三国志・督郵を滅多打ちにしたのは張飛ではない!?

三国志・督郵を滅多打ちにしたのは張飛ではない!?

三国志前半のターニングポイントになる、「督郵滅多打ち事件」。督郵に暴力を振るったのは張飛とされていますが、実は主犯は他にいるようです。


劉備(玄徳)の黄巾討伐はフィクション

劉備(玄徳)の黄巾討伐はフィクション

劉備(玄徳)の黄巾討伐はフィクション

「三国志演義」では、桃園の誓いの後、劉備(玄徳)らは義勇兵を募って黄巾討伐のために、幽州の太守のもとへ向かいます(幽州刺史なのか、どこかの郡の太守なのかは不明)。
幽州の太守を務めていた劉焉は、義勇兵募集の高札を立てていたからです。
劉焉は劉備(玄徳)らを迎え入れ、校尉である鄒靖の部隊に組み込み、見事に大興山に陣取る大将の程遠志と副将の鄧茂を討ち取ります。

「三国志正史」によると劉焉は冀州刺史こそ歴任したことはありますが、幽州では刺史も太守も務めていません。黄巾の乱が発生して以降は、益州の牧として、幽州から遥か遠くで反乱軍を鎮撫しています。
なぜ三国志演義は劉焉と劉備(玄徳)を無理やり結びつけたのでしょうか?
それは蜀の基盤を築いたのが劉焉だからです。劉焉から子の劉璋に益州は受け継がれ、そして劉備(玄徳)に奪われます。
三国志演義は、劉焉と劉備(玄徳)を結び付けておくことで、劉備(玄徳)が益州を制圧する正統性を少しでも高めたかった狙いもあったのでしょう。

劉備(玄徳)は程遠志らを討った後は、豫州で地公将軍・張宝を撃破、さらに荊州では孫堅と協力してどんどん黄巾の反乱を鎮圧していきます。
しかしこれも三国志演義の創作で、三国志正史には、鄒靖に従って黄巾を討伐したとしか記されていません。
三国志演義では主役の劉備(玄徳)をヒーローにすべく脚色されているのです。

冀州安喜県尉となる

冀州安喜県尉となる

冀州安喜県尉となる

黄巾の討伐に参加した劉備(玄徳)は、その功績によって冀州安喜県尉に任命されます。こちらは三国志正史にも記載されています。三国志演義では、あれだけ活躍したはずなのに地方の下役人にしかなれなかったと恨み節です。それでも劉備(玄徳)は不平不満も漏らさずに、着任して善政を敷き、領民に慕われるようになります。

「尉」というのは、武官系の官位で、軍事や警察、刑罰などを扱っていたようです。朝廷には「太尉」という官位があり、こちらは三公のひとつになります。郡には都尉がおり、県には県尉が置かれました。
劉備(玄徳)は地元警察のような役割で、悪を取り締まったのではないでしょうか。なにせ側近には猛将として名高い関羽と張飛がいます。逆らえる者がいるはずがありません。
この時期は朝廷の権威も失墜していましたから、反乱なども各地で発生しています。劉備(玄徳)はそのような戦乱から領民を守り抜いて名声を高めたのでしょう。
しかし、ここにお邪魔虫が登場してきます。それが「督郵」です。

督郵とは個人の名前ではない

督郵とは個人の名前ではない

督郵とは個人の名前ではない

三国志正史においても、三国志演義でも、そんな劉備(玄徳)の善政をぶち壊すべく登場するのが督郵になります。かなりインパクトのあるシーンなので、三国志において、督郵の名は有名です。しかし個人の名前ではありません。官位です。

督郵とは、郡太守の視察官になります。所轄する県の役人の治績や法規などを監察し、評定するのが役目です。犯罪行為を行っている役人を取り締まるわけですから、風紀を正しには必要な役職なのですが、劉備(玄徳)のもとに派遣された督郵は悪人でした。

