街亭の戦い - 北伐への道
■ 街亭の戦い - 北伐への道
街亭の戦い - 北伐への道
蜀漢の建興六年(西暦228年)、成都の宮殿では春風が吹き抜けていたが、丞相・諸葛亮孔明の胸中には北伐への決意が熱く燃え盛っていた。四十七歳となり、その眉間には国家の重責が深く刻まれている。
「丞相、準備は整いました」
副将の王平の声に、孔明は静かに顔を上げた。その鋭い眼差しは、北方の魏を見据えている。先帝劉備との誓い、「漢室の復興」という大業を成し遂げるため、知略をもって強大な魏に挑む時が来たのだ。
十万の大軍を率いて漢中を出発した孔明の第一目標は、魏の要衝である街亭の奪取であった。そこは隴西への要衝であり、ここを制すれば魏の西方への補給線を断ち、北伐の成功が大きく近づく。
孔明は愛弟子である馬謖を呼び寄せ、街亭の守備を任せた。兵法に通じ、孔明からも厚い信頼を寄せる馬謖に、孔明は念を押した。「街亭は北伐成功の要。決して油断してはならぬ」。馬謖は自信に満ちて応じたが、孔明の胸には一抹の不安があった。馬謖は才能豊かである一方、実戦経験に乏しく、理論に偏りがちな傾向があったからだ。
「王平を副将として付ける。何事も慎重に進めよ」
孔明は配慮したが、馬謖は内心不満を抱いていた。
街亭の悲劇と絶体絶命の危機
■ 街亭の悲劇と絶体絶命の危機
街亭の悲劇と絶体絶命の危機
街亭に到着した馬謖は、王平の忠告を退け、地形を熟知しないまま山上への陣を敷いた。「『孫子』にも『高きに居りて低きを撃つ』とある」と兵法の知識を誇示したが、これは致命的な誤りであった。
魏の大将軍・張郃は、経験豊富な老将として馬謖の愚かな布陣を見破った。彼は巧妙な包囲戦術で山麓の水源を全て封鎖し、蜀軍を完全に孤立させた。数日後、水を絶たれた蜀軍の士気は崩壊し、馬謖軍は壊滅的な打撃を受けて街亭は魏軍の手に落ちた。
敗報は矢のように孔明の元に届いた。「何と…馬謖が敗れただと?」。孔明の顔は蒼白になった。街亭の陥落は、北伐計画全体の破綻を意味する。さらに、張郃の大軍が西城へ向かっているという報告も入った。
「丞相、急ぎ撤退を!」
部下たちの進言に孔明は深く頷いたが、撤退には時間が必要だ。張郃の進軍速度を考えれば、西城で足止めを食う可能性が高い。そして西城には、わずか数千の兵しか残されていなかった。
空城の計 - 奇跡の打開策
■ 空城の計 - 奇跡の打開策
空城の計 - 奇跡の打開策
西城の城楼に立った孔明は、遥か彼方に立ち上る砂塵を見つめていた。張郃に加わった最大のライバル、司馬懿率いる十五万の大軍が、確実に西城に迫っている。
「丞相、敵軍の先鋒が見えました!」
斥候の報告に城内は騒然となったが、孔明は不思議なほど冷静であった。彼の口から発せられた命令は、信じがたいものだった。
「慌てるでない。全ての軍旗を隠せ。兵士は全て城内に潜ませよ。そして城門を大きく開け放つのだ」
「丞相、それでは…」
部下たちは驚愕したが、孔明は悠然と続けた。「案ずるな。そして掃除用具を持つ者を二十名、城門の前に配置せよ。平常通り掃除をさせるのだ」。孔明の真意を測りかねた部下たちは、その威厳ある態度に従うしかなかった。やがて西城は、まるで無防備な町のような静寂に包まれた。
孔明は城楼に琴を運ばせ、香を焚かせた。そして道服に身を包み、羽扇を手に悠然と琴の前に座った。
司馬懿の先鋒隊が西城に到達したとき、彼らが目にした光景はまさに驚天動地であった。城門は大きく開かれ、城壁の上では諸葛亮孔明が静かに琴を弾いている。城下では数名の農民らしき者が、のんびりと掃除をしているだけだ。
