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まるでコント!語り継がれてきた 桃園の誓い 三兄弟の姿とは?
『三国志演義』には作者・羅貫中の創作がさまざま盛り込まれており、劉備(玄徳と関羽、張飛の3人が志を確かめ合い、義兄弟の契りを交わす“桃園の誓い”もそのひとつ。羅貫中は民間伝承も参考にしたそうなのですが……。さて、桃園の誓い、桃園三兄弟は中国の人々の間でどのように語り継がれてきたのでしょうか?
魏の中でも抜群の戦上手、徐晃を紹介します。名将揃いの魏の中でも曹操を感心させ、関羽を一騎打ちで破った猛将です。あまり知られていない一面もありますので評価はあまり高くないのですが、実は最強レベルの武将です。
三国志一の嫌われ者として必ずノミネートされるのは董卓でしょう。彼の横暴ぶりはとにかくひどく、反董卓連合を作られるのも無理がないと頷けます。そんな董卓の「え~!」と言ってしまうシーンを吉川英治の三国志から抜粋しました!
三国志演義に描かれた周瑜(公瑾) 諸葛亮(孔明)に惜しまれたその才能
呉の水軍大都督であった周瑜(公瑾)。赤壁の戦いでは劉備軍と連合して曹操(孟徳)の巨大水軍を壊滅させるなど、その実力は随一。駆け引きにおいても常に曹操(孟徳)より上手を行く知力の持ち主でした。華々しい活躍を見せた英雄でしたが36歳でこの世を去ってしまいます。
三国志・曹操の従弟である曹仁は、武将としてどのランクに位置するのか?
三国志演義ではあまり注目されることのない「曹仁」ですが、最強ランクの名将だったという説もあります。その背景を考察していきましょう。
みなさん中華料理はお好きですか? 薬膳デザートの定番「杏仁豆腐」。コンビニの看板商品「肉まん」。実はこの中華料理は三国志の時代に考案された料理なんです。しかも、これらの料理が開発されたいきさつは「売れる商品を作ろう」や「経営不振の打開策」ではありません。気になる方はぜひ本文に目を通してください。
関羽、男として魅力的。義の人、一騎当千。曹操、悪党のイメージ強いです(泣)。策略家、女好き、等関羽に比べあまり印象が良くないです。この二人を主人公にした映画から、曹操の片思いに重点を置いて観てみようというこの企画。宜しかったら最後までお付きお願いします。
三国志で人気の英雄の1人が孫策です。26歳という短命だった孫策ですが、その功績は凄まじく呉の基礎を作ったと言っても過言ではありません。今回は、そんな孫策がもし長生きしていたらどうなっていたのかを考察していきたいと思います。
三国志には数多くの魅力的な武将たちが登場します。彼らの戦場や政治の舞台での華々しい活躍は、現代ではなかなか見ることのできない歴史物ならではの格好良さを見せてくれます。ですがやはり女子的には、彼らがどんな生活をしていたのか、友人や家族、恋人といった関係もやはり気になってくるんじゃないかと思います。
三国志に登場する人物には名前や字の他にあだ名がつけられる者もいました。ここでは君主と軍師についてのあだ名について紹介します。「伏龍」や「鳳雛」というあだ名を聞いてそれが誰を指すのかが理解できたら三国志通と言っても過言ではありません。さらになぜそういうあだ名になったのかという事も紹介したいと思います。
曹操の配下には勇将、名将が多く名を連ねていますが、その中で欠かすことのできないのが「楽進」です。楽進の勇猛果敢ぶりをご紹介いたします。
三国志の天才軍師と言ったら大多数の人が諸葛亮(孔明)を推します。三国志をあまり知らない人でも彼の名前を聞いたことがると思います。しかし諸葛亮に匹敵する、もしくは諸葛亮以上に多大な功績を残し、国を支えたという軍師は実は沢山存在します。そんな天才軍師たちをご紹介します。
三国志・魏の名将である張郃が一騎打ちでほとんど勝てていないのはなぜか?
魏の名将である張郃、その功績は三国志正史にしっかりと記されています。しかし一方で、三国志演義ではその強さを発揮できずにいます。張郃の一騎打ちの戦歴を紐解いてみましょう。
三国一のお酒好き!?画期的な酒造法を広めた曹操孟徳と日本酒の意外な関係
お酒に縁の深い三国武将と聞いて、真っ先に浮かぶのは誰ですか?『三国志演義』でお酒に関する失敗が多く描かれている張飛益徳?それとも宴会が大好きだったという呉の孫権仲謀?いえいえ、それより縁が深いのは、魏の君主・曹操孟徳なのです。今回は彼と日本酒の意外な関係や、お酒にまつわるエピソードなどをご紹介いたしますね!
劉備(玄徳)に三顧の礼で迎えられた天才軍師・諸葛亮孔明。劉備(玄徳)に迎えられてからは名軍師として数えきれない活躍を見せます。そして最後は北伐でその生涯を閉じるのですが、そもそもなぜ北伐を繰り返していたのでしょうか。推測も交えつつ、北伐にこだわった理由に迫ってみるとしましょう!
関ヶ原の戦いでは豊臣軍の一部が裏切ったことにより徳川軍の勝利を決定づけたといっても過言ではありませんでした。裏切りというと卑怯というイメージが付き物かもしれませんが、三国志の時代にも数多くの裏切りが存在しました。ここではそんな三国志を多く揺るがすような裏切りについて紹介していきたいと思います。
蜀が建国された当初は、諸葛亮も健在で他国に脅威となっていました。しかし、諸葛亮の没後は、魏に攻められることもあり、蜀は安泰とはいえない存在となっていきます。その中で蜀を守り抜いた最大の功労者ともいえるのが王平です。その実力をみていきましょう。
日本における一般的な三国志のイメージといえば、小説の三国志演義がメインとなっており、大柄な武将たちの豪快な一騎討ちや智将たちの頭脳戦が描かれています。しかしながら、それら主役級の登場人物の補佐を務める武将たちも実は正史では結構な活躍をしています。
三国志の時代には、様々な仙人が登場します。代表的な仙人と言えば、左慈や于吉などが有名ではないでしょうか。とは言え、三国志好きの方も「仙人ってどんな人なの?」「そもそも人なの?」などの思うのではないでしょうか。そこで今回は、三国志に登場する仙人について詳しく紹介していきます。
三国志には関羽の青龍偃月刀や呂布の 方天画戟 など数多くの武器が出てきます。それらは後の世の物語などにも多くの影響を与えています。また、日本でも横浜の関帝廟などでは、青龍偃月刀をもっている関羽の像があります。これらの武器は実在していたのでしょうか?また、どのように生まれてきたのでしょうか?