜられており、あくまでも物語とみることができます。そのため、三国志の時代に活躍した実物の女性は、正史三国志で記述されている女性と考えるべきでしょう。

ゲームは架空の人物も!

三国志好きの方の中には、ゲームから好きになった方もいるのではないでしょうか。「三國無双シリーズ」などは人気であり、そこから活躍した女性を思い浮かべる方もいると思います。しかし、三國無双シリーズなど三国志関連に登場する女性の中にも、架空の女性も多くいるのです。

例えば、呂布にハニートラップを仕掛けたとされている「貂蝉」や呂布の娘とされている「呂玲綺」も架空の人物となっています。モチーフになった女性はいるのですが、実際の名前などについてはわかっていないのです。このように、三国志関連のゲームには、架空の女性も登場するため、実在しないケースもあるので注意してください。

2.三国志の時代に実在して活躍した女性!

王異

三国志に登場する女性に中で、本当に戦闘に加わった女性として知られているのが王異です。王異は趙昂の妻であり、いくつかの逸話が残っています。まず、趙昂が羌道県令となり、王異が子供らと西県に住んでいた時のことです。同郡にいる梁双が反乱を起こし、攻め込んできました。王異は自刃しようとするも、娘を見て思いとどまり、一計を案じます。汚物を塗りつけた麻をまとい、物を食べずにやせ細ることで人を遠ざけ、危機をやり過ごしたのです。戦闘に参加するだけでなく、知略もある女性と言えるでしょう。

王異が戦闘に参加したのは、冀城の戦いです。馬超が攻め込んでくると、王異も武器を取り応戦したのです。しかも、長期の攻めにより、兵士の士気が下がると、王異は装飾品や高価な衣服を兵士に与えることで、士気を高めています。しかし、刺史の韋康は馬超に降伏してしまいます。さらに、馬超は韋康との約束を破り、韋康を殺し、趙昂の子供を人質にしたのです。王異と趙昂は、姜叙らと馬超を討とうと計画を立てます。趙昂は人質になった子供に悩むのですが、王異を勇気づけ計画を実行し、馬超を撃退したのです。

ちなみに、王異は三国志演義にも登場しており、そちらでは王氏の名称となっています。三国志演義でも、自身の装飾品などを陣中の兵士に与えており、史実に近いエピソードが描かれているのです。

蔡文姫

蔡文姫は、詩人として活躍した女性です。父親は、後漢の政治家で儒家・書家である蔡邕です。蔡文姫は早くに未亡人となると、董卓の残党による反乱で拉致されてしまい、劉豹の側室になります。その後、2人の子供をもうけるのですが、曹操が蔡邕の跡継ぎがいないことを惜しみ始めるのです。そして、曹操は金や宝玉と交換に蔡文姫を帰国させるのです。この際に、子供との別離を歌った詩も作っています。

蔡文姫は詩の才能だけでなく、才女として知られており、弁術が巧みだったとされています。蔡文姫は、帰国後に曹操の計らいで董祀に嫁ぐのですが、董祀は法を犯して死罪になるところだったのです。そこで蔡文姫は、曹操を説得して死罪を取りやめさせており、いかに弁術が優れていたのかがわかります。

また、曹操は蔡邕の失われた蔵書を復元するように命じると、蔡文姫は400編余りを復元し、誤字脱字は一字もなかったと言われるほどの才女だったのです。女性はなかなか姓しか残らない時代に、しっかりと名前が残っている蔡文姫は、やはり実在し活躍した女性と言えるでしょう。

甘夫人

甘夫人は、劉備(玄徳)の側室であり、劉禅の母にあたる女性です。当然、正史三国志に登場しており、三国志の時代に実在した女性となっています。劉備(玄徳)が豫州刺史として小沛に移ったころに、甘夫人は側室になったとされています。甘夫人は身分が低いことで、正室になることはなかったのですが、一番長く連れ添っており、実際には奥向きのことを取り仕切っていたとされています。

甘夫人で有名なのは、長坂の戦いです。曹操の軍勢が南下して長坂で追いつかれると、劉備(玄徳)は甘夫人や幼い劉禅を置いて逃げてしまいます。結局、趙雲が幼き劉禅を抱いて、甘夫人を保護したことによって、難を逃れているのです。もちろん、甘夫人は三国志演義にも登場しており、正史三国志とは少し違ったエピソードが描かれています。

張春華

張春華は、司馬懿の正室であり、司馬師や司馬昭らの母親でもあります。張春華は、なかなか強烈なエピソードを残しています。司馬懿が曹操に出仕を命じられるのですが、司馬懿は病気を理由にやんわりと断るのです。後日、司馬懿は書物の虫干しをしていると急に雨が降ってきたので、急いで部屋の中に取り込みます。この様子を1人の侍女が目撃してしまうのです。この侍女が司馬懿の詐病を漏らせば危険だと考えた張春華は、この侍女を口封じに殺してしまうのです。

また、年を取り張春華は司馬懿と会う機会が減っていました。ある時に、司馬懿が病気に倒れたと知り、張春華は夫を見舞うのですが、司馬懿は「おいぼれは小憎らしい。今さら何の用だ」と言ったのです。これに対し、張春華は怒って断食したのです。しかも、息子たちも断食し、最終的に司馬懿は張春華に謝ります。このように、張春華はなかなか気が強い一面を持っており、強烈なエピソードを残しているのです。

3.まとめ

今回は、三国志の時代に活躍した実在する女性について紹介してきました。当時は男尊女卑が強い傾向があり、資料などでも女性は姓しか残っていないケースが多いです。また、三国志関連のゲームでは、実在しない架空の女性も多くいるのです。

もちろん、今回紹介した女性たちは、本当に実在したとされている女性となっています。男尊女卑が強い中でも、女性が活躍していたのです。やはり、「女性は強し」ということなのかもしれませんね。

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