1.そもそも仙人って?
■ 1.そもそも仙人って?
1.そもそも仙人って?
中国が発祥の仙人!
■ 中国が発祥の仙人!
中国が発祥の仙人!
日本で仙人と言えば、老人で不老不死などのイメージが強いと思います。あながち、そのイメージは間違っていません。仙人とは、中国本来の神々や修行をした後に神に近い存在になった者のことを指しています。また、仙人だけでなく、「神仙」「真人」「仙女」などとも呼ばれています。
ちなみに、仙人は基本的に男性を示すのですが、女性の仙人も数多くいるとのことです。また、仙人になるための修行をしている者のことは、「道士」「方士」などと呼ばれています。さらに、神仙はもともと神です。
結局、仙人とは?
■ 結局、仙人とは?
結局、仙人とは?
仙人は、道教で理想とされる神に近い存在のことです。道教は、中国三大宗教の1つであり、中国から古くある宗教です。道教では、仙人になることを理想としています。仙人になるためには、様々な修行があるのです。
具体的な修行方法としては、呼吸法や歩行法、食事・住居の選び方などがあると言われています。仙人になれば、錬丹術によって不老不死などの霊薬を作ることができるため、仙人=不老不死のイメージが強いとのことです。
ちなみに、錬丹術で仙薬を作る際には、水銀を原料としています。そのため、不老不死の探求者や仙人になろうとした者の中には、水銀中毒になる事例が多かったとされているのです。
2.三国志に登場する仙人
■ 2.三国志に登場する仙人
2.三国志に登場する仙人
左慈
■ 左慈
左慈
三国志に登場する仙人で有名なのは、やはり左慈ではないでしょうか。ただ一説では、左慈は仙人ではなく、方士との説があります。左慈は、「正史三国志」「三国志演義」「神仙伝」などで紹介されており、実在した者とされているのです。
正史三国志では、曹操とのエピソードが残されています。左慈は曹操の宴席に招かれます。曹操が何気なく「江東の鱸があれば」と呟くと、左慈は水をはった銅板に糸を垂らし鱸を釣り上げたのです。さらに、「巴蜀の生姜がないのか」と呟くと、左慈はすぐに生姜を手にして帰ってきたと言われています。
さらに、曹操が従者とともに出かけた際、左慈は酒と肉を配っていきました。従者は酒と肉に満足し、酩酊状態だったのですが、曹操は不思議になって調べさせます。すると、酒蔵から酒と肉が無くなっていたのです。曹操は左慈を捕らえるように命令するのですが、左慈は壁の中に消えていったとされています。
その後、陽城山の山頂で左慈を見かけたという証言があり、曹操は逮捕に向かわせます。すると左慈は、羊の群れに飛び込んだのです。曹操は、「殺すつもりはない。君の術を試したかっただけだと」伝えると、一頭の羊が二本足で立ちあがって人間の言葉で返事をしたのです。逮捕に向かった者が一斉に飛びかかったのですが、数百頭の羊が立ち上がって人間の言葉を話し、結局左慈を捕まえることはできなかったとされています。
このように、左慈は不思議な術を何度も使っていることが、正史三国志に記されているのです。このようなエピソードは、正史三国志以外にも三国志演義や神仙伝などにも記されています。
于吉
■ 于吉
于吉
左慈とならんで、仙人として有名なのが于吉です。于吉のエピソードは、三国志演義に記されており、孫策とのエピソードがよく知られています。そのエピソードとは、孫策が袁紹からの使者として訪れた陳震をもてなすために、呉郡の城門の楼上にて宴会を開いているさいに于吉が登場することから始まります。
于吉は、小走りに楼上の下を通り過ぎようとするのですが、于吉は仙人として知られており、宴会に出席している武将や来賓客の多くが于吉を出迎えて礼拝してしまうのです。宴会係の役人は、大声で止めるように言っても、止めることはできません。この様子を見た孫策は、妖術は人心を惑わせるとして、于吉を捕えてしまうのです。于吉を信仰する者は数多くおり、孫策に対して于吉の助命嘆願をするだけでなく、孫策の母親にまで助命嘆願をする信者が現わるほどでした。
そこで孫策は、「干ばつが続いているから雨を降らせよ。降らせることができれば命を助けてやる」と于吉に祈禱を行わせたのです。于吉が祈禱しても、なかなか雨が降ってきません。そこで怒った孫策は、于吉の周りに積んだ柴に火をつけて、于吉を焼き殺そうとします。すると、雷雨が起こったのです。これで于吉は助かると誰もが思ったのですが、孫策は「天候を人に動かせるわけない」と約束を反故にして于吉を殺したのです。
于吉の死後、孫策は于吉の幻影を見るようになったとされています。様々な場所に于吉が現われ、孫策は疲れ果て謎の死を遂げたとされているのです。三国志演義のエピソードであり、創作部分も多くあるのですが、于吉がいかに凄い仙人だったのかわかるエピソードです。
3.三国志に登場する神仙
■ 3.三国志に登場する神仙
3.三国志に登場する神仙
関羽
■ 関羽
関羽
実は、関羽は神仙のひとりとされています。ただし、道教において関羽が神格化されるのは、少し時代が遅いです。明の時代に、『道法会元』で「関元帥」と記されており、さらに後に「協天大帝関聖帝君」と記されて神格化されています。
関羽が神仙とされるのは、関羽が信仰によって神格化されたことによるものと言われています。そこで疑問になるのが、なぜ関羽信仰が起こったのかではないでしょうか。ポイントになるのが、関羽は下層の出身で庶民が親しみやすかったからです。また、関羽の死もまた、関羽信仰のルーツとされています。
関羽は、219年の樊城の戦いによって呂蒙に討たれてしまいます。しかし、関羽を討った呂蒙は直後に病死しており、呂蒙の副将だった孫皎も病死するのです。さらに、翌年には曹操が病死するなど、関羽に関係した人物が何人も相次いで亡くなっているのです。
中国では、非業の死を遂げた人には霊力が宿るとされており、相次いで亡くなった理由を関羽と結び付けたのです。もともとの庶民からの人気に加え、死後の展開によって関羽への信仰は強くなり神格化され、神仙と言われるようになったとされています。
4.まとめ
■ 4.まとめ
4.まとめ
今回は、仙人について紹介してきました。三国志には、仙人が何人も登場します。すべてが本当のエピソードではないでしょうが、もしかしたら本当に妖術の類を操ることができたのかもしれません。あの関羽も神仙とされており、神格化されているのです。仙人たちが三国志に登場することで、三国志がより一層面白くなります。ぜひ、三国志好きの方は、登場する仙人などについても興味を持ってみてください。