イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~

イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~

三国志演義の著者である羅貫中は、劉備(玄徳)を聖人君子として描いています。実話を採用しているところもありますが、蜀の印象が悪くなるようなことはことごとく削除や修正を加えています。一般に広く知れ渡っている劉備(玄徳)のイメージは羅貫中の作り出したものなのです。


長坂撤退戦でヘタレっぷりを発揮した!?

長坂撤退戦でヘタレっぷりを発揮した!?

長坂撤退戦でヘタレっぷりを発揮した!?

長坂の戦いでは義弟の関羽に避難民の誘導と護衛を任せ、同じく義弟の張飛には殿を命じました。避難民を連れての逃避行だったので、進軍スピードはかなり遅れていました。それでも自分を頼ってついてきた民のことを劉備(玄徳)はどうしても見捨てることが出来なかったのです。

これらが禍いしてすぐに曹操軍に追い付かれてしまった劉備(玄徳)は家族とはぐれてしまいます。趙雲が劉備(玄徳)の夫人と子供を救出しに向かうのですが、そのとき夫人たちは走って逃げているところを発見されます。劉備(玄徳)は馬か馬車に乗って逃げているはずですが、その奥様方が走って逃走していることには疑問が残ります。しかも阿斗を抱えて逃げていたのが生母ではない麋夫人で、麋夫人が足に深手を負っていたことが趙雲伝でも公表されています。長坂の戦いで劉備が家族とはぐれた原因については諸説ありますが、そのうちのひとつがこちらです。

家族を馬車から投げ捨てた

家族を馬車から投げ捨てた

家族を馬車から投げ捨てた

劉備(玄徳)がとある集落でしばらく停泊しながら補給や休息を済ませて再出発をしようとしていたところ、曹操軍の追手がすぐに迫ってきているという情報がもたらされました。補給や避難民の支援で劉備軍はろくな偵察活動をしていなかったので、情報が入ってきたころにはほぼ手遅れな状態でした。

劉備(玄徳)は食料や衣類などの積荷を馬車に積めるだけ積んで慌てて再出発しました。情報を拡散するのも一苦労だったこの時代。その情報を知らずに逃げ遅れた避難民が多発しました。
荷車に家財一式を積んで人力で運んできた人々はそれを惜しんで殺される者が後を絶ちませんでした。その様子をみて避難民たちの間でも荷物や家畜を捨てて逃亡するものが現れました。
曹操軍の騎馬兵は邪魔になっている避難民を殺戮しながら劉備(玄徳)の馬車を目指して追いかけてきます。

「おい!!もっと速度を出せ!!」と劉備(玄徳)は御者を急かします。御者は「もう限界です。積荷もあるので、これ以上速度は出ません!!」と訴えました。粉塵を巻き上げて追いかける曹操軍の騎馬兵に怯えた劉備(玄徳)はパニックになり、どうすれば逃げ切れるかを必死に考えました。

そして彼は思いつきました「そうだ!!馬車を軽くすれば馬も速く走れるだろう!!」ということで、最初に捨てたのは衣類。曹操軍の騎馬兵目がけて衣装箱を投げつけるとそれにつまずいて転倒する騎馬兵がいました。次に捨てたのが金銀財宝です。最初は貴金属や夫人の装飾品を投げて行ったのですが、どうしてもお金を入れている箱が重かったので、それを箱ごと投げ捨てました。

すると馬車の速度も上がっていきます。家臣や家族たちは何を一体やっているのだろうと制止しようとしたその時です。劉備(玄徳)の冷たい視線が家族へ注がれました。劉備(玄徳)は養子の腰帯を掴みました。
「あなた、いったい何をなさるのですか!?」夫人たちが金切声をあげ、馬に乗っている家臣が夫婦喧嘩を止めに入ろうとした束の間、劉備(玄徳)は養子を馬車から投げ捨てました。甘夫人と麋夫人が救出を懇願すると、うるさいと言わんばかりに無言で2人の夫人の腰帯を片手ずつで握りそのまま路上に投げ捨てました。

