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イメージ崩壊計画(1)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
劉備(玄徳)についてどんなイメージを持っていますか?タイトルの通りこの記事では、そのイメージをひっくり返す情報を提供します。第1回目は三国志演義前半の主人公である劉備です。
劉璋が治めていた頃から益州の名臣と言われていた「法正」と「黄権」。彼らはやがて劉備(玄徳)に仕え、その才能をフルに発揮します。演義では語られることの少ない二人ですが、どのような功績を残したのかを記載していきます
三国志演義では、「南中」と呼ばれる地域が登場します。蜀の南方での争乱を防ぐため、諸葛亮が向かった場所です。また、「七縦七擒」の語源や饅頭の由来となった場所でもあります。孟獲ら南蛮の中心人物や戦い・文化もご紹介します。
三国志・動物に例えられる英雄たちの中で、呉の大物・諸葛瑾は何に例えられたのか
虎や龍、鳳凰や狼などに例えられる三国志の英雄たちの中で、呉の大将軍である「諸葛瑾」もまた、特殊な動物に例えられました。はたして諸葛瑾は何の動物に例えられたのでしょうか?
三国志・もしも小覇王「孫策」が暗殺されていなかったら曹操はどう動いたのか考察
200年に暗殺された「孫策」がもしも生きていたら、曹操は危機的状況に陥っていたことでしょう。はたしてそうなったときに曹操はどのような手を打ったのでしょうか。
強い漢ばかりではない!派手な活躍もせずに、残念な死を遂げた武将3選
三国志の歴史の中には様々な武将がいます。知恵のある武将から一人で戦況を変えてしまうような武将まで、多くの憧れるような武将たちがいました。しかし、その中には、あっという間に死んでいった武将たちもいます。すべての武将がかっこいい最期を遂げていったわけではなく、残念な最期を迎えた武将を紹介します。
「三国志」ってよく聞くけどいったいどういう物なのかイマイチ分からない。もしくは「曹操(孟徳)が劉備(玄徳)を倒して天下統一を果たしたんだよね?」という人は少なからずいるとおもいます。他国の歴史なので知らなくてもそこまで恥ずかしいものではないかもしれませんが、ここでは「三国志においてまず知っておくべきこと」についてまとめてみました。三国志入門なのでここから三国志の世界を知ってもらえたら幸いです。
三国志・赤壁の戦いの一番の功績は諸葛亮のものか、周瑜のものなのか
三国志に登場する戦いで最も有名な「赤壁の戦い」は実は史実と脚色で構成され伝わっています。三国志ファンであれば誰もが注目するこの戦いにスポットを当ててみました。
三国志で一番の悪者は?と問われた際に半数の人が真っ先に董卓を挙げるのではないでしょうか。そんな董卓が何をしたのかハイライト的にまとめてみましたので簡単に知ってもらえたらと思います。董卓は敵が多かったわけですが、実は高官を抑える能力も高く、相国にまで上り詰めました。
結婚指輪が習慣づいていなかった三国志の時代は既婚者をどう見分けたのか?
左手の薬指に指輪をはめている男女を見ると「この人は既婚者だ」と容易に判断することができます。しかし、結婚指輪が習慣づいていなかった三国志の時代はどのようにして未既婚を見分けていたのでしょうか?
三国志・荀彧はなぜ曹操に仕えたのか?荀一族は意図的に分かれた
「吾の子房なり」と曹操に認められた「荀彧」。名門の出自で、同族は董卓や袁紹などに仕えています。荀彧はなぜ、小勢力である曹操に仕えたのでしょうか?
三国志の中で一際インパクトを残した男、呂布。裏切りを重ねながらも己の欲を全うし続けた呂布は、ある意味三国志の中でも魅力的な豪傑だと言えます。そんな呂布の波瀾万丈な生涯をまとめてみました。
英雄であろうと覇者であろうと人間である以上、必ず死は訪れます。彼らは最期の瞬間に何を思ったのでしょうか?2000年前から伝わる英雄たちの最期の言葉を取り上げてみました。また、この遺言、演義と正史の差があまりありません。なので、「この言葉知っている」ということも多いと思います。
曹操(孟徳)が袁紹(本初)を滅ぼした「官渡の戦い」と同様に「大戦」となることが容易に想像できる呉国との戦い。曹操(孟徳)は自軍の戦いを優位に導くため、実践前に様々な「謀略」を用います。しかしそれは、呉国も同様でした。国の存亡を賭けての戦い。ここに「実践前の謀略戦」が繰り広げられます。
三国志 正史でも演義でも評価の高い魏の 李典 は、まさに蜀の趙雲
三国志(時代)の魏には多くの名将や智謀の臣がいますが、その中のひとりに「李典」がいます。地味なイメージの強い李典ですが、蜀の趙雲のような活躍をしているのです。
少帝廃立&暗殺の次は、強引な長安遷都で大顰蹙を買ってしまう董卓。しかしこの遷都にも、安全保障上の重大な理由があったのです。
曹操(孟徳)は嘘をつき、しらをきり通しまくって天下を取った男です。必要とあらば味方にも嘘をついて欺き、責任をなすりつけたり兵士の士気を鼓舞してピンチをチャンスに変えてきました。本記事では曹操(孟徳)が嘘をついてピンチをチャンスに変えた数々のエピソードを3つご紹介します。
曹操に仕えたのがわずか5年ほどにもかかわらず強烈なインパクトを放った勇将「龐徳」。今回はそんな龐徳の壮絶なる生き様をご紹介いたします。
曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。
三国志は1800年以上前の中国が舞台。ですから、現代の日本人の感覚では理解しかねる点が盛りだくさん。それを踏まえても「おい、ちょっと待て」とツッコミたくなるエピソードを数多く残しているのが、孫呉であるという印象が筆者にはあります。今回はその孫呉の中でも、1、2を争うほどのチンピラ武将・甘寧のお話をお届けします。