後は頼んだ・・・英雄たちの遺言

後は頼んだ・・・英雄たちの遺言

英雄であろうと覇者であろうと人間である以上、必ず死は訪れます。彼らは最期の瞬間に何を思ったのでしょうか?2000年前から伝わる英雄たちの最期の言葉を取り上げてみました。また、この遺言、演義と正史の差があまりありません。なので、「この言葉知っている」ということも多いと思います。


劉備(玄徳) 孔明よ、後は頼んだ

劉備(玄徳)の遺言はおそらく三国志で最も有名でしょう。配下である諸葛亮に、
「君の才能は曹丕の十倍ある。きっと国をうまく治めてくれるだろう。もし、太子劉禅が天子の器なら補佐してやってくれ。その器がないなら君が取って代われ。」
「馬謖は大して才能もないくせに大きなことを言う。重く用いてはいけない」
息子である劉理と劉永に、
「今後は諸葛亮を父と思って仕えなさい。それが出来なかったらお前たちは不孝の子であるぞ」
三つともよく知られています。一つ目は劉備(玄徳)がいかに諸葛亮を信頼していたかを表しています。劉備(玄徳)の本音は諸葛亮に全てを任せたかったのではないでしょうか?皇帝という立場としては国のことを最優先したかったのでしょう。ですが、後継者を血縁者にするのは何千年も続いている制度。さすがにそこまでは劉備(玄徳)もできなかったようです。
二つ目は諸葛亮の人生最大の失敗とも言うべきことを暗示しています。諸葛亮は北伐で、可愛がっていた馬謖を先陣に抜擢し、敗れます。味方からも経験豊富な魏延や呉懿を起用するべきだという声が大きかったようです。劉備(玄徳)の人を見抜く目の確かさが表れています。
三つ目は劉備(玄徳)が諸葛亮を信頼していたように、息子たちの世代も彼を信頼してほしいという願いでしょう。諸葛亮が息子たちを助けるのではなく、息子たちが諸葛亮を父と思って手助けしてほしい。そうすればきっと国がうまくいくはずだという劉備(玄徳)の願いが表れています。
劉備(玄徳)の遺言は諸葛亮への信頼、願い、忠告がつまったものでした。

孫策 オレはお前にかなわない

孫策は若い内(26歳)に刺客に襲撃されてしまいます。重症を負い、最期を悟った孫策は後のことを弟の孫権に託します。演義では
「国内のことは張昭に、国外のことは周瑜に相談しなさい」
と孫権に伝えたとありますが、正史では張昭に孫権の補佐を依頼します。そして、孫権に対しては有名な言葉を遺します。
「兵を率いて国を興し、天下分け目の決戦を行うということにおいて、お前はオレに及ばぬ。
だが、有能なものを登用し、国を安定させていくということにおいてオレはお前にかなわない」

父である孫堅の死後、孫策は袁術軍の一武将から兵を率いて、江東を平定し呉の国の基礎を築きました。このようなことは孫権には出来ないかもしれません。ですが、その築き上げた国を保っていくということにおいては孫権の方が向いていると孫策は認めていました。自分や周りの人間に出来ること、出来ないことを冷静に見極め、国がこれからどうやっていくべきか、後継者である弟に遺したアドバイス、励ましの言葉と言うのがふさわしいでしょう。

曹操 今は戦時中

曹操の遺言は非常に現実的です。
「今は戦時中であるから喪に服す期間は短くて良い。また、墓に金銀財宝などは入れてはならぬ。」
三国志の時代の中国では、親や君主が死亡すると年単位で喪に服していました。また、偉い人が死亡すると、墓の中に金銀財宝が大量に一緒に埋められました。このことは、董卓が歴代皇帝の墓を暴いて財宝を略奪したということからも分かります。
ところが、曹操は、今は戦時中なのだからそのようなことをしているのは無駄だとバッサリ切ってしまいました。それは自分であっても同様です。死んでから財宝を持っていても仕方ないし、喪に長く服したからと言って、国が栄えるわけでもありません。そのようなことをせず、現実的に意味のあることをしろ、ということでしょう。リアルな視点を持ち、強大な魏の国を築き上げた曹操らしい遺言です。

袁術 蜂蜜を

袁術の最期の言葉として伝わっているのが、
「この袁術ともあろうものがここまで落ちぶれるとは」
です。三国志でも情けない登場人物トップクラスである袁術らしいかも知れません。
袁術は三国志初期の頃は董卓、袁紹らと共に最強クラスの勢力でした。ところが、暴政がひどく、孫策を初めとした将兵や人民が次々と離反していきます。そして、戦争でも曹操や呂布に敗れ、勢力は大きく後退します。そこで袁術は兄である袁紹を頼ろうとします。それに対抗したのが曹操でした。劉備と朱霊を徐州に派遣し袁術の行く手を阻みます。袁術は身動きが取れなくなりました。季節は夏で暑さが厳しく、食料も残りが少なくなったところで、袁術は喉が渇き、蜂蜜入りの飲み物を所望します。ですが、そのための蜂蜜も既に手に入らない状態でした。そして、先の言葉を叫び、血を吐いて死亡したとされています。
自業自得ではありますが、どんなに強大なものでも敗れる可能性があり、敗れた場合の悲哀を感じさせる、戦国の世ではこその遺言です。

呂布 私が騎兵を殿が歩兵を

呂布は演義で剛勇無双に描かれておりますが、実際に相当の武勇を誇っていたようです。ですが、一人がどんなに武勇が優れていても、戦争に勝つことは出来ません。曹操の元にいる荀彧・郭嘉・程昱・荀攸らの優れた計略の前に呂布は曹操に敗れ続けます。そして、徐州の下邳城に籠城して対抗していましたが、郭嘉・荀攸のたてた水攻めの計略の前についに落城し、呂布も縛られ曹操の前に引き出されます。呂布は
「縄がきついので少し緩めてくれ」
と曹操にいいます。曹操は、
「虎を縛るのに緩めるわけにはいかない」
と返します。「虎」と表現されるあたり、呂布の剛勇さを表しているのでしょう。続いて、
「殿(曹操)が悩みとしていたのは私でしょう。こうして私が捕まったからには悩みはなくなったはずです。これから先、私が騎兵を、殿が歩兵を率いていけば天下統一も出来るでしょう」
と曹操に持ちかけます。すると、曹操のそばにいた劉備(玄徳)が、かつて呂布に裏切られて殺された丁原、董卓のことを持ち出します。呂布は
「この劉備(玄徳)こそが最も信用ならんやつだ」
と叫びますが、曹操の心は決まり、呂布は処刑されます。呂布は悪役ですが、ファンも多く、
英雄視されたりもしますが、その最期は命乞いをした上で処刑されるという、情けないものでした。
ところが呂布の遺言、
「劉備(玄徳)こそが最も信用ならない」
は、皮肉なことに的中してしまいます。数年後、劉備(玄徳)は曹操の天下統一の最大の障害として立ちはだかることになります。

まとめ

英雄たちにも様々な遺言があります。遺言一つでそれまでの印象がガラッと変わってしまうことも多々あります。「どう生きてきたかが本当に分かるのは死に際」と言われますが、遺言にそれが表れることもありますね。

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