思わず「え~!」と言ってしまう三国志エピソード~董卓編!~

思わず「え~!」と言ってしまう三国志エピソード~董卓編!~

三国志一の嫌われ者として必ずノミネートされるのは董卓でしょう。彼の横暴ぶりはとにかくひどく、反董卓連合を作られるのも無理がないと頷けます。そんな董卓の「え~!」と言ってしまうシーンを吉川英治の三国志から抜粋しました!


帝を勝手に変えようとする董卓

帝を勝手に変えようとする董卓

帝を勝手に変えようとする董卓

やりたい放題の董卓はまず帝を変えるというかなり無茶なことをやってのけました。「今の帝は使えないから弟の陳留王(ちんりゅうおう)を帝にしよう!」と言って本当に実行してしまうのです。もちろん反対者はいますがことごとく反対意見を潰します。
最初は丁原(ていげん)が反対しましたが殺してしまい、次に袁紹(えんしょう)が反対した時には一触即発状態となりました。しかし袁紹に董卓を止める手立てはなく、本当に帝を後退させてしまうことに成功させてしまいました。
そして自分に賛成派の物だけを中央に置いてさらに横暴に出てしまうのです。肝心の帝はというと発言力は全くなく案の定董卓の言いなりになってしまうのです。
これにより董卓の横暴は加速し、三国志一の悪者として名を轟かすのでした。帝を廃止してしまうシーンが強引すぎて思わず「え~っ?」と言ってしまいます。

李儒(りじゅ)の言うことを素直に聞く董卓

李儒(りじゅ)の言うことを素直に聞く董卓

李儒(りじゅ)の言うことを素直に聞く董卓

天上天下唯我独尊と言った董卓ですが、なぜか李儒の言うことは素直に聞きます。中郎将盧植(ろしょく)が「あまりに我を通そうとすると帝の位を簒奪しようと思っていると思われます」と言ったのに対しブチ切れて、いきなり「斬ってしまえ!」というのです。
そんな取り乱した董卓に対して李儒は「盧植は学者なので斬ってしまったら評判が下がってしまいます」と伝えます。すると、心を入れ替えたのか「では追っ払え!」と言います。「殺せ!」と言った瞬間に李儒の一言で改心するのは董卓にしてはかなり珍しく「えっ李儒の言うことなら簡単に聞いちゃうの?」という感じで驚きでした!

周毖(しゅうひ)の言うことを素直に聞く董卓

周毖(しゅうひ)の言うことを素直に聞く董卓

周毖(しゅうひ)の言うことを素直に聞く董卓

帝を廃止して陳留王を新たな帝にしたというエピソードは上記で述べましたが、その際に一回目は丁原に、二回目は袁紹に反対されています。丁原に対しては呂布を見事寝返らせて殺してしまいました。
袁紹の時も「殺してしまえ!」と言って軍を出そうとしたのですが、周毖に「袁紹に対して軍を出したらお互い被害が大きすぎる」と諭されました。すると董卓は「そうかなぁ」と言って結局軍を出すことを止めました。
今までだったら「うるさい!反対する奴は斬るぞ!」とすごむところでしたが「そうかなぁ」と弱弱しく言う董卓に対して「え~!」と言わざるを得ませんでした!いつも鬼畜で横柄な董卓ですがごく稀に部下の言うことを簡単に聞き入れるシーンがあるので「こいつかわいいやつかも」なんて思われてしまうこともあるのでしょう……

策が見破られ強行突破しようとする李儒

策が見破られ強行突破しようとする李儒

策が見破られ強行突破しようとする李儒

これは董卓がというよりは、董卓陣営がという話です。帝だった弘農王(こうのうおう)がその座を陳留王に取られた後の話です。弘農王と何太后(かたいごう)を幽閉していたわけですが、後々反対勢力になったら困るので李儒に「殺してしまえ」と命じます。
その際何太后に対して酒をふるまったのですが、すぐに毒だと見破られてしまいます。「毒じゃないならお前が飲んでみろ」と言われ李儒は何も言えなくなり縄と短刀を渡し「いずれか好きな死に方で死ね」と言うのです。それに対し何太后が罵ったので李儒は高楼の蘭から投げ落として殺してしまいました。そして何食わぬ顔で董卓に「命令通りにしてきました」と言って首を差し出すのです。とは言え、毒殺→自殺ができなかったから高いところから落とすというかなり強引な手に走ったのに「命令通り」はないだろ!と突っ込みどころ満載の李儒に驚きです。

晴れた日に祭りをする男女にブチ切れる董卓

晴れた日に祭りをする男女にブチ切れる董卓

晴れた日に祭りをする男女にブチ切れる董卓

ある祭りの日に農民の男女が晴着を着て帰っているのを董卓が目の当りにしてしまいました。「農民のくせにこんな晴れた日に着飾って働かないなんてどういうことか!」といきなり怒り、捕まえて手足に縄を縛り付けて二頭の牛に縛り付けその二頭の牛を真逆に歩かせ引き裂いてしまいました。
その際に血で梅園を染めたわけですが「花見よりもよほど面白かった!」と言って董卓は満足してしまいます。
あまりに鬼畜ぶりな董卓に「え~?」を通り越して「おいおいおい」という言葉が出てきてしまいます。反董卓連合ができるのもうなずけるような人物エピソードですよね!

