三国一のお酒好き!?画期的な酒造法を広めた曹操孟徳と日本酒の意外な関係

三国一のお酒好き!?画期的な酒造法を広めた曹操孟徳と日本酒の意外な関係

お酒に縁の深い三国武将と聞いて、真っ先に浮かぶのは誰ですか?『三国志演義』でお酒に関する失敗が多く描かれている張飛益徳?それとも宴会が大好きだったという呉の孫権仲謀?いえいえ、それより縁が深いのは、魏の君主・曹操孟徳なのです。今回は彼と日本酒の意外な関係や、お酒にまつわるエピソードなどをご紹介いたしますね!


武将たちが美味しそうに酌み交わしているお酒 三国時代のお酒はどんなものだったの?

三国志を読んでいると、武将たちがお酒を豪快に酌み交わしているシーンが度々描かれています。それを読んでお酒を飲みたい、飲めるようになりたい、と感じる方もきっと多いでしょうね。かくいう筆者も、「爵(しゃく・古代中国の酒器)を傾けて温かいお酒を味わいながら、剣舞などを眺めてみたいなあ」などと幾度となく憧れたものです。
それほどまでに印象的で美味しそうに感じられるのですが、三国時代のお酒は実際どのようなものだったのでしょうか?

周の時代、お酒は神事のための「斉(せい)」、人が飲むための「酒(しゅ)」に分かれていました。斉には5種類あり、そのうち主に使われたとされる醴斉(れいせい)とは甘い一夜酒のことであり、現在で言うの甘酒のルーツと考えられます。
人が飲むお酒は事酒(じしゅ)、昔酒(せきしゅ)、清酒(せいしゅ)の3種類でした。いずれも穀物が原料で、事酒はいわゆるにごり酒、昔酒は事酒の発酵を進めてアルコール度数を高くしたもの、清酒は昔酒を更に発酵させ、上澄みだけを甕に詰めたものです。
漢の時代になると醴斉も酒として扱われるようになり、前漢の歴史書『漢書』には「醴酒」という記述が確認できます。
醴斉や事酒はアルコール度数1%未満、昔酒や清酒であっても現在の発泡酒程度だったのだとか。いずれにせよたくさん飲まなければ酔うことができませんし、酒豪でなくとも浴びるほど飲むことができたのかもしれませんね。

曹操のお酒との付き合い方 なんとまさかの禁酒令を発布!?

さて、そんな時代に酒をこよなく愛した武将のひとりが、魏の創始者・曹操孟徳です。詩人としても名を残している彼の代表作『短歌行』はこのように書き出されています。

対酒当歌  人生幾何
譬如朝露  去日苦多
慨当以慷  幽思難忘
何以解憂  唯有杜康

「酒を飲みながら大いに歌おう。人生は儚く短いもの。毎日辛いことや悲しいことばかりで嫌になるけれど、それを忘れるには酒を飲むのが一番いいんだ」
ざっくりと現代語訳するとこのような感じでしょうか。乱世の中、頭痛持ちでいかにも神経質そうな曹操は、気に病むことが他の人より様々あったのかもしれません。その緊張をほどいてくれるリラックスアイテムであり、楽しい気分を盛り上げてくれるカンフル剤的な役割だったのでしょうか。
そして『曹瞞伝』という書には宴席での姿についても描かれており、お酒を飲んでご機嫌になると、お皿や盃に頭を突っ込んで衣類を汚してしまうほど大笑いしていたとか。鬱憤晴らしの飲酒にしてはずいぶんと明るくお茶目な印象がありますよね。上司と飲むのが楽しいかどうかは、当時であっても個人の感じ方次第でしょう。とはいえ、こんなにご陽気な酒飲みだったら一緒に愉快な時間を過ごせるでしょうし、曹操はこうした面でも多くの臣下に愛されていたのかな、などと筆者は思うのでした。

お酒が大好きな曹操ですが、禁酒令を出したことがありました。理由は人々が飲みすぎて体を壊してしまうから……というのは表面的な理由。飢饉と戦争が続いて財政が困窮、次に戦争が起きたときに兵糧を確保できなくなることを恐れたためだとか。
しかし、禁じられたらますます飲みたくなるのが人情です。当時の人々は、澄んだお酒を「聖人」、濁ったお酒を「賢人」隠語で呼び、こっそり飲んでいたのだそうです。そして禁酒令を破って酒を飲み、酔った部下が失言して早々の逆鱗に触れるも、「酔った上での軽口だから」と周囲に取りなされ、処刑を免れたというエピソードも残っています。このことからも、この禁酒令がさほど厳密なものではなかったことがうかがい知れます。

曹操が広めたお酒の製法『九醞春酒法』って?皇帝にも上奏したレシピをご紹介

曹操はただ酔うのが好きなだけではなく、味にもこだわりを持っていたようです。
酒造職人であるの知人・郭芝(かくし)から聞き出した酒造法を、当時の皇帝(献帝)に上奏しています。その内容をレシピ風にまとめてみますね。

■材料
・麹……30斤(約7kg)
・水……5石(約100リットル)
■作り方
1・12月2日、麹を水で洗い、正月になったら凍っているところを溶かします。
2・良質な米を加えて3日にいちど発酵させ、9石(約180リットル)になったら米を追加するのをやめます。
3・発酵を9回繰り返せば出来上がりです。
※麹のカスを搾り取れば飲めます。こうすれば、麹や米に虫がたくさんついていたとしても、すべて取り去ることができます。
※この方法ではいつも発酵がよくでき、しかもきれいなので酒カスも飲めます。
※9回発酵させても苦くて飲みにくい場合は、10回発酵させてください。ずいぶん甘くなって飲みやすく、不快な酔い方もしにくくなります。
(原文とは文章が前後しています。ご承知おきください)

9回発酵させて作られるこの酒を九醞春酒(きゅううんしゅんしゅ)、その製法を九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)と呼びました。これは現在の醸造酒の製法と同じもの。日本酒で言う「段仕込み」ですね。アルコール度数も日本酒のそれと同程度であったと考えられます。事酒や昔酒、清酒のような度数の低い酒がほとんどだった1800年前としては、最先端の技術と言っても過言ではないでしょう。
この製法を誰が考え出したのかは不明ですが、分量や手順を事細かに書けるところを見ると、曹操も作り方について充分な理解があったと考えられます。軍略家で政治家、詩人でなおかつ酒造りの知識もあっただなんて、曹操は実に多才ですよね。

せっかくのお酒。どうせ飲むなら曹操のように

余談ですが、以前筆者が日本酒に関する講座に出席したとき、前述の九醞春酒法の話題が取り上げられました。文献として残されていないため、曹操のレシピが日本に伝わったという確証はないそうです。とはいえその可能性はなきにしもあらず。日本酒を楽しむ際には、かの英傑に思いを馳せてみるのも一興かもしれません。
また、せっかく飲むのならば、やはり陽気で愉快なお酒が一番。酒癖はなかなかコントロールできないものですが、できることなら曹操のようにリラックスして大いに歌ったり、料理に頭を突っ込むまでにならなくても(笑)大いに笑いながら、楽しく過ごしたいものですね。

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