人が路上に転がり出たので、曹操軍の騎馬兵は速度を緩めて追撃をやめました。劉備(玄徳)をのせた馬車はぐんぐん速度を上げて追撃を振り切ります。劉備(玄徳)の家族は避難民に紛れ、散り散りに逃走しました。

上記の話は信憑性が低い

上記の話は信憑性が低い

上記の話は信憑性が低い

このエピソードを冷静に分析すると信憑性がかなり低いことがわかります。その理由は、路上に劉備(玄徳)の妻子が投げ捨てられたのに、その道中を追跡している曹操軍の兵隊が誰も劉備の妻子を捕虜にしていないこと。劉備(玄徳)軍の将兵が誰も劉備の妻子を保護していないことなどの疑惑が残ります。

あくまで推測の範囲を出ないのですが、この話は劉備(玄徳)の先祖である高祖劉邦のエピソードを混同して解釈した人が広めたデマ情報ではないかと思われます。

劉邦の場合は、項羽軍に捕らわた家族が逃げてきて、ようやく合流できたときに、皇太子と公主を生き延びさせるためにわざと置き去りにしようとしたことがありました。
「父さんは、食べ物を探してくるからここで待ってろ」と言い残して馬車に乗ったところ、後ろを着けて来ていた皇太子が置いて行かれることに勘づき、姉を連れて同行しようと馬車に乗りこみました。
劉邦は心を鬼にして子供たちを馬車から放り投げましたが、皇太子と公主は走って追いかけ荷台に手をかけます。劉邦は子供たちを蹴飛ばして「着いてくるんじゃないっ!!」と叱りますが、それに気付いた夏侯嬰が、子供たちを回収して馬車に乗せます。それをまた降ろすとその都度夏侯嬰が馬車を停めて乗せるので、速く逃げなくてはいけない状況であった劉邦は、子供たちを置き去りにすることを諦めました。

劉邦は、自分は常に命を狙われる存在なので子供が近くにいると流矢に当たったり、戦闘に巻き込まれる恐れがあること。項羽は女子供には恩情をかける人物なので、人質となれば粗末ではあるがちゃんと食事のできる環境に置けること。以上の2点を考慮して、子供たちを置いていくことを選択したのでした。

どうでしょう?話が似すぎていると思いませんか?

長坂の戦い後、父親・夫としてありえない言動をした

長坂の戦い後、父親・夫としてありえない言動をした

長坂の戦い後、父親・夫としてありえない言動をした

長坂の戦いで趙雲が甘夫人と阿斗を救出し、ボロボロ状態で劉備(玄徳)の前に現れたとき、劉備(玄徳)は阿斗や夫人よりも趙雲のことを心配していたそうです。また、趙雲に謝辞を述べるとともに父親として最低な行動と発言をしていました。

阿斗がかわいそうな目に…

阿斗がかわいそうな目に…

阿斗がかわいそうな目に…

家族や義弟、家臣たちを心配しながら落ち込んでいる劉備(玄徳)のもとへました。「我が君ーっ!!和子様はここに!!」と叫びながら阿斗を抱きかかえた趙雲が駆けつけました。そして、趙雲は落涙しながら麋夫人を救えなかったことを謝罪するとともに夫人が井戸に身投げして自害したことを告げました。

まだ乳児であった阿斗を趙雲が劉備(玄徳)に差し出すと、劉備(玄徳)は阿斗を抱き上げて突然怒りを露わにしました。そして「父はお前のせいで、大事な仲間を失うところであったぞ!!このバカ息子めっ!!」と言って地面に放り投げました。