かなり鈍感な董卓

かなり鈍感な董卓

かなり鈍感な董卓

董卓は敵が多い為結構神経をとがらしていることが多いのですが、呂布を手にしてからというもの警戒心が若干薄れてしまったのではないかと思います。それは自室で寝ていた時のことです。曹操が王允からもらった件で董卓を殺そうとするのですが呂布がいるためどうしても実行に移すことができませんでした。
呂布が席をはずし、董卓が寝ていると思った曹操はチャンスとばかりに剣を抜きました。しかし鏡に映り曹操は「なんだそれは?」と言われてしまいます。
とっさに「この剣を董卓様に献上しようと思いまして、拭いていたところです」と三国志の帝王とは思えないなんとも情けないエピソードです。しかしこの話はここで終わりではありません。董卓は「そうかそうか」と言ってこの剣をもらうのですが、呂布に対して「今日の曹操おかしくなかったか?」と尋ねるのです。呂布は曹操が董卓のことを殺そうとしていたのが分かったため「そりゃ、曹操は殺そうとしていましたからね」と言って初めて董卓は命を狙われていたことに気付くのです。
この件曹操、董卓共に「嘘でしょ!」と言いたくなるような間抜けな話で、三国志の中でも最も間抜けなエピソードの一つと言っても過言ではないと思います。ちなみにここで逃げ延びた曹操は董卓に恨みのあるものを募って反董卓連合を結成することとなります。

まとめ

まとめ

まとめ

悪名の限りを尽くした董卓から出てくる話と言えばやはり人間性を疑うような彼の悪事ばかりが目立ってしまいます。しかしごく稀に「部下の進言を聞くなんて董卓らしくない」と思ってしまうこともあるのです。
そういった意味で全く行動が読めない董卓は目が離せない人物NO.1かもしれません。日本で言うと織田信長のような感じでもありますが、もちろん信長より卑劣です。それでもカリスマ性があるのかただ単に恐怖心があるのか董卓についていく家臣も少なくありません。
三国志を読む上で董卓は「え~!」と思わせる宝庫と言える人物です。つつけばキリがありませんが、少しでも董卓のことについて分かっていただけたら幸いです!


この記事の三国志ライター

関連する投稿


董卓~三国志随一の暴君~

黄巾の乱後の政治的不安定な時期を狙い、小帝と何皇太后を殺害し、献帝を擁護し権力を掌握していく朝廷を支配していた絶対的存在。 政権を握った彼のあまりにもの暴虐非道さには人々は恐れ誰も逆らえなかった。 しかし、最後は信頼していた養子である呂布に裏切られるという壮絶な最後を遂げる。


三国志の中で強烈なインパクトを残した飛将、呂布

三国志の中で一際インパクトを残した男、呂布。裏切りを重ねながらも己の欲を全うし続けた呂布は、ある意味三国志の中でも魅力的な豪傑だと言えます。そんな呂布の波瀾万丈な生涯をまとめてみました。


三国志外伝 絶世の美女貂蝉

皆さんは貂蝉という女性をご存知でしょうか。三国志演義にその名をとどめる傾城の美女・貂蝉のはかなくも美しい生き様をご紹介します。


昔は優しく気のいい大将だった!董卓が暴君へと変貌するまで

洛陽に入るや皇帝を傀儡として実権を握り、暴虐の限りを尽くした董卓仲頴(とうたくちゅうえい)。その残虐非道ぶりは、正史三国志の著者である陳寿に「歴史上の人物でこれほどの悪人はいない」と評されたほどです。そのような人物がなぜ君主になれたの?という疑問の元、今回は若き日の董卓について調べてみました。


裏切り、裏切り、また裏切り! 呂布のスゴすぎる人生の結末は?

三国志の武将で最も勇猛だともいわれる呂布。しかし彼は、世話になった相手をことごとく裏切ったことでも知られています。中国であれ日本であれ、ここまで人を裏切り続けた男もめずらしいでしょう。呂布の裏切り人生がどのようなものだったのか。そして「裏切り野郎」はどんな末路をたどったのか、見ていきましょう。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。