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個人的に三国志の武将に年俸を付けたらこうなった

個人的に三国志の武将に年俸を付けたらこうなった

多くの人が三国志で一番強い武将に呂布(奉先)を挙げます。しかし彼はよく君主を裏切る人物だったので自分が君主だった場合彼に多くの年俸を払いたいと思いたくはないでしょう。ここでは独断と偏見で「自分が君主だったら誰にどれだけの年俸を払いたいか」という事を紹介したいと思います。プロ野球などの年俸を意識してもらえたら幸いです。


女性に薦めたい三国志の武将~呉編~

女性に薦めたい三国志の武将~呉編~

三国志の登場人物の多くは「人情味あふれる武将」「一騎当千となるような豪将」と言った男性に好かれる面を押し出していることが多いです。そういった場合あまりルックスや、モテ要素などは語られないのですが、ここでは逆にそういった要素たっぷりの呉の武将を紹介します。架空で誰と付き合いたいか考えてみてください。


これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

三国志に登場する人物には名前や字の他にあだ名がつけられる者もいました。ここでは君主と軍師についてのあだ名について紹介します。「伏龍」や「鳳雛」というあだ名を聞いてそれが誰を指すのかが理解できたら三国志通と言っても過言ではありません。さらになぜそういうあだ名になったのかという事も紹介したいと思います。


知略NO.1は俺だ!諸葛亮(孔明)に待ったをかける天才たち

知略NO.1は俺だ!諸葛亮(孔明)に待ったをかける天才たち

三国志で知略NO.1と言ったらやはり諸葛亮(孔明)を推す声が多いです。しかし他にも知略に長ける軍師は多数存在します。ここではそんな諸葛亮(孔明)を推す声に待ったをかける軍師について紹介したいと思います。


蜀を陰ながら支えた武将!目立ちはしないが優等生な龐統の人生を振り返る!

蜀を陰ながら支えた武将!目立ちはしないが優等生な龐統の人生を振り返る!

蜀には心優しく民を思う武将が集まったとされています。もちろん関羽のように三国志に絶対欠かせない存在になった人もいれば、陰ながら蜀を支えた武将もいます。 そこで今回は目立ちはしなかったものの蜀を支えた武将である龐統について紹介します。


赤壁の戦いの真実

赤壁の戦いの真実

三国志の中で最大の合戦と言われる「赤壁の戦い」。演義では諸葛亮の圧倒的な才覚の前に周瑜や魯粛もタジタジで曹操がコテンパンにやられます。ですが、東南の風を人為的に起こしたり関羽が曹操を見逃すのを見越したりと流石に現実的にはちょっと・・・というシーンも多々あります。正史の赤壁の戦いは一体どうだったのでしょうか?


劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

諸葛亮(孔明)と同等かそれ以上の才能を持つとも言われた龐統(士元)。赤壁の戦いの頃から三国志に登場しますが、その才能を十分に発揮することなくこの世を去ってしまいます。短くも深く色濃い生涯となる「龐統(士元)の三国志」を見て行きます。


イケメン!?ブサイク!?な武将たち

イケメン!?ブサイク!?な武将たち

いつの時代にもイケメンがいればブサイクもいます。三国志演義では孫策・周瑜・趙雲・呂布・馬超辺りがイケメンな描写をされています。一方、身なりが冴えなかった(ブサイク)として書かれる武将もいます。彼らは本当にイケメン、あるいはブサイクだったのでしょうか?


史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】③

史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】③

呂蒙は周瑜亡き後、重鎮として成り上がっていきます。そんな中、孫権と劉備(玄徳)が再度手を組んで曹操と対決するようになっていきます。呂蒙は合肥や濡須口での戦いで曹操軍と死闘を演じていきます。呂蒙の魏との決戦や呉でも評価を得ていた人柄をみていきましょう。


史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】①

史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】①

三国志の中でも魏と蜀という強敵相手に対等に戦った武将というのは数少ないものです。その中でも呂蒙は孫策や孫権、周瑜のもとで功績を挙げていき、ついには大都督にまで登りつめました。そんな呂蒙の軌跡をみていきましょう。


周瑜(公瑾)の才能と周りの人物が凄すぎる件

周瑜(公瑾)の才能と周りの人物が凄すぎる件

赤壁の戦いで大都督として孫権軍、劉備軍を率いた周瑜(公瑾)とはどういう男だったのだろうか。彼の能力、周りの人物、エピソードなどから彼の生涯についてみていきたいと思います。周瑜(公瑾)を知ると諸葛亮(孔明)に引けを取らない人物だったと思うかもしれません。


