リーダーになったらお手本にしたい三国志の武将・君主7選

リーダーになったらお手本にしたい三国志の武将・君主7選

三国志では、多くの武将・君主が登場します。なかには、現代社会でもお手本にしたいようなリーダーシップのある武将・君主がいるのです。そこで今回は、三国志に登場するリーダーになったらお手本にしたい武将・君主7選を紹介していきたいと思います。


曹操:人材登用が上手なリーダー

現代社会のリーダーでもお手本にしたい三国志の武将・君主と言えば曹操です。曹操は、三国志の中でも英雄として扱われることが多いです。そんな曹操ですが、リーダーとしてお手本にしたいのが人材登用についてだと思います。曹操の特徴は、身分や出身に関係なく人材登用を行います。しかも評価は実力主義であり、功績を立てればしっかりと評価するのが曹操なのです。

「魏書」武帝紀には、曹操の論功行賞について「勲労、賞すべきには千金を惜しまず、功なくして施しを望むには、分毫も与えず」と記されています。簡単に説明すれば、賞を与えるときには千金だろうが惜しまないが、功績がないものが賞を欲しがっても一銭も与えないということです。功績をしっかりと評価することができる曹操は、現代社会のリーダーとしても優秀だったことでしょう。

荀彧:優秀な才能を見抜くことができるリーダー

荀彧は曹操の部下であり、「王佐の才」と評されるほどの人物です。曹操にさまざまな献策を行い、曹操を補佐します。そんな荀彧の凄いところが、人の才能を見抜くところです。曹操に多くの人材を推挙しており、推挙された人物はことごとく活躍しているほど優秀だったのです。

リーダーなら、優秀な人材を見抜く必要があります。それだけに、荀彧は現代社会のリーダーもお手本にしたい人物なのです。荀彧の名言には「誠にその才あれば、弱と雖も必ず強し」があります。意味は、才能ある人物なら今は埋もれていても、必ず花開くとのことです。まさに、優秀な人材を見抜くことができることができるからこその発言ではないでしょうか。

劉備(玄徳):仁徳溢れるリーダー

劉備(玄徳)も、現代社会でもお手本にできるリーダーシップの持ち主です。劉備(玄徳)は、仁徳のある君主として語られることが多いです。実際に、関羽や張飛、諸葛亮などさまざまな優秀な部下が劉備(玄徳)を慕っています。個人や情を大切にするリーダーであり、部下想いだからこそ、多くの優秀な部下がついてくるのです。

そんな劉備(玄徳)ですが、遺書として息子の劉禅に「これ賢、これ徳、よく人を服す」という言葉を残しています。この言葉は、聡明さや思いやりにより、部下は感服してついてくるという意味です。息子の劉禅に対して、武力ではなく聡明さや思いやりの大事さを説いているのです。この言葉からも、劉備(玄徳)のリーダーとして理念を真似したいと思ってしまいます。

諸葛亮(孔明):信賞必罰を重視するリーダー

名軍師として名高い諸葛亮(孔明)も、リーダーとしてお手本にしたい武将です。諸葛亮(孔明)は組織について理解しているリーダーです。現代社会でも上手に組織を動かすことができるリーダーとなっているのでしょう。とくに信賞必罰をしっかりと行う姿勢は、現代社会のリーダーもお手本にするべきです。

諸葛亮(孔明)が信賞必罰を厳守したことがわかるのが、故事成語の「泣いて馬謖を斬る」です。これは、諸葛亮(孔明)の愛弟子である馬謖が指示に背いて敗戦したときにできた故事成語となります。愛弟子の馬謖ですが、諸葛亮(孔明)は涙を流しながらも処刑したのです。情に流されず、信賞必罰を厳守する姿勢はリーダーのお手本になる部分でしょう。

孫権:部下との関係を築けるリーダー

孫権は、孫堅の子どもであり19歳の若さで君主となります。そんな孫権の現代社会でもお手本にできるのが部下の諫言についてです。二世・三世の君主で大変なのが、先代からの部下との関係性です。その点、孫権は先代から使えている部下と良好な関係を築いています。これは、部下の諫言をしっかりと聞き、ワンマンな体制を築かなかったからです。

リーダーになると高圧的になったり、横柄な態度をとったりしてしまいます。しかし、それでは部下が離れていってしまいます。孫権はしっかりと諫言を聞き、部下の意見も大事にしたことから部下との信頼関係を築くことができたのです。現代社会のリーダーも孫権をお手本にして、部下の意見も取り入れながら信頼関係を築いていくべきなのではないでしょうか。

周瑜:人材の大切さを理解しているリーダー

孫策・孫権に仕えた武将が周瑜です。赤壁の戦いの立役者でもあります。そんな周瑜ですが、リーダーとしてお手本になる言葉を残しています。それが、「何事もその基は人です。人を得る国はさかんになり、人を失う国は亡びましょう」と述べているのです。

簡単に説明すれば、人材が基本であり、人材がいれば国は栄えるが人材が不足すれば滅びるとの意味になります。この国を会社・組織にすると、現代社会でも納得できる言葉になります。人材の大切さがわかっている周瑜は、リーダーとしてお手本にしたい武将のひとりなのです。

沮授:勝負について理解しているリーダー

袁紹に仕えた武将です。歴史家・孫盛からは「前漢時代の張良・陳平に匹敵する」と評されている武将です。そんな沮授だけに、素晴らしい名言を残しています。その名言のひとつが、「勝負は変化あり、詳らかにせざるべからず」です。簡単に説明すると、勝負は変化するものであり、見定めるべきとの意味になります。

この言葉から、沮授をリーダーのお手本にしたいのがわかると思います。リーダーなら、勝負に勝たないといけません。そして、勝負では勝ち目があるのか見極める必要があるでしょう。沮授なら、勝負を見定めてくれるはずです。そんな沮授だけに、リーダーとしてお手本にしたい武将のひとりなのです。

まとめ:リーダーになったら三国志の武将・君主をお手本にしよう!