督郵は劉備(玄徳)に対して横柄な態度で、劉備(玄徳)が皇族宗家を騙っていると侮辱します。劉備(玄徳)の善政も否定しました。それでも劉備(玄徳)はこらえます。さらに督郵は、劉備(玄徳)が賄賂を贈らない姿勢を見せたことから怒り、劉備(玄徳)を犯罪者に仕立てあげようとします。まさに官の腐敗を象徴するような場面です。
イメージするのならば、忠臣蔵に登場する浅野内匠頭と吉良上野介の関係に似ているかもしれません。頭にきた浅野内匠頭は、江戸城松之大廊下で刀を抜いて吉良上野介に斬りかかっています。

督郵反撃を受ける

督郵反撃を受ける

督郵反撃を受ける

ここからのお話は諸説あります。
まず一番有名なのは、三国志演義のシーンでしょう。張飛の怒りが爆発して、督郵を縛りつけ、木に吊し上げると、柳の枝で滅多打ちにするのです。
劉備(玄徳)はそんな張飛を止めて、諫める役目です。我慢強く、仁徳深い劉備(玄徳)らしい行動ではないでしょうか。
この後、劉備(玄徳)は関羽とも話し合い、張飛を連れて出奔します。ここは自分の活躍する場所ではないと悟ったからです。督郵の悪行など氷山の一角に過ぎず、民に善政を敷くためには国全体を正す必要性を感じたのでしょう。

この三国志演義の原典が「平話」なります。民衆が愛した三国志の話ですが、ここに登場する張飛は、枝で打つといった優しい対応はしていません。督郵を縛り上げて殺害し、さらに首や手足をバラバラに切り刻んで、それを門に吊るしました。
ホラー映画も真っ青の残酷なシーンになります。しかし民衆には、権力に暴力だけで立ち向かう張飛像は受け入れられていたようです。

それでは、三国志正史にはどのように記されているのでしょうか?
こちらでも横柄な態度を取る督郵は、劉備(玄徳)の面会要求を拒否しました。三国志正史の劉備(玄徳)像は、乱世の英雄らしく猛々しさを有しています。劉備(玄徳)は怒って督郵が滞在している場所に押し入り、縛り上げた挙句、杖で200回ほど打ちすえたのです。
杖で200回も打ちすえられたのでは、普通に考えて死亡しています。まさに悪を取り締まる警察官の役目をまっとうしたわけですが、やり過ぎといった気もします。とても仁徳深い人間の所業ではありません。

まとめ・三国志演義はちょうどバランス良く話をまとめた

まとめ・三国志演義はちょうどバランス良く話をまとめた

まとめ・三国志演義はちょうどバランス良く話をまとめた

ということで、三国志正史の話をまともに扱ったのでは、読者が混乱する可能性があり、下手をするとアンチ劉備(玄徳)を生み出しかねません。ということで三国志演義では却下されたのです。
ですから劉備(玄徳)が官の腐敗に対して納得がいかないのは変わりないのですが、乱暴を働くのは張飛の役目になります。かといって殺してしまうのはさすがに問題あるので、柳の枝で打つぐらいで抑えられています。
あくまでも劉備(玄徳)は理想の仁君であり、腐敗に染まることもなく、また冷酷な行動もしません。勇んだ張飛をなだめるのがちょうどいいくらいです。

もしかしたら本当の劉備(玄徳)は関羽や張飛以上に荒々しく、一度火が付くと手が付けられなかったかもしれません。だとしたら、逆に現代でも劉備(玄徳)の人気は衰えることがなかったのではないでしょうか。
理想像を押し付けられた劉備(玄徳)ではなく、素の劉備(玄徳)をぜひ知りたいですね。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


張飛 劉備

関連する投稿


英雄たちの物語はここから始まった!「桃園の誓い」とは?

三国志は今から約1800年前、昔の中国の史実です。(史実を元にした小説でもあります。)役人のわいろなどが横行し、治安の乱れた世を正そうと同じ志を持った若者3人が出合うところから三国志ははじまります。この出会いのシーンで最も有名なのが「桃園の誓い」なのです。


まるでコント!語り継がれてきた 桃園の誓い 三兄弟の姿とは?