三国志演義に描かれた周瑜(公瑾) 諸葛亮(孔明)に惜しまれたその才能

三国志演義に描かれた周瑜(公瑾) 諸葛亮(孔明)に惜しまれたその才能

呉の水軍大都督であった周瑜(公瑾)。赤壁の戦いでは劉備軍と連合して曹操(孟徳)の巨大水軍を壊滅させるなど、その実力は随一。駆け引きにおいても常に曹操(孟徳)より上手を行く知力の持ち主でした。華々しい活躍を見せた英雄でしたが36歳でこの世を去ってしまいます。


三国志演義に見る蜀将の活躍、逸話はフィクションが多い!?

三国志演義に見る蜀将の活躍、逸話はフィクションが多い!?

三国志演義は劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)といった蜀の武将、官吏を贔屓した描写が多いです。実際その場ではなにもしていないのにさも獅子奮迅の活躍をしていたことになっていたり、神様のように描かれることもしばしばあります。それでは三国志演義にある蜀将にまるわるフィクションをお届けしましょう。


政略結婚 劉備(玄徳)と孫尚香の結婚 そして切ない結末

政略結婚 劉備(玄徳)と孫尚香の結婚 そして切ない結末

赤壁の戦い後の混乱に乗じて荊州を占領してしまった劉備軍。呉はあの手この手を使ってこれを排除しようとしますがウマク行きません。兵を差し向けてもダメ。外交交渉をしてもダメ。業を煮やした周瑜(公瑾)は策を講じます。孫権(仲謀)の妹である孫尚香と劉備(玄徳)を結婚させるというモノです。


呉の孫氏一族を支えた華麗なる知将リレーとは?

呉の孫氏一族を支えた華麗なる知将リレーとは?

三国時代の知将として代表的なのは蜀の諸葛亮(孔明)と魏の司馬懿(仲達)です。三国志のシミュレーションゲームでも、軍師として誰もが欲しがるビッグネームですが、呉の孫権(仲謀)配下には彼らのような大物軍師はいませんでしたが、知将として名高い武将たちがリレー形式で孫一族を支えていったのです。


若者には負けん! 三国志で奮闘した“おじいさん武将”たち

若者には負けん! 三国志で奮闘した“おじいさん武将”たち

以前このコーナーで「ハイパーおじいさん」たちを紹介しましたが、武将だって負けていません。老いてますます盛んな「おじいさん武将」たちを紹介しましょう。中高年どころか熟年の星となる獅子奮迅の活躍を見せてくれますよ!


赤壁の戦い~えっこんなことがあったの~

赤壁の戦い~えっこんなことがあったの~

三国志で最大の戦いの一つといっても過言ではないのが赤壁の戦いです。数で圧倒する曹操軍に対して孫権軍・劉備軍の連合軍が勝ったわけですが、この戦いでは「えっそんなことがあったの?」と拍子抜けしてしまうことも多々ありました。そんなエピソードについて紹介したいと思います。


リーダーになったらお手本にしたい三国志の武将・君主7選

リーダーになったらお手本にしたい三国志の武将・君主7選

三国志では、多くの武将・君主が登場します。なかには、現代社会でもお手本にしたいようなリーダーシップのある武将・君主がいるのです。そこで今回は、三国志に登場するリーダーになったらお手本にしたい武将・君主7選を紹介していきたいと思います。


赤壁開戦までの論争 諸葛亮(孔明)命を賭した大論陣

赤壁開戦までの論争 諸葛亮(孔明)命を賭した大論陣

208年、河北一帯をほぼ平定した曹操(孟徳)は、中国全土の統一を目指し南征軍を興します。当時の中国南部の大きな勢力は荊州と呉国でしたが、劉表(景升)が亡くなった荊州が進撃してきた曹操軍に降伏。劉備軍は江夏、夏口へ逃亡しますが、曹操(孟徳)有利の体勢がますます強化されてしまいました。


赤壁の戦い 兵士数で圧倒しながらも謀略戦で完敗した曹操軍

赤壁の戦い 兵士数で圧倒しながらも謀略戦で完敗した曹操軍

曹操(孟徳)が袁紹(本初)を滅ぼした「官渡の戦い」と同様に「大戦」となることが容易に想像できる呉国との戦い。曹操(孟徳)は自軍の戦いを優位に導くため、実践前に様々な「謀略」を用います。しかしそれは、呉国も同様でした。国の存亡を賭けての戦い。ここに「実践前の謀略戦」が繰り広げられます。