まるでコント!民衆の間で語り継がれてきた桃園三兄弟の姿とは?

まるでコント!民衆の間で語り継がれてきた桃園三兄弟の姿とは?

『三国志演義』には作者・羅貫中の創作がさまざま盛り込まれており、劉備(玄徳と関羽、張飛の3人が志を確かめ合い、義兄弟の契りを交わす“桃園の誓い”もそのひとつ。羅貫中は民間伝承も参考にしたそうなのですが……。さて、桃園三兄弟は中国の人々の間でどのように語り継がれてきたのでしょうか?


三国志序盤の胸熱シーン、桃園の誓い。でも実は……?

三国志に興味を持った方であれば、人徳に厚い『三国志演義』の主人公・劉備(玄徳)のことはご存知かもしれませんね。この劉備(玄徳)が憂国の涙を流す姿を見かけた、戦場では無敗の猛将・張飛益徳(ちょうひえきとく)が声をかけ意気投合、張飛の兄貴分であった文武両道の関羽雲長(かんううんちょう)との3人で盃を交わし、「生まれた日は違えども、死せるときは同年同月同日に!」と誓い合ったのがいわゆる“桃園の誓い”です。乱世を生きる3人の若者が、「より良い世を作りたい」という志の元に義兄弟の契りを交わしたという、思わず胸が熱くなるエピソードですね。
しかしこれはどうやら『三国志演義』以降の創作である模様。正史では、「3人はとても仲が良く、同じ寝台で眠ることもあった」という程度の記録しかないのです。ということは、「これ、それっぽく盛り込んでも大丈夫なのでは?」と、『~演義』の作者・羅貫中が思ってしまう元ネタが、民間伝承にあったのかもしれません。
ではでは、劉備(玄徳)、関羽、張飛の桃園三兄弟の出会いがどんな風に語り継がれてきたのか調べてみましょう!

出会いはケンカ!?力自慢の張飛のプライドをあっさり潰す関羽。口論は殴り合いに発展!!

まずは涿県(現在の河北省涿州市)の県都に伝わるお話です。若いころの張飛は、現在の張飛廟があるこの土地で肉屋を営んでいたとされています。

張飛は家の前にある井戸で肉を冷蔵し、そこに千斤(約500kg)もある重石を載せ、「この石を自力でどかせるやつがいたら、中の肉をタダで食ってもいいよ!」という立札かなにかを置いていたのだとか。たぶん「俺は千斤なんて余裕だけど、これをどかせる奴なんてそうそういないでしょ(笑)」ぐらいの感じだったのでしょうね。
ところがある日、この立札の前を気品あふれる豆売りの大男・関羽が通りかかりました。関羽は立札の文字を見ると井戸に近づいて、軽々石を持ち上げ肉を取り出し、周辺にいた村人に分け与えてしまったのです。
「ちょ、お前、何してくれるんだ!!!」
力自慢をしたかっただけの張飛はびっくり、そして逆ギレ。関羽の売り物である豆を掴んで握りつぶし、
「こんなの豆じゃねえじゃ!豆の粉だろ!」
とわけのわからぬ因縁をつける始末。
関羽が塩や豆の密売人であり、そろばんの原型を作ったと言われているインテリヤ○ザ説を耳にしたことがある筆者は「張飛やめとけ!その人にケンカを売るのはやめとけ!」なんて思ってしまったのですが、ふたりのいさかいは口論にと留まらず、殴り合いに発展してしまい……。

仲裁に入ったひ弱そうな青年。それを見た関羽と張飛は!?

そこで声を上げたのが、端正な顔立ちながらひ弱そうなわらじ売りの青年。せっかく賑わう市場が、ふたりの立ち回りが原因で商いを行えない空気になっている有様を見て、たまりかねたように叫びました。
「おふたりともおやめください!話し合えばわかり合えるのに、殴り合う必要などありますまい!」
とはいえ、そんな言葉は熱くなったチンピラ(失礼)ふたりに届くはずもありません。
(こいつら、全然聞いちゃいねえ……)
青年はふたりの間に躍り出て、左右の手で彼らそれぞれの手を掴みました。
するとどうでしょう、関羽と張飛の大男両名は、なぜだかどうあがいても動けなくなってしまったのです。
(このもやしっ子のどこにそんな力が……これこそが神力!?)
感服した関羽と張飛は、青年こと劉備(玄徳)の義兄弟となり、彼とともに世直しをすると誓ったのでした。

これだけですとその場であっさり義兄弟になると決めたかのようですが、このあと度々3人で膝を交えて話し合う機会が設けられ、桃園にて誓いを立てたと考えるのが自然ですね。しかし手元にある資料にはそういった記載がないので、ここでは筆者の推測とさせていただきます。

飲み仲間だった三兄弟。でも、劉備(玄徳)は関羽と張飛にたかるヒモだった!?

