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以前このコーナーで「ハイパーおじいさん」たちを紹介しましたが、武将だって負けていません。老いてますます盛んな「おじいさん武将」たちを紹介しましょう。中高年どころか熟年の星となる獅子奮迅の活躍を見せてくれますよ!
はじめは丁原(建陽)を主として仰ぎ、董卓(仲穎)の誘いに乗って父子の契りを結び、王允(子師)が刺客として送った貂蝉(ちょうせん)のハニートラップにまんまとハマって董卓(仲穎)までも殺害した「主殺し」の悪名高い呂布(奉先)。しかし、実は主殺しを繰り返した武将は、他にも・・・。劉繇(正礼)配下の笮融(字は不明)です。
三国志演義は小説らしく独特の脚色が付けられていますが、その中でも演義にしか登場しない人物も複数います。正史に登場しないだけに模写は少ないですが、どのような人物が小説を彩っていたのでしょうか。
魏との戦いにも勝利した陸遜は晩年に常勝となり、名実ともに軍務と政務で最高権力者となります。孫権からの絶大なる信頼を得ていましたが、後継者争いに巻き込まれてしまいます。不遇ともいえた晩年の陸遜の働きと跡を継いだ次男の陸抗をみていきましょう。
苦肉の策(苦肉計)という言葉は、一般的に苦し紛れの策という意味で用いられることが多いのですが、これは間違って広まったものです。
中国人は世界中どこの国にも移住して、独自のコミュニティを築いています。いわゆる「華僑」と呼ばれる人たちのことですが、実はこういった外国に住む中国人のルーツとなっているのは、三国時代にあったという話もあるのです。
多くの人が三国志で一番強い武将に呂布(奉先)を挙げます。しかし彼はよく君主を裏切る人物だったので自分が君主だった場合彼に多くの年俸を払いたいと思いたくはないでしょう。ここでは独断と偏見で「自分が君主だったら誰にどれだけの年俸を払いたいか」という事を紹介したいと思います。プロ野球などの年俸を意識してもらえたら幸いです。
三国志・42歳の若すぎる死、呂蒙はどこまで正当な評価を受けているのか?
孫権軍の名将として名高い呂蒙。優れた軍略家ですが、英雄である関羽をだまし討ちにしたことで後世の人気はあまり高いものではありません。今回は呂蒙の正当な評価について触れていきます。
三国志・劉備(玄徳)に侵略された益州はなぜ一枚岩になれなかったのか
劉備(玄徳)に支配される以前の益州はどのようになっていたのでしょうか。州牧の提案者でもある「劉焉」を中心にして益州の動きをお伝えしていきます。
イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
三国志演義の著者である羅貫中は、劉備(玄徳)を聖人君子として描いています。実話を採用しているところもありますが、蜀の印象が悪くなるようなことはことごとく削除や修正を加えています。一般に広く知れ渡っている劉備(玄徳)のイメージは羅貫中の作り出したものなのです。
歴史上、1国に1人の皇帝が存在していましたが、三国を形成していた当時の中国大陸では複数の皇帝がいました。皇帝は絶対的な権力を持っていたわけではなく、強国の魏に対抗し、権力争いに巻き込まれた蜀と呉の皇帝や後漢末期の皇帝たちを見ていきましょう。
魏の名将には、夏候惇や夏侯淵といった曹操(孟徳)の一族出身以外では、張遼、楽進、于禁、徐晃、張コウら五大将軍が有名です。しかし、同時期に活躍して魏の建国に貢献した満寵(伯寧)を忘れてはなりません。厳格な性格で規律正しく、順調に加速していく領土の中で、常に公明さを以って生き抜いた満寵をここで紹介していきます。
三国志には多くの氏があります。特に権力を有していたり、名門の家柄だったりすると、宗家や分家でも相当数の人物がいます。中でも劉氏や孫氏、曹氏、司馬氏といった皇帝の系列は多く存在しています。そこで、長らく魏に仕えていた武将の夏候氏について、ここでご紹介していきます。
一時代を築いた天性の策士【司馬懿】④ 魏の権力闘争に打ち勝つ
諸葛亮との決戦を終えた司馬懿に待っていたのは、自国での権力闘争でした。司馬懿に意見をできるものもおらず、軍事的な実績のない曹爽一派程度でした。司馬懿は自分の身に危険が及ぶことも察し、病と称して引退してからクーデターを興します。晋の基礎を作った司馬懿の実力をここでみていきます。
結婚は、男女共通で人生の大きなターニングポイントです。三国志でもストーリー上で武将や皇帝の結婚に関する記述がちらほらと見られ、大国の君主たる皇帝の結婚はそれはそれは盛大に執り行われました。本記事では、皇帝の結婚にまつわるお話をさせていただきます。
三国志演義では、劉備(玄徳)の配下に「元黄巾」という肩書を持つ者が複数います。なぜそのような設定になっているのでしょうか?
100年に1人の逸材と言われたのに、そんなに目立たなかった呉の陸遜(伯言)。どんな人?
呉に所属して、そこまで目立ってはいなかったが蜀の将軍たちを脅かしていたため、蜀キラーとも言える武将である陸遜(伯言)についての記事を紹介します。
中国四大奇書として名高い「三国志演義(正式名は三国演義)」と水滸伝。水滸伝は三国志演義よりも1000年近く後の中国が舞台ですが、そこには明らかに三国志演義の登場人物を意識した人物が登場します。
三国志演義は劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)といった蜀の武将、官吏を贔屓した描写が多いです。実際その場ではなにもしていないのにさも獅子奮迅の活躍をしていたことになっていたり、神様のように描かれることもしばしばあります。それでは三国志演義にある蜀将にまるわるフィクションをお届けしましょう。
三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻
あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。