「将軍、これは…」
副将が困惑した声を上げた。司馬懿もまた、この異様な光景に眉をひそめた。天下に名を馳せた軍師である孔明が、このような無防備な姿を晒すはずがない。
「待て。進軍を止めよ。何か策があるに違いない…」
孔明の琴の音色が、静寂な空気に響き渡る。それは古雅で美しい旋律であったが、司馬懿の耳には不気味な警告に聞こえた。「孔明よ、今度は何を企んでいる」。司馬懿の頭の中では、様々な可能性が駆け巡っていた。城内に伏兵が潜んでいるのか。それとも、城の周囲に罠が仕掛けられているのか。あるいは、別働隊が自軍の背後を突く準備をしているのか。
一方、城楼の孔明は内心で冷汗をかいていた。この策は、まさに一か八かの大博打である。司馬懿が疑心暗鬼に陥ることを期待しての演技に過ぎない。もし司馬懿が果敢に攻撃を仕掛けてくれば、西城はひとたまりもなく陥落するだろう。
しかし、孔明は司馬懿の性格を熟知していた。司馬懿は確かに優秀な将軍だが、その反面、極めて慎重で疑い深い性格である。特に孔明に対しては、過去の戦いで散々煮え湯を飲まされているため、警戒心が強い。琴の音色に込めて、孔明は司馬懿に「我に策あり、近づく者は必ず後悔するであろう」と無言のメッセージを送っていた。
司馬懿の十五万の大軍は、西城の前で完全に足を止めていた。将兵たちは上官の命令を待っているが、司馬懿は決断を下せずにいた。
「将軍、偵察隊を送りましょうか」
「いや、待て。これは孔明の罠だ。必ず何か仕掛けがある」
時が経つにつれ、司馬懿の疑念は深まるばかりであった。孔明がこのような危険を冒すはずがない。きっと何か深い計略があるに違いない。
ついに司馬懿は決断を下した。
「全軍、退却する!」
「将軍、しかし…」
「孔明の策に嵌るわけにはいかぬ。今は退くが賢明だ」
こうして十五万の大軍は、たった一人の男の琴の音に恐れをなして退却していった。孔明は城楼で最後まで琴を弾き続け、司馬懿軍の姿が完全に見えなくなるまで演技を続けた。
語り継がれる奇策
■ 語り継がれる奇策
語り継がれる奇策
司馬懿軍が去った後、城内から歓声が上がった。孔明の表情は複雑であったが、その奇策は成功したのだ。北伐は一旦中止せざるを得ず、蜀への撤退が決定された。後日、街亭での敗戦の責任を取り、孔明は軍規に従い馬謖を処刑した。愛弟子を失った孔明の心中は察するに余りあるが、軍規を正すことこそが、今後の戦いにおいて重要であることを痛感していた。
司馬懿もまた、後に空城の計の真相を知って舌を巻いた。「さすがは孔明よ。危機の中でこのような奇策を編み出すとは…」。しかし司馬懿は、自分の判断を後悔してはいなかった。孔明という男は、常に想像を超える策略を用いる。慎重すぎるくらいが丁度良いのだ。
「空城の計」は、諸葛亮孔明の知略と胆力を象徴する驚異的な逸話として、後世まで語り継がれることとなった。絶体絶命の危機を、一人の知恵と胆力で乗り切った奇跡の物語である。しかし孔明自身は、この策を二度と使うことはなかった。なぜなら、同じ相手に同じ手は通用しないことを、誰よりも良く知っていたからである。
蜀と魏の戦いは、その後も長く続いた。孔明と司馬懿という二人の天才軍師の対決は、中国史上最も知的な戦いとして記憶されている。そしてその中でも、「空城の計」は最も鮮やかで、人々の心を深く揺さぶる一幕として、今もなお語り継がれているのだ。
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