そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

華流映画、ドラマでは三国志は人気の題材です。現地の監督や脚本家が筋書きや監修をしているので、私たち日本人はその描写を真に受けてしまいがちですが、史学的な観点から見ると「そこは違うぞ!」とツッコミを入れたくなってしまう描写が散見されます。今回はそういった相違点についてピックアップします。


居室に土足で入る

居室に土足で入る

居室に土足で入る

華流の時代劇でよく見るのが登場人物たちが邸宅などで自分の居室へ土足で過ごしているシーンです。実は三国志の時代である漢~三国鼎立時代の中国は日本と同じようにちゃんと土間と部屋の床は区別してあり、ちゃんと靴を脱いでから居室に入っていました。また、皇帝や大臣たちが朝議を行う場所である宣政殿という建物内でも入口でちゃんと靴を脱いでから参内していました。意外かもしれませんが、宣政殿では文武百官が集るため、靴の履き違えが頻繁にあったそうです。ちなみに三国志の時代から約400年さかのぼって秦の始皇帝の後継者となった胡亥は、大臣たちが参内すると大臣たちの靴を入れ替えるイタズラをよくして困らせていたという記録が残っています。

椅子に座って食事をとる

椅子に座って食事をとる

椅子に座って食事をとる

三国志のドラマでよく見る光景が、登場人物たちが宴や食事の席で椅子に座って食事をするシーンがあります。しかし、史学的に見ると漢~三国鼎立時代はまだ日本と同じように床に胡坐をかいて食事をしていたそうです。しかも、当時から御膳のような小さな座卓もちゃんとありました。床は板張りなので冬は特に冷たくなります。そのため、いつも座る場所には座布団のように円形に編んだむしろを敷き、その上にあぐらをかいて座っていました。
歴史の授業で習った平安時代の寝殿造りでは人が座る場所にしか畳が敷かれていない記述や絵が残されています。おそらくイメージ的には紫式部の源氏物語を絵巻にした十二単や衣冠束帯姿の男女の絵画のような感じで当時の人々は毎日を過ごしていたことでしょう。

江東人は下駄を履いていた

江東人は下駄を履いていた

江東人は下駄を履いていた

孫権(仲謀)の所領である呉、もとい江東地方は広大な西南は長江に面し、東側は日本海に面しています。そのため、江東地方は漁業が盛んな地域でした。そして最近明らかになったことなのですが、孫堅(文台)、孫策(伯符)、孫権(仲謀)と親子3代に渡って孫呉に仕えた朱然の墓からは木で作られた下駄が出土されました。
ここで注目していただきたいのが、わらじでも靴でもなく下駄であることです。副葬品として棺や霊室にいられる日用品は死後の世界で故人が何不自由なく暮らしていけるようにお供えされるものです。そのため、江東人は下駄を常用していたと考えられます。おそらくわらじや靴よりも下駄のほうが水仕事の多い江東地方の人々のライフスタイルにしっくりきていたのでしょう。

江東人は和服を着用していた

江東人は和服を着用していた

江東人は和服を着用していた

江戸時代までは服を販売するお店を呉服屋といいました。呉服屋では和服(着物)の仕立てや販売を行います。「和服を売っているのになぜ呉服屋なんんだろう?」このような疑問をいだいた方はおりますでしょうか?
実は我々には和服として浸透している着物ですが、これはもともと呉服として日本に入ってきた服であり、その製法や布の折り方は呉から伝わったものなのです。つまり、日本の服と思っていた和服はもともとは孫権(仲謀)が治めていた江東地方の呉で作られ、着られていた服だったのです。
ドラマや映画では和服を着てている人物は出てきませんがその実態は江戸時代の日本人のような出で立ちの人々が江東の街を往来していたことでしょう。

曹操(孟徳)が豪華な食事をしたり高価な食器を使っている

曹操(孟徳)が豪華な食事をしたり高価な食器を使っている

曹操(孟徳)が豪華な食事をしたり高価な食器を使っている

悪玉の代表格のイメージの強い曹操(孟徳)はやはり映画やドラマでも悪そうな人として登場し、満漢全席の豪華な料理を一人で食べ、金銀の食器を用いて食事をする様子が描かれることがあります。しかし、実際の曹操(孟徳)はけちん坊であり、自ら率先して倹約に努めた人物でした。食事に用いる食器は漆器を指定し、食事は十分に栄養のとれる程度の量や質でよいという合理的な人物です。そのため曹操(孟徳)が部下に見せつけるように肉や魚を貪るようにして食べているようなシーンは間違った描写であり、実際は質素な食事をしていたのでした。

武将が朝議の場で武装

武将が朝議の場で武装

武将が朝議の場で武装

武将といえば甲冑で身を固め武装する姿を想像するに難くありません。映画やドラマでは武将は武将らしく甲冑を着たまま皇帝と大臣たちが朝議を行う場に現れるシーンがあります。しかし、これも間違いです。皇帝の前では特別に許された者、禁衛軍の兵士以外は如何なる状況でも武装を解除しなければなりません。これは周公旦が記した「礼記」に明記されていることであり「礼記」は中国における礼儀作法マニュアルです。
皇帝の前で武装解除を免除されている者は曹操(孟徳)ただ一人。それ以外の者は許可がないため、武将だからといって誰しもが甲冑に身を包んだまま参内することはあり得ません。ちなみに皇帝が武装解除を免除するということはその者に絶大な信頼を置いている証拠です。会議の場でいきなり斬りかかられたらいかに皇帝といえども太刀打ちできませんからね。

諸葛亮(孔明)が白羽扇を使っている

諸葛亮(孔明)が白羽扇を使っている

諸葛亮(孔明)が白羽扇を使っている

諸葛亮(孔明)のトレードマークとも言うべき白い鳥の羽で作られた団扇。これの正式名称を白羽扇(はくばせん)といいます。この白羽扇、ハリウッド映画の「レッドクリフ」では諸葛亮(孔明)の役を演じる金城武さんや京劇の俳優さんが持っていますが、諸葛亮(孔明)は実際には使用しておらず、彼は毛扇といって木の柄に馬の尻尾の毛を植え付けた扇を愛用していたと言われています。実際に白羽扇を愛用していたのは諸葛亮(孔明)ではなく、周瑜(公瑾)であり、周瑜(公瑾)は白羽扇を軍配のようにして軍隊の指揮を執っていました。
周瑜(公瑾)のトレードマークがいつの間にか諸葛亮(孔明)のトレードマークへとシフトしてしまったというのですからなんとも素気ないです。

周瑜(公瑾)の憤死

周瑜(公瑾)の憤死

周瑜(公瑾)の憤死

周瑜(公瑾)は矢傷がもとで病にかかり、「天はなぜ私ではなく諸葛亮に才を与えたもうたのかっ」と叫び吐血して憤死したと言われています。これは羅貫中が物語を面白くするために加えた脚色です。実際の死因は病死であり、病の身体を推して参戦したため無理がたたって深手を負ってしまったというのが正しい見解です。

まとめ

まとめ

まとめ

私たちは表現の自由、物語を面白くするための脚色をついつい本当のことのように感じ、作り手の策に溺れてしまいます。本記事を読んでイメージがガラリと変わった方も少なくないことでしょう。さて、いかがでしょうか?我々日本人と同じように呉の人々が下駄を履いていたり、床の上にあぐらをかいて食事をしていたということが分かれば三国志の登場人物たちがより身近に感じられることと思います。


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