これだけは知っておきたい武将たちの恋愛・夫婦関係ベスト5

これだけは知っておきたい武将たちの恋愛・夫婦関係ベスト5

三国志には数多くの魅力的な武将たちが登場します。彼らの戦場や政治の舞台での華々しい活躍は、現代ではなかなか見ることのできない歴史物ならではの格好良さを見せてくれます。ですがやはり女子的には、彼らがどんな生活をしていたのか、友人や家族、恋人といった関係もやはり気になってくるんじゃないかと思います。


今回は、三国志に登場する人物たちの恋愛関係、また結婚している場合は夫婦関係をピックアップしていきたいと思います。

(1)孫策・周瑜の義兄弟と、大喬・小喬姉妹

三国志でもっとも有名なカップルといえば、孫策と大喬、周瑜と小喬の組み合わせではないでしょうか。
孫策と周瑜は幼馴染で、特別に親しい間柄でした。大喬と小喬の姉妹はとある城が落とされたときに孫策たちと出会い、それぞれの妻となります。
これだけみると、大喬、小喬は幸せだったのかという疑問もわいてくるかもしれません。
ただ、孫策は周瑜にこう語っています。
「あの二人(大喬と小喬のこと)は美人に生まれついたが、我々のような優れた婿を迎えられて幸せにちがいない」
孫策はかなり自信家なのでしょうか。

「三国志演義」での周瑜は、より愛妻家として知られています。物語での赤壁の戦いは、美女として名高い大喬・小喬を側におきたいという曹操の欲望がその理由の一つとされています。周瑜は、孔明からの、「女性一人曹操に渡すだけで戦争が回避できるならそうすればいいではないですか」という勧めを拒絶して、当時最も勢いのあった曹操との対決を誓います。

(2)董卓・呂布と貂蝉

貂蝉は、「三国志演義」に登場する女性です。史実の方では董卓の侍女という記述だけがあり、誰かの想像力が生み出した三国志のヒロインといっていいのではないでしょうか。
貂蝉で有名なのは、連環の計。当時、暴政を極めていた董卓を倒すため、貂蝉の養父・司徒王允が考えた策略です。その計略のなかで貂蝉に引き合わされた呂布は美しい彼女に一目惚れするのですが、王允はその後貂蝉を董卓に渡し、董卓と呂布の仲を引き裂いていきます。呂布は養父である董卓と貂蝉のあいだで揺れ動きますが、最終的には貂蝉を選び、董卓を殺害します。董卓殺害後の貂蝉がどうなったのか、どうしたのか。この点についてはさまざまな説や解釈があります。

(3)袁煕・曹丕・曹植と甄氏

甄氏という女性は数奇な人生をおくった女性といえるのではないでしょうか。
はじめ彼女は、袁紹の息子袁煕の妻でした。袁紹が曹操に破れ、のちに彼女の住む城が曹操軍に落とされると、曹操の次男曹丕は甄氏を妻にしました。
甄氏は後に男の子を生みます。この子が曹叡で、後に魏の明帝として曹丕のあとを継いで皇帝となる人物です。
曹丕と甄氏の関係はどうだったのでしょうか。甄氏は最終的には、曹丕の愛が衰えて自殺を命じられます。息子の曹叡は即位後、母の名誉を回復したので、息子との関係はよかったのでしょう。
甄氏には、別の恋愛譚が伝わっています。
曹丕の弟で詩人として名高い曹植が、兄嫁である甄氏に想いを寄せ、それを詠んだ作品が曹植の代表作のひとつ「洛神賦」だというものです。この二人が付き合っていたとしたら、不倫の関係になるわけです。
刺激的といえば刺激的、ロマンチックといえばロマンチックなエピソードといえるのではないでしょうか。
甄氏は昼ドラ的な魅力の高い女性ともいえるかもしれません。

(4)諸葛亮と黄氏

三国志のなかで最も有名な人物といえるのが諸葛亮ではないでしょうか。諸葛亮は、字(あざな)の孔明の方がよく親しまれているかもしれません。
その諸葛亮の妻が黄氏です。二人の関係で際立っているのは、黄氏は容姿がよくないということで知られているという点でしょうか。
黄氏は名門の出ですから、諸葛亮は容姿より家柄や人柄を重視したのかもしれません。いずれにせよ、黄氏は容姿は悪くても優れた知性を持ち、諸葛亮との関係も良好だったようです。諸葛亮はかなり長いあいだ実子に恵まれず、養子を迎えていました。これは黄氏に実子がうまれなかったか、生まれるのが遅かったから考えてよいのではないでしょうか。
当時の跡継ぎを残すことが大事だという価値観からすると、黄氏が子供を産まない場合、側室を迎えることは何の問題もないことでした。諸葛亮がそうしなかったのは、諸葛亮の人間性や黄氏への思いがあったからかもしれません。夫婦仲が良いということは、たいていの人は憧れるものではないでしょうか。

(5)劉豹と蔡文姫

歴史物の魅力といえば、現代ではあまりリアリティがないシチュエーションがあるということもあると思います。
蔡文姫は当時高名な学者だった蔡邕(さいよう)の娘で、若くして未亡人になった女性です。彼女自身も高い教養がある女性でした。
しかし、三国志の戦乱の時代がはじまると蔡文姫は、異民族である匈奴に攫われてしまいます。そしてその地で匈奴の王族の一人劉豹の側室となり、やがて二人の子供を生みます。自分が生んだ子供への愛情は深かったようです。
後に、蔡邕の娘が匈奴に捕らわれていることを知った曹操は身代金を払い、蔡文姫を連れ戻しますが、彼女は故郷に帰れるかわりに子供たちと別れなくてはなりませんでした。帰国した彼女の作品「悲憤詩」は、子供たちとの別れの悲しみが溢れています。
蔡文姫の数奇な人生は、後にさまざまな作品で扱われるようになりました。

また劉豹は当時匈奴の王族の一人でしたが、後に劉豹の子劉淵が西晋を滅ぼして漢(のちに前趙)を打ち立てます。これは魏が司馬氏の晋(西晋)に滅ぼされた後の話ですからだいぶ先の話ですが、劉淵の生年は不明です。劉淵の母は匈奴の名門の呼延氏だったとされていますが、もしかしたら実母は蔡文姫だったという可能性も完全にないといい切ることはできないかもしれません。
このあたりの関係性にロマンを感じたりすることも、三国志の楽しみ方のひとつとしてあるのではないでしょうか。

まとめ

三国志に興味はあるけれど政治や戦争とかとっつきが悪い……という人は結構多いようです。
なので、三国志の魅力はそれだけじゃないということも伝わればいいなあと思い、今回は恋愛と夫婦というテーマでピックアップしてみました。
恋愛物としての三国志というアプローチも有りなんじゃないかなというのが、今回の記事を書いての個人的な感想です。
他にも紹介したい恋愛関係、夫婦関係もあったのですが、今回は長くなったのでここまでです。ありがとうございました。

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