三国志時代に占いってあったの?代表的な占い師とは?

三国志時代に占いってあったの?代表的な占い師とは?

現代でも占いはとても人気です。星占いやトランプ占いなど、様々な占いがあります。そこで気になるのが、三国志の時代にも占いがあったのかではないでしょうか?今回は、三国志の時代にあった占いや代表的な占い師について紹介していきます。


1.古代中国から占いは人気

もっとも古いのは「亀甲占い」

三国志の時代の前から、中国では占いが存在しています。古代中国の神話まで、占いの歴史は遡る必要があるのです。中国のおける占いの歴史で最も古いのは「亀甲占い」です。これは殷の時代(紀元前17~12世紀ごろ)に始まった占いとされています。三国志の時代が、2世紀後半~3世紀だと考えれば、いかに古い時代から占いが存在していたのかがわかります。

ちなみに、亀甲占いとはカメの甲羅を用いた占いのことです。甲羅のひび割れの形によって占います。しかし、のちにカメの甲羅が入手困難となり、周の時代(紀元前12~8世紀)には草の茎を使った占い方法が編み出されているのです。

「易」も誕生!

占いと言えば、「易」が有名であり、「易学」と呼ばれることもあります。「陰と陽」や「森羅万象」を説いたとされる『易経』がルーツになっているとされています。ちなみに、当時の占いは現代のような気軽なものではありません。基本的に、国の存亡など極めて重要な問題に対し、真剣な解決法として占いが存在していたのです。

この「易」は、三国志の時代でも重宝されています。三国志の時代で、占い師として有名なのが管輅です。管輅は『易経』などを学び、占い師として三国志の時代を生き抜いているのです。

2.三国志の時代の占い師!

管輅

三国志の占い師として有名なのが管輅です。管輅は『易経』などを学ぶことで、不思議な力が身についたと言われており、誕生日や寿命を言い当てることができたとされています。管輅が鍾毓のもとを訪れた際に、自分の誕生日を占わせます。すると、管輅は完璧に誕生日を言い当てたのです。ちなみに、鍾毓はこれに驚くも、寿命は占わないようにさせたと言われています。きっと、管輅の実力が本物だと感じ、寿命を知るのが怖かったのでしょう。

また、管輅は自身の寿命についても当てています。弟が管輅に対し「大将軍はあなたに厚意を持っているので、高い身分が望めますね」と言ったのですが、管輅は自分の寿命は47歳~48歳ごろに尽きてしまうと予言しています。そして実際に、管輅は48歳で病死してしまうのです。

趙達

三国志の占い師なら、趙達も有名です。趙達は、「九宮一算の術」という占いで有名となっています。九宮一算の術とは、占術と数学を組み合わせたような占いとされています。趙達は、孫権に仕えた時期があり、趙達に占わせた結果は、ことごとくその通りになったと言われているのです。孫権は趙達の術を知ろうとするのですが、趙達は教えなかったとされています。

実は、趙達は誰にも九宮一算の術を教えていないのです。公孫滕は若い時分から趙達に師事したのにも関わらず、秘伝を伝授してもらうことはありませんでした。ちなみに、趙達の死後、孫権は占術の秘伝を盗もうと書物を手に入れようとします。趙達の娘を捕らえて責め質し、棺の中まで探すのですが、結局書物は見つからず、九宮一算の術の秘伝は分からなかったのです。

呉範

孫権の配下として活躍した占い師が呉範です。暦法と風気(風占い)について詳しい人物として有名であり、孫権のもとで数々の予言をしています。孫権は呉範の占い・予言の秘訣を聞きだそうとするも、呉範は教えることはありませんでした。呉範は、この秘術を教えてしまえば、捨てられると考えていたとのことです。

呉範は孫権に対し、いずれ呉王になることを予言しています。孫権はこの予言が当たれば、呉範を候に報じることを約束したのです。そして実際に孫権は呉王となります。呉範は孫権に約束の事を伺うと、孫権は候の印綬を与えようとしたのです。しかし、この印綬は形だけで意味をなさないと悟り、呉範は固辞したのです。呉範の秘術については、結局誰にも伝えられていません。長男は早死しており、次男はまだ幼かったこともあり、結局秘術は隠されたまま亡くなってしまったのです。

趙直

三国志の時代で夢占いを得意にしたのが趙直です。何祗や蒋琬、魏延などの後漢の人物を占ったとされています。『三国志演義』でも趙直と魏延のやり取りは取り上げられており、有名です。魏延の夢占いでは、「頭に角が生える夢」を見たというものでした。

趙直はこれに対し、「麒麟は角を持っているが、それを用いることはありません。これは戦わずに敵が壊滅するという象徴です」と答えています。しかし、魏延が退出後「角という字は刀を用いると書く。頭の上に刀が用いられるのだから、不吉さは大変なものだ」と近くの者に語っているのです。

実は、この夢は魏延が亡くなることを暗示していると言われているのです。魏延は最終的に首を落とされて亡くなります。趙直は、魏延が退出してから本当の占い結果を述べていたのです。

3.占い師とは違った存在の方士・仙人

方士や仙人とは?

三国志の時代では、方士や仙人が数多く存在します。占い師も方士・仙人に立場が似ているように感じますが、全くの別物となっています。方士や仙人は、呪術や法術などを扱う者のことを指しています。ちなみに、仙人は不老不死を会得した者とされており、方士は不老不死ではありません。イメージとしては、常人と仙人の間に方士がいるといった感じです。三国志時代の方士や仙人としては、左慈や于吉などが有名です。

このように、占い師と方士・仙人とは全く違う類のものとなっています。占い師は予言をしたり、言い当てたりすることはできますが、呪術や法術を使うことはできません。イメージ的には占い師と方士や仙人を一緒にしたくなるのですが、全然違うことを覚えておきましょう。

4.まとめ

今回は、三国志時代の占い師を中心に紹介してきました。当時でも占いというものはありました。実は、三国時代よりずっと前から、中国では占いが存在していたのです。殷の時代(紀元前17世紀~12世紀ごろ)から占いがあると言われており、いかに占いの歴史が古いのかがわかります。

三国志の時代の占い師としては、「易」で有名な管輅や「九宮一算の術」で占った趙達、「夢占い」の趙直などが有名です。三国志の時代には、すでに様々な占い方法があったのです。ちなみに、占い師と方士や仙人は別物となっています。占い師は、基本的に予言をする人であり、呪術や法術などは扱いません。いずれにしても、三国志の時代でも占い師は存在していたのです。

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