これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

三国志に登場する人物には名前や字の他にあだ名がつけられる者もいました。ここでは君主と軍師についてのあだ名について紹介します。「伏龍」や「鳳雛」というあだ名を聞いてそれが誰を指すのかが理解できたら三国志通と言っても過言ではありません。さらになぜそういうあだ名になったのかという事も紹介したいと思います。


諸葛亮(孔明)のあだ名~伏龍~

三国志好きでなくても名前はもちろん功績についても知られている諸葛亮(孔明)。彼は国のトップである皇帝になったわけでもないのに誰よりも知名度が高いです。それは武器を開発するといった知能の高さ、誰にも気づかない視点から繰り出す戦術、関羽(雲長)、張飛(翼徳)と言った超大物将軍を説き伏せる情熱。そういったものを兼ねそろえていたのが諸葛亮(孔明)です。
そんな諸葛亮(孔明)には「伏龍」というあだ名がありました。劉備(玄徳)の元で敏腕をふるっていた諸葛亮(孔明)ですが元々誰にもつかず三国志の舞台で活躍していたというわけではないからです。高い能力があるものの、地面の中にもぐって隠れている竜という事で子のあだ名がつけられました。
諸葛亮(孔明)の存在を知った劉備(玄徳)は三顧の礼(自ら三度諸葛亮(孔明)の元を訪れて自分の力になってくれるように懇願する)をもって彼を自陣の軍師として迎え入れることに成功しました。
そして「伏龍」という前評判をけがすことなく劉備(玄徳)を見事ささえ、実質「蜀」のトップとなりました。
※ちなみに伏龍ではなく臥龍と言われることもあります。

龐統(士元)のあだ名~鳳雛~

諸葛亮(孔明)ほど知名度はないですが、彼に匹敵するほどの天才とあがめられていた人物が龐統(士元)です。それを物語るのが「伏龍か鳳雛を軍師に就けることができたら天下を取ることができる」というエピソードがあります。
伏龍は諸葛亮(孔明)、鳳雛は龐統(士元)を指し、いずれも戦場に顔を表しているという訳でもないのに陰ながら高い評価を受けていました。
彼は実際早くに亡くなりそこまでの実績を上げることができませんでしたが「長生きできていたら歴史が変わっていた」と言わしめるほどの潜在能力を持っていた人物でした。
結局伏龍、鳳雛の両名を軍師として迎え入れた劉備(玄徳)は天下統一を果たすことはできませんでしたが、鳳雛というあだ名だけあって他国の脅威になっていたのではないかと思います。
とは言え化け物ぞろいの子の三国時代において「伏龍か鳳雛を軍師に就けることができたら天下を取ることができる」という考えはいささか甘すぎるのではないかというのが個人的意見です。

孫策(伯符)のあだ名~小覇王~

孫策(伯符)は父の孫堅(文台)の後を受け呉の礎を築いた君主ですが、彼は珍しく親の七光りを使ったわけではない人物です。孫策(伯符)の父、孫堅(文台)は早くして亡くなったので孫策(伯符)は権力をほとんど持っていませんでした。
そんな孫策(伯符)は若いころから天武の才があり、孫堅(文台)も「こいつがいれば私がいなくなっても大丈夫」と言わしめるほどで「小覇王」というあだ名があったほどです。
ただならぬあだ名がついていたわけですがそのあだ名に恥じぬ活躍をしたのも事実です。
孫策(伯符)は袁術(公路)から3000の兵を借りると破竹の勢いで領土を拡大し、一大旋風を巻き起こしました。
一騎打ちにも強く三国志でも10本の指に入るほどの豪傑、太史慈(子義)と互角の戦いを繰り広げたのです。その後その太史慈(子義)を自軍に招き入れるなど器の広さも「小覇王」に恥じないものでした。
彼は残念ながら早死にしてしまいましたが、彼が弟の孫権(仲謀)に残した遺産は多く、呉が大国に育ったのは彼の功績と言ってもいいでしょう。
「小覇王」という大きすぎるあだ名がぴったりの活躍ができた孫策(伯符)という男がいたという事を知っておいてください。

周瑜(公瑾)のあだ名~美周郎~

諸葛亮(孔明)のライバルにして、赤壁の戦いで大都督という重責を担いました。その後も天才軍師として呉を支え、あと一歩で曹操(孟徳)率いる魏を落とすというところまで国力を上げることに成功したのです。
そんな周瑜(公瑾)には「美周郎」というあだ名がありました。今でいう「イケメン野郎」という感じでしょうか。彼は軍略に優れているだけでなく音楽の才能にもあふれてさらにイケメンだったのです。しかも武芸にも秀でていて、戦っても強いとされていました。
よく諸葛亮(孔明)と比べられがちな周瑜(公瑾)ですが、武力に関して言えば圧倒的に周瑜(公瑾)の方が上だったでしょう。
まさに天から二物も三物も与えられている周瑜(公瑾)。美周郎と言われるだけのイケメンなので女性からの人気はさぞ高かったことでしょう。

曹操(孟徳)のあだ名~阿瞞~

三国志で最も成功した一人で知名度抜群なのが曹操(孟徳)です。三国志演義では劉備(玄徳)のライバル役であったり、赤壁の戦いでは孫権軍・劉備軍の相手になるなど敵役として挙げられたりする曹操(孟徳)。
曹操(孟徳)は有能な部下を次々と味方にし、三国で最も強靭な国を作り三国志の帝王的存在でした。あらゆる書物や漫画、映画でも非道に描かれていることが多く、まさに「ラスボス」と言っておかしくない存在です。
しかしそんな曹操(孟徳)は幼少期「阿瞞」というあだ名がありました。阿瞞の阿は「~ちゃん」という意味で子供によく付けられます。そして阿瞞の瞞は「嘘つき」とか「騙す」という意味があります。つまり阿瞞というのは「嘘つきちゃん」という意味です。
幼少期やんちゃだった曹操(孟徳)ですが、成人になってもその片鱗が見えることが多々あります。死にそうになることは多々あるのに機転を利かせた嘘で命からがら逃げることに成功したり、周りの者が命を懸けて曹操(孟徳)を守ったりしているのです。
嘘によって周りを鼓舞し自分の家臣にいざなっていたという事もきっとあったことでしょう。
彼を見ていると幼少期やんちゃだった方が大成するだろうという事が見えます。逆を言うと幼少期嘘つきでどうしようもないという子供でも彼のように天下に名を轟かせる人物になれるという事です。そういう意味でも「阿瞞」というあだ名を覚えておいても損はないと思いますよ。

まとめ

主君・軍師についてのあだ名を上げましたがいかがでしたでしょうか。人物を知ってからそのあだ名を知るというのが本来の流れですが、逆にあだ名を知ってから「この人物面白そう」と思い深く知るという楽しみ方もありだと思います。
あだ名はその人物の特徴をとらえていることが多く、本編の役に立つことも多々あります。「この人物はあだ名負けしてる」とか「この人物はこういう一面もあったのか」というのが新たに見えるかもしれません。

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