麋夫人にとっても失礼な発言を…

麋夫人にとっても失礼な発言を…

麋夫人にとっても失礼な発言を…

趙雲はとても責任感の強い人であったので、このとき麋夫人を自害させてしまったこと。甘夫人や阿斗を救出したが、一時でも危険な目に遇わせてしまったことを悔しがり、肩を震わせて落涙していました。そのとき劉備が趙雲の両肩に手を掛けて励ますように掛けた言葉が女性を敵に回すようなものでした。

「すまぬ。主たる者がたかが我が家のことで、子龍のような類まれなる武将を危うく失くすところであった…。子龍よ悲観するな。妻は失えばまた結婚すればよい。子が死んだらまた作ればよい。でもお前のような武将は代えられない。」

家臣にとってはここまで主君に言われると嬉しいとは思いますが、麋夫人は劉備が義勇軍を立ち上げた頃から資金面を援助した家臣の麋瑁と麋竺の妹です。さらに自分が生んだ子でもないのに阿斗を抱えて逃げ、自分が足でまといになることを恐れて自害したのです。このような発言は麋夫人にとても失礼であるし、世の中の女性を敵に回す発言です。

スパルタ教育おやじ

スパルタ教育おやじ

スパルタ教育おやじ

劉備(玄徳)ももともと真剣に学問をしてこなかったものですから、30近くになって勉強を再開し、とても苦労したそうです。そのため、自分の子供たちには早くから学ばせようと家臣たちを指導者として子供につけました。劉禅の師匠に任命されたのは諸葛亮です。しかし、劉備(玄徳)の跡継ぎである劉禅は、勉強があまりできない子でした。

この頃の学問の基本は、書物の暗唱(暗記した文章をそらんじること)です。劉禅はこれがとても苦手で、14歳の頃には弟の方が多くの書物をそらんじることができるようになります。

これではいけないと思った劉備(玄徳)は自ら劉禅の教育に本腰を入れるようになります。劉備(玄徳)は自分の公務が終わると劉禅を呼び出し、書物の暗唱を毎晩行いました。そして、劉禅が言葉に詰まると「まだ覚えられないのか!!」と怒鳴りつけて劉禅の手のひらを教鞭でビシビシ叩き、もう一度最初から暗唱させるというやり方で教育をしていました。

それでも劉禅は覚えられなかったので、「何回読み返せ」、「何回書き取りせよ」と宿題を出します。それでも覚えられないとまたまた劉禅を怒鳴りつけて叩きます。この様子は父親による虐待ではないかと思えるような行動です。

その様子を諸葛亮はいつも申し訳なさそうに見守ったり、劉禅をかばって叩かれることもしばしばありました。あまりに熱が入りすぎたときは、諸葛亮も手に負えなくなり、関羽が劉備を抑え込んでいるうちに張飛が劉禅を抱きかかえて避難したということもあったそうです。

劉備(玄徳)のカリスマ性

劉備(玄徳)のカリスマ性

劉備(玄徳)のカリスマ性

今回の記事であえて信憑性の低いエピソードを掲載したのは、もともと劉備(玄徳)の人物評について賛否両論があったということを知って欲しかったからです。

特に粗捜しをしていたわけではありませんが、情報を集めるといい人と思っていた偉人の汚点や悪い人という印象をもった武将の偉業などを知ることができます。2回に及んで劉備(玄徳)の汚点を書いてきましたが、対人スキルとして筆者が見本とする偉人は劉備(玄徳)です。

劉備(玄徳)のカリスマ性はキャラ勝ちの要素がとても強いと思われます。家族よりも仲間や領民のことを優先しているのが、呉の孫権や魏の曹操と大きく異なる特徴です。通常なら「自分の家族を守れない者が他人を守ることができるのか?」と疑心暗鬼になってもおかしくないのですが、家臣が必死に付き従って、苦しい生活にも耐えられたのは親戚、兄弟の助けなしに自分で仲間と信頼関係を強める能力がピカイチだったということでしょう。





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劉備(玄徳)

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