苦肉の策(苦肉計)

苦肉の策(苦肉計)

苦肉の策(苦肉計)という言葉は、一般的に苦し紛れの策という意味で用いられることが多いのですが、これは間違って広まったものです。


苦肉の策(苦肉計)

苦肉の策(苦肉計)

苦肉の策(苦肉計)

人は自分で自分を害するようなことはしないと考え、もし誰かが害を受けていれば、それは他人に害されたものだと思う傾向がある心理を利用し、本来は自分の味方である人物や勢力が裏切ったように相手に見せかけ、罠にはめることを苦肉の策(苦肉計)と呼びます。

一般的に、苦し紛れの作戦という意味で使われている「苦肉の策」ですが、本来は、三国志演義でも使われた「苦肉計」という戦術が由来の、敵を欺くために自分や身内を苦しめて行うはかりごとをあらわす言葉です。

黄蓋と周瑜による苦肉計

黄蓋と周瑜による苦肉計

黄蓋と周瑜による苦肉計

苦肉計の事例として有名なのが、三国志演義に描かれた赤壁の戦いにおける呉の黄蓋と周瑜が魏の曹操の艦隊を焼き討ちにする際に用いた作戦です。

呉の陣地では、魏のスパイも紛れ込んでいました。
そこで、周瑜を黄蓋は、演技とは思えない苦肉の策を用います。
まず、呉軍を圧倒する魏軍の艦隊に対し有効な策を打てないでいる周瑜を黄蓋が批判します。
これを咎めた周瑜は兵士たち(スパイ)の面前で黄蓋を、鞭打ちの刑に処すのです。
この事実はスパイによって魏軍の曹操に伝えられました。
しばらくして、投降を申し出てきた黄蓋を曹操は受け入れてしまいます。
しかし、黄蓋の投稿は偽装であり、黄蓋は魏軍の艦隊に内側から火を放つことに成功し、魏軍は壊滅、曹操は撤退を余儀なくされてしまったのです。

兵法三十六計

兵法三十六計

兵法三十六計

そして、苦肉計は、中国の兵法書「兵法三十六計」に見ることができます。
兵法三十六計は17世紀=清代の初めに成立したものといわれています。


孫子をはじめとするいわゆる武経七書と呼ばれる兵法書と比べ、兵法とは呼べないような記述もあることから、その評価は決して高いとは言えません。
しかし、その内容は古い時代のさまざまな故事や教訓から成っていて民間を中心に広まったとされています。

兵法三十六計は戦に用いる戦術を6種類に大別しています。

勝戦計とは、自軍が戦いの主導権を握っている時の戦法です。
敵戦計とは、戦力的に余裕がある時の戦法です。
攻戦計とは、敵軍が強固な時に有効な戦法です。
混戦計とは、敵戦力が自軍を上回る時の戦法です。
併戦計とは、同盟国に対し、自軍が優位に立つ方策です。
敗戦計とは、自国がきわめて劣勢の場合に用いる奇策です。

さらにそれぞれの戦術に該当する策を6つずつ、その具体例を5世紀頃までの歴史上の出来事を挙げて紹介しています。
結果、6計*6策で三十六計というわけです。

苦肉の策は敗戦計一策

苦肉の策は敗戦計一策

苦肉の策は敗戦計一策

苦肉の策は敗戦計一策 三十六計中の三十四計 「苦肉計」として紹介されています。

敗戦計の他の5策もみてみましょう。

「美人計」とは、美女を献上して敵の力をふぬけにする。
「空城計」とは、攻城戦や包囲戦を避けるために自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心とく
「反間計」とは、スパイを利用して敵の内部を混乱させる
「連環計」とは、複数の計略を連続して用い、足の引っ張り合いをさせる
「走為上」とは、全力で逃走してダメージを避ける

ちょっと面白い。

第三十四計  苦肉の策をめぐらせ
「人は自ら害せざれば、害を受くること必ず真なり。仮を真とし真を仮とせば、間は以て行うことを得」
「苦肉計」とは、自分を傷つけて(自軍の部隊を攻撃したり、ひいては殲滅させたりして)、敵軍に錯覚を起こさせ、敵軍の離間を策す作戦である。

時代背景
 本計の例話も南宋の初年のころである。南宋の高宗は、靖康の変、すなわち北宋末の靖康年間(一一二六~二七年)、国都開封が前後二回、金の軍勢の攻撃を受けて陥落し、皇帝らがみんな拉致されて連れ去られたとき、ただ一人金の手にかからず残って南宋を再建した人である。高宗は北宋最後の皇帝欽宗の弟であったので、すぐ再建にとりかかることができたのである。  本計の例話に出てくる陸文龍は、潞安州(現在の山西省長治市を中心とする地区で、長治市は鄭州の北北東二百キロにある)の節度使(地方長官)の息子であったが、金軍に両親を殺され拉致された。このように金の軍勢は兵力を補充するため占領地から多くの将兵を徴発した模様である。
岳飛の部下、苦肉計により南宋軍を救う

自分で自分を傷つけるものは無く、必ず他人から傷つけられる。傷つけられたと嘘の芝居を演じて、敵側にその芝居を信じ込ませることができれば、敵側を離間させることができる。





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