『三国志演義』には作者・羅貫中の創作がさまざま盛り込まれており、劉備(玄徳と関羽、張飛の3人が志を確かめ合い、義兄弟の契りを交わす“桃園の誓い”もそのひとつ。羅貫中は民間伝承も参考にしたそうなのですが……。さて、桃園の誓い、桃園三兄弟は中国の人々の間でどのように語り継がれてきたのでしょうか?


ギャップ萌え?猛将・張飛の可愛らしさを探ってみた

「三国志で好きな武将は?」と質問したとき、「張飛」と答える男性はかなりいるのですが、女性にはなかなかお目にかかれません。イケメンに描かれていることが少ないから?でも、だからこそ女性にグッとくるポイントがあるんです!このコラムを読んだあと、「張飛素敵!張飛最高!」と張飛に心を鷲掴みされているかもしれません……。


そうだったのか!?英雄たちの前職や職歴

蜀の初代皇帝の劉備(玄徳)、関帝聖君として祀られ神様になった関羽、五虎将のひとりに数えられる張飛、漢の丞相となり魏国の基盤を作った曹操も呉を建国した孫権の父孫堅も、もともとは一端の商人や小役人だったのですが、小説やドラマではあまり触れられることがありません。英雄たちはどんな職業について生計を立てていたのでしょうか。


三国志お笑いネタ(2)

三国志のお笑いネタとして、前回も下らないエピソードをご紹介しました。爆笑とまではいきませんが、クスっと笑えるネタを今回もお届けします。


最新の投稿


三国志ってなんなのさ? 魏・呉・蜀って世界史で学んだような?

『三国志』は、後漢末期から三国時代にかけての中国大陸を舞台に、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う壮大なドラマと言えます。 その魅力を伝えたい。なぜ、魅力があるのか考えながら解説していきます。


”匈奴”草原を風のように駆け抜け帝国を震え上がらせた遊牧の戦士

想像してみてよ。広大なモンゴル高原を、風のように馬を駆け巡る人々がいたんだ。彼らは「匈奴(きょうど)」って呼ばれる遊牧騎馬民族。時は紀元前3世紀末から後1世紀末。彼らの暮らしはまるで大地と一体化したようで、馬と共に移動しながら生きていた。その姿は勇猛果敢で、各地の国々を相手に壮絶なバトルを繰り広げていたんだよ。


キングダム 蒙恬の死因とは? その真実に迫る

蒙恬は、コミック、キングダムにおいて主人公・信と同世代の武将であり、名門武家の出身でありながら、飄々とした性格で周囲を和ませる一方、戦場では冷静沈着な指揮官として才能を発揮。楽華隊、その旗印である「楽」の文字通り、戦場においてもどこか余裕を感じさせる姿は、多くのファンを魅了しています。史実では?死因は?興味あり。


キングダム 李牧 の史実を知りたくなった方、必見!

キングダムの李牧の活躍シーンを見て、その圧倒的な存在感に心を奪われた経験はありませんか? 趙の名将・李牧は、作品の中でも特に印象的な人物として多くのファンの心を掴んでいます。漫画やアニメ、映画で 李牧 の活躍を追っている人も少なくないでしょう。最強の知将として知られる李牧の人物像をご紹介します。


秦の始皇帝の時代、李信 の実像と影響

李信(りしん)は、中国春秋戦国時代末期の秦国で活躍した将軍で、秦の始皇帝(秦王政)の下で多くの戦役を指揮しました。彼の正確な生没年は不明ですが、紀元前3世紀の秦の統一戦争で中心的な役割を果たしました。『史記』においては、「若く勇壮で、軍事的才能があった」と記されており、特にその若さと大胆さが目立った人物として描かれ


アクセスランキング


>>総合人気ランキング

最近話題のキーワード

三国志の魅力と登場人物で話題のキーワード


故事 三顧の礼 泣いて馬謖を斬る 苦肉の策(苦肉計) 破竹の勢い