三国志の武将・君主のなかでも、リーダーになったらお手本にしたい武将・君主を紹介してきました。いずれの武将・君主も素晴らしい部分があり、現代社会でもお手本にしたい部分がたくさんあります。お手本にすることで、人材登用から部下との接し方など、さまざまなことを学ぶことができるのです。

今回紹介した三国志の武将・君主の良い部分をお手本にすることで、信頼されるリーダーになることができると思います。時代は違えど、見習う部分はたくさんあるのです。ぜひ、お手本にして、リーダーとして活躍してください。

関連する投稿


西涼の強兵 蜀漢を支えた馬一族の台頭

西涼の強兵 蜀漢を支えた馬一族の台頭

劉、曹、孫一族など皇帝を輩出した一族を筆頭として、三国志ではいくつかの一族が台頭します。曹操(孟徳)によって滅ぼされた袁一族、三国志の最終的な勝者となった司馬一族、そして、西涼から立ち上がり一時は長安を占領した馬一族もそのひとつです。三国志後半の蜀漢において重要な役割を果たす馬一族の活躍ぶりを見て行きます。


赤壁の戦いの真実

赤壁の戦いの真実

三国志の中で最大の合戦と言われる「赤壁の戦い」。演義では諸葛亮の圧倒的な才覚の前に周瑜や魯粛もタジタジで曹操がコテンパンにやられます。ですが、東南の風を人為的に起こしたり関羽が曹操を見逃すのを見越したりと流石に現実的にはちょっと・・・というシーンも多々あります。正史の赤壁の戦いは一体どうだったのでしょうか?


劉備(玄徳)の死後も続いた諸葛亮(孔明)との微妙な関係

劉備(玄徳)の死後も続いた諸葛亮(孔明)との微妙な関係

劉備(玄徳)と諸葛亮(孔明)は「水魚の交わり」と言われるほど密接な関係だったようです。これには義兄弟の関羽(雲長)と張飛(益徳)もヤキモチを焼いたのだとか。しかし、史実では密接な関係であると同時に微妙な関係にあったことも読み取ることができます。


劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

諸葛亮(孔明)と同等かそれ以上の才能を持つとも言われた龐統(士元)。赤壁の戦いの頃から三国志に登場しますが、その才能を十分に発揮することなくこの世を去ってしまいます。短くも深く色濃い生涯となる「龐統(士元)の三国志」を見て行きます。


今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

三国志の小説やドラマなどをひと通り見てきたけれど、話の内容はだいたい理解できているが時代背景や物語の進み方が蜀目線で進められていることに疑問がある方はどれくらいいるでしょう? 本記事ではそのような今さら聞けない三国志の疑問についてご説明いたします。


最新の投稿


西涼の強兵 蜀漢を支えた馬一族の台頭

西涼の強兵 蜀漢を支えた馬一族の台頭

劉、曹、孫一族など皇帝を輩出した一族を筆頭として、三国志ではいくつかの一族が台頭します。曹操(孟徳)によって滅ぼされた袁一族、三国志の最終的な勝者となった司馬一族、そして、西涼から立ち上がり一時は長安を占領した馬一族もそのひとつです。三国志後半の蜀漢において重要な役割を果たす馬一族の活躍ぶりを見て行きます。


赤壁の戦いの真実

赤壁の戦いの真実

三国志の中で最大の合戦と言われる「赤壁の戦い」。演義では諸葛亮の圧倒的な才覚の前に周瑜や魯粛もタジタジで曹操がコテンパンにやられます。ですが、東南の風を人為的に起こしたり関羽が曹操を見逃すのを見越したりと流石に現実的にはちょっと・・・というシーンも多々あります。正史の赤壁の戦いは一体どうだったのでしょうか?


三国志・諸葛亮孔明と記すことは間違いなのか?

三国志・諸葛亮孔明と記すことは間違いなのか?

三国志の登場人物たちの名前は「姓」「諱」「字」に分けられますが、「姓+諱+字」で表記することは間違っているのでしょうか?


劉備(玄徳)の死後も続いた諸葛亮(孔明)との微妙な関係

劉備(玄徳)の死後も続いた諸葛亮(孔明)との微妙な関係

劉備(玄徳)と諸葛亮(孔明)は「水魚の交わり」と言われるほど密接な関係だったようです。これには義兄弟の関羽(雲長)と張飛(益徳)もヤキモチを焼いたのだとか。しかし、史実では密接な関係であると同時に微妙な関係にあったことも読み取ることができます。


劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

劉備に仕えた龐統(士元) 惜しまれた大賢人の短い生涯

諸葛亮(孔明)と同等かそれ以上の才能を持つとも言われた龐統(士元)。赤壁の戦いの頃から三国志に登場しますが、その才能を十分に発揮することなくこの世を去ってしまいます。短くも深く色濃い生涯となる「龐統(士元)の三国志」を見て行きます。


https://sangokushirs.com/articles/196