三国志に登場する「人物・武将」についての記事
三国志・もしも三国志マニアが現代からタイムスリップしたら、どこまで貢献できるのか?
今回は三国志の知識を持った状態で、三国志の時代にタイムスリップしたらどこまで貢献することができるのかを考察していきます。
黄巾党の乱、董卓の暴政の頃の有力者といえば袁氏のツートップである袁紹と袁術でした。この二人とても仲が悪かったようです。身近な者ほど憎みやすくなるのでしょうか。また二人は一体どのようにして対立していったのでしょうか。
強い漢ばかりではない!派手な活躍もせずに、残念な死を遂げた武将3選
三国志の歴史の中には様々な武将がいます。知恵のある武将から一人で戦況を変えてしまうような武将まで、多くの憧れるような武将たちがいました。しかし、その中には、あっという間に死んでいった武将たちもいます。すべての武将がかっこいい最期を遂げていったわけではなく、残念な最期を迎えた武将を紹介します。
三国志では、多くの武将・君主が登場します。なかには、現代社会でもお手本にしたいようなリーダーシップのある武将・君主がいるのです。そこで今回は、三国志に登場するリーダーになったらお手本にしたい武将・君主7選を紹介していきたいと思います。
蜀による第5次北伐では、諸葛亮が司馬懿をあと一歩のところまで追い詰めました。そのとき諸葛亮は司馬懿と同時に味方の魏延も一緒に葬り去ろうとしたという説があります。
208年、河北一帯をほぼ平定した曹操(孟徳)は、中国全土の統一を目指し南征軍を興します。当時の中国南部の大きな勢力は荊州と呉国でしたが、劉表(景升)が亡くなった荊州が進撃してきた曹操軍に降伏。劉備軍は江夏、夏口へ逃亡しますが、曹操(孟徳)有利の体勢がますます強化されてしまいました。
英雄であろうと覇者であろうと人間である以上、必ず死は訪れます。彼らは最期の瞬間に何を思ったのでしょうか?2000年前から伝わる英雄たちの最期の言葉を取り上げてみました。また、この遺言、演義と正史の差があまりありません。なので、「この言葉知っている」ということも多いと思います。
三国志の英雄といえば劉備(玄徳)の名が挙がります。三国志演義の影響もあって、多くのファンを持ち、日本でも大人気といえるでしょう。そんな劉備(玄徳)は正史でも主役級の扱いとなっており、三国志の時代には多大な人望を集めていました。ここでは義勇軍の結成から徐州攻防戦までの劉備(玄徳)の軌跡をたどっていきます。
三国の一つ呉の国の土台を築いたのは、皇帝孫権の兄孫策です。小覇王と称されたくらいですから、楚の国の英雄だった覇王項羽なみの武勇を誇っていたのでしょう。ですが、それだけで国を興すことは出来ません。果たして一国を築き上げた孫策とはどのような人物だったのでしょう。
劉琮は広大な土地・荊州を支配していた父、劉表(景升)の後を継ぐことになりました。しかし、自分が実権を握るとすぐに曹操(孟徳)に降伏してしまいます。一見情けない君主ですが、そんな劉琮について紹介します。
三国志において、天下最強・無双などの称号を持つのが呂布です。英雄として描かれたり、悪役として登場するなど、小説や漫画、ゲームなどでは個性あふれるキャラクターとなっています。そんな最強といわれた呂布はどうして天下を取れなかったのか、その軌跡とともに見ていきましょう。
優れて優秀な人物のことを「白眉」と呼ぶことがあります。この白眉というのは三国志に登場する馬良(季常)が由来だったことをご存知でしょうか。馬良(季常)は5兄弟の四男で「馬氏の五常、白眉もっとも良し」と言われた英才でした。しかし、現在では末弟の馬謖(幼常)のほうが良くも悪くも名前を知られていますよね。なぜでしょうか?
蜀と呉の間に取り交わされた幻の「魏領分割案」についてお伝えします。魏が滅びていたら蜀と呉の領土はどのようになっていたのでしょうか。
曹操(孟徳)が袁紹(本初)を滅ぼした「官渡の戦い」と同様に「大戦」となることが容易に想像できる呉国との戦い。曹操(孟徳)は自軍の戦いを優位に導くため、実践前に様々な「謀略」を用います。しかしそれは、呉国も同様でした。国の存亡を賭けての戦い。ここに「実践前の謀略戦」が繰り広げられます。
三国志の醍醐味といったらやはり豪傑といわれる将軍たちの一騎打ち。三国志演義では多くの一騎打ちがなされました。しかしここでは実際には戦わなかったが、「この二人のバトルが見たい」という観点で「架空一騎打ち」を考えてみました。話半分で聞いてもらえたらありがたいです。
魏を牽引し、三国志の歴史の中でも特に優秀な人物と言えた曹操(孟徳)ですが、そんな優秀な人材でも女性関係はだらしなく、不倫を続けていたといいます。ではその複雑な女性関係を紐解いていきましょう。
三国志最強の呂布は裏切り者!だけどなぜ魅力的なのか考察してみた
三国志の武将で最強の呼び声高い呂布。しかし、呂布は何度も主君を裏切った武将としても有名だ。養父2人を裏切り、殺害までしているだけに悪者のイメージが強い。そんな呂布だが、三国志ファンには呂布好きも多くいるのだ。そこで今回は、なぜ裏切り者のはずの呂布は、なぜ多くの人を魅了するのかについて考察していきたい。
はじめは丁原(建陽)を主として仰ぎ、董卓(仲穎)の誘いに乗って父子の契りを結び、王允(子師)が刺客として送った貂蝉(ちょうせん)のハニートラップにまんまとハマって董卓(仲穎)までも殺害した「主殺し」の悪名高い呂布(奉先)。しかし、実は主殺しを繰り返した武将は、他にも・・・。劉繇(正礼)配下の笮融(字は不明)です。
魏の曹操(孟徳)、蜀の劉備(玄徳)、呉の孫権(仲謀)の3名の主導者は、それぞれ異なったカリスマ性で己が部下、民の心を掌握しました。本記事では各人それぞれどのようにして人心を掌握し、己の手足のように人々を動かしていたのかを分析した結果をお送りします。
とんでもないエピソード満載の張飛(翼徳)について 張飛 最後は?
三国志でも超有名人物である張飛(翼徳)。彼は1人で1万人に匹敵する強さを誇り、部下としてさぞ有能のように思えます。その反面酒での失敗や、部下への罰則が厳しすぎるという一面もあります。三国志 張飛 の 最後 含め、そんな張飛のとんでもないエピソードについてまとめてみました。