桃園の誓いについての話は、涿県楼桑村、劉備(玄徳)がむしろを編みながら母と暮らしていたふるさとにも伝わっています。

この話ではすでに3人は出会っており、拳を打ち合い酒を酌み交わす仲だったそうです。肉屋を営む資産家の張飛が場を設けて肉を供し、豆や豆腐で生計を立てていた関羽は豆腐や買った酒を掲げて訪れていましたが、貧しいわらじ売りの劉備(玄徳)はいつだって手ぶら。そう、関羽と張飛にたかるヒモだったのです(笑)。
懐の広い2人はそれを気にせず受け入れていた……かと思いきやそうではなく、当然のような態度で飲み食いするばかりの劉備(玄徳)を内心面白く思っていなかったのだそう。
「あいつ、全然悪びれねえな。ちょっとからかってやるか」
関羽と張飛は話し合い、井戸の上にむしろを敷いて椅子を置き、そこに劉備を座らせようと企てました。

落とし穴が井戸って、下手したら死んじゃいますし、からかいにしては度が過ぎていますよね。なんだかとても大人げないような……。というか、そんなに嫌なら呼ばなきゃいいのに。

落とし穴に劉備が落ちない!なぜ?こっそりむしろをめくってみると……。

さて、2人が罠を仕掛けたあと、程なくして
「お、ちょうど準備が整ったところだ!早く着きすぎるよりもちょうどがいいよね~」
とかなんとか言いながら、やっぱり手ぶらで劉備(玄徳)が現れました。椅子に関羽と張飛が見守る中、気づかず椅子に座って井戸にずどーん!となるかと思いきや、いつものようにしれっと飲み食いしてるではありませんか。
(なぜ落ちない……?)
不思議に思った関羽は劉備(玄徳)を離席させて連れ出し、その隙に張飛がこっそりむしろをめくってみると、井戸の中には5本の爪を持つ白龍が、劉備(玄徳)が腰掛けていた椅子を支えていたのです。驚いた張飛はこれを関羽に耳打ち。すると関羽は「お前、飲み過ぎじゃないのか?」などとは言わず、「この劉備(玄徳)という男、今でこそわらじ売りに身を落としているが、将来大成するに違いない。自分が仕えるべきはこのような人物なのではないか?」と悟りました。
そして
「これまでおざなりに済ませていましたが、改めて義兄弟の契りを交わしませんか?」
と関羽が劉備(玄徳)に申し出るや、白龍を目にした張本人である張飛も納得、
「ちょうど酒も盃もお供え物もある。生死を共にしようと誓い合おう!」
と同調。
劉備(玄徳)はといえば、「こんな裕福な兄弟ができたら、ずっとタダで飲み食いできるんだろうな~」とすぐさま承諾。
張飛宅の裏庭にあった桃園に席をしつらえ、「同年同月同日に生まれることを得ずとも、願わくば、同年同月同日に死せんことを」と誓い合ったのでした……。

殺人すれすれのいたずらを仕掛けてでも劉備(玄徳)を懲らしめたかったはずの関羽と張飛の手のひら返しっぷり、「末永くおごってもらえそう」という理由で義兄弟になる劉備(玄徳)。うーん……物語の序盤にこれを持って来られても、「よし!桃園三兄弟を応援しよう!」という気にはなかなかなれないように感じられるのは筆者だけでしょうか……?

「自分が長兄だ!」と譲らない3人。張飛の提案に劉備(玄徳)が屁理屈をこねた!?

桃園の誓いに関するお話をもうひとつご紹介します。

劉備(玄徳)、関羽、張飛は義兄弟のは誓いを立てることになりました。ところが座席を決める段になって、思わぬ争いごとが起こったのです。
「誰が長兄?」「自分だ!」「自分だ!」「自分だ!」
そう、3人とも「我こそが長兄」だと言い張って譲らないのです(子どもか)。仕方なく力比べで決めようかと話し合っていたところ、
「木登りで決めよう!」
と切り出したのは張飛。小さなころからやんちゃ坊主で、木の上の鳥の卵を取りに行くなどしながら木登りの腕を磨いていたので、一番になれる自信があったのです。

さて、大きな桑の木の下にたどり着くと、あっという間にてっぺんまで登ってしまった張飛。慎重に木の中ほどまで登っていた関羽、登ろうともせず木の根元で立ち尽くしている劉備(玄徳)に向かって、張飛ははしゃいで叫びました。
「俺が一番だ!俺が長兄だ!」
すると「待て」と劉備(玄徳)。
「益徳、この木は先に根があったのか?其れ共枝があったのか?」
「なんだよいきなり。そんなの根っこに決まってるだろ」
「そのとおり。今私は根の近くにいて、貴公は枝にいる。つまり私が貴公より先に生まれた兄だ。次兄は幹にいる雲長になる」
と、もっともらしい屁理屈をこねだしたのです。
これを聞いて、当然ながら張飛は狼狽。関羽は「どっちにしろ自分は次兄だし、面白いことを言うものだなあ」と感心、
「玄徳殿の言うとおりだ」
とその意見を受け入れてしまったため、張飛はさらに悔しがったものの、自分が末弟になったことを受け入れざるを得なかったのだそうです。

先にルールを決めておけば良かったのに、慌てて木に登るから……。がっかりして悔しがる張飛はもちろん、「自分が長兄!」と譲らない3人の姿は小学生の男の子のように愛らしく、なんだか心が和んでしまいますね。
とはいえ、胸が熱くはならないなあ……。

結論『三国志演義』桃園の誓いの元ネタは。

こうして民間伝承をいくつか並べてみると、羅貫中が描いた桃園の誓いとは似ても似つかぬ話ばかり。いずれも英雄たちが運命共同体になろうと誓い合う感動シーンとは程遠いですよね。
とはいえ、長年語り継がれてきた桃園三兄弟は実に人間らしく、これはこれで魅力的であるような気がします。そのような人物像になったのは、劉備(玄徳)、関羽、張飛の3人が中国の人々に親しまれ、愛されてきたからこそでしょうね。
正史に演義、その他の三国志を楽しみながら、「本当はどんなふうにして出会ったのかな?」と想像するのもまた一興ですね。
これからも、さまざまなかたちで三国志を楽しんでまいりましょう!

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