蜀の名君劉備(玄徳)が民や将から慕われていた理由を考察してみた

蜀の名君劉備(玄徳)が民や将から慕われていた理由を考察してみた

三国志といえば蜀!名君といえば劉備(玄徳)と多くの人が認識しているわけですが、これは三国志演義という小説が蜀や劉備をあたかも主人公視点のように書いているからでもあります。とはいえ劉備(玄徳)の人気はありますし、脚色であったとしても慕われる理由は知りたいので今回はその理由について考察してみることにしました。


皇族の末裔という高貴なる血統

皇族の末裔という高貴なる血統

皇族の末裔という高貴なる血統

劉備(玄徳)が慕われる理由として外すことができないのは、その高貴なる血統ではないでしょうか?劉備(玄徳)は前漢の景帝の子である中山靖王劉勝の末裔であるとされています。ということは劉備(玄徳)は皇族の一員であるということになります。歴史上血統が出世に大きく影響する例は腐るほどありますが、皇族である劉備(玄徳)は誰から見てもサラブレッドだったのです。

ただ、実はといえば劉備(玄徳)の祖先と言われている中山靖王劉勝には50人以上の子供がいるとされており、孫などを含めると120人程度はいたとされています。日本でいう藤原氏などもそうですが、たどっていくと相当数が子孫に該当してしまいます。

ということは中山靖王劉勝の血統だと言われる人物はその時代に5000人以上いたとされるので考えてみれば劉備(玄徳)はいうほど特別な血筋でもないことがわかります。ただ、それをわざわざ口にする人もいないでしょうし、口にしても劉備(玄徳)そのものに魅力がなければ人はついてきません。

劉備(玄徳)が中山靖王劉勝の末裔だから建国できたのではなく、中山靖王劉勝の末裔だという人物が劉備(玄徳)であったからこそ建国できたというのが正解なのかもしれません。ようは人としてのカリスマ性に長けていたから多くの人がついてきたんですね。

優れた能力を持つことがリーダーの資質ではないという考え方

優れた能力を持つことがリーダーの資質ではないという考え方

優れた能力を持つことがリーダーの資質ではないという考え方

優れた能力を持っている人には人がついていくというのはひとつの考え方にしかすぎません。三国志の舞台である中国では理想のリーダーとされるのは優れた能力を持っている人ではありません。では、理想のリーダーとはどのような人物なのでしょうか?

中国で理想のリーダーとされるのは、優れた能力を持つ者ではなく優れた能力を持つ者を上手く扱う事の出来る人がリーダーとされています。つまり自分の部下のモチベーションをあげたり、才能をひきだしてあげたり、上手いこと部下をコントロールできる人が理想のリーダーと言えるわけです。

考えてもみれば、確かに劉備(玄徳)は優れた武力があるわけでもありませんし、多くを部下に任せているように感じます。悪い言い方をすれば部下を利用しているといった感じですが、良い言い方をすれば上手いこと部下を活かしているということになります。

劉備(玄徳)は中国の考え方では理想のリーダーと言えます。確かに個でみれば尊敬できる人物であるかはわかりませんが、リーダーとしては十分に尊敬に値する人物であったのではないかと思います。

自身の損得よりも他人のことを一番に考える義の人

自身の損得よりも他人のことを一番に考える義の人

自身の損得よりも他人のことを一番に考える義の人

義の人。その言葉を聞いてみなさんは誰を思い浮かべるでしょうか?日本の戦国時代であれば、最後まで秀吉公を思い豊臣のために戦った真田幸村や義を重んじ自身に美しくあろうという信念をもった直江兼続などを思い浮かべる人もいるでしょう。実は、劉備(玄徳)も義の人でした。

劉備(玄徳)は実際、そんなに野心はありませんし、勉学に励んでいたわけでもありません。そんなことよりも音楽やファッションなどに強い関心を持っており、堅いイメージとは裏腹に社交的で新しいもの好きであったとされます。

だからこそ多くのものをすんなり受け入れるだけの視野の広さ、器の大きさを持っていたので酒の席などでも簡単に人と打ち解けることができました。そういった性格が関羽雲長や張飛翼徳との深いつながりをよんだとされます。つまりは人に好かれやすいタイプの人間だったということです。この人のためなら何かしたくなるって多くの人に思わせるのも才能ですね。でも、それは自分の損得よりも他人のことを最初に考えるという劉備(玄徳)の人間性がそうさせてるのかもしれませんね。

とにかく低姿勢なリーダー

とにかく低姿勢なリーダー

とにかく低姿勢なリーダー

曹操孟徳といえば人に対して人を自分の野心のために利用するといったようなイメージがつきまといますが、劉備(玄徳)はそんなことはなく、人の協力なくして成し遂げることのできないことはあるのだから人を大事にするという考え方を持っています。

例えばですが、人に対して同じことをしてもらうにしても「やれ」といった命令口調や態度では人は動きませんし、動いたとしても人はついてきません。一方で「頼むよ。お願いできないかな」などと言われるとどうでしょう?どうにかしてあげたくなってしまいますよね。

そんなことを知ってか知らずか劉備(玄徳)は自然と人にものを頼む姿勢というのを心得ているリーダーなので人がついてきやすい性格の持ち主だと言われています。もちろん、亡くなる前の呂布奉先が指摘した通り、もしかしたら物凄く腹黒い人物だったという可能性もありませんが、多くの人の中では気持ちよく仕事をさせてくれるリーダーとされているわけです。

現代でも、ふんぞり返って偉そうにしてる上司ってのは随分と嫌われてしまいますよね。一方で部下とフレンドリーに関わって同じ目線でいる上でものを頼む姿勢のある人って何かしてあげたくなりませんか?それに劉備(玄徳)は漢王室を再興させたいという高い志をもってるので、そういう夢や志を持ってる人には自然に心打たれてしまうものなのかもしれませんよね。

まとめ

まとめ

まとめ

今回は蜀の名君であるとされる劉備(玄徳)が多くの人に慕われた理由について考察してみましたがいかがでしたでしょうか?人に慕われるのにもっとも大事なのはその人の人柄であることがなんとなくわかりました。確かに現代も含め、人は恐怖やお金で縛ることはできますが、それでは心の底から人はついてきません。

劉備(玄徳)には人の心を掴むようなまるでマインドコントロールをしているかのような魅力があります。ただ、それは人がついていきたいと思えるような人間としての魅力や高い志、人を下に見ず、人を理解しようと努めてといった人好きならではの魅力が備わっているからではないでしょうか?

自分のことしか考えていない人に人は惹かれませんよね。他人を思いやることができるからこそ人の上に立つ資質があると言えるのかもしれません。曹操孟徳や董卓、孫権などといったリーダーは三国志に登場しますが、劉備(玄徳)ほど人の心を掴むのが上手いリーダーというのはいないんだと今回わかりました。きっと現代でもこうしたリーダーは好かれるので、リーダーの立場に立ってる人は劉備(玄徳)を理想のリーダー像としてみると人がついてくるかもしれませんよ。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


劉備

関連する投稿


どこが地味!?強烈な個性の持ち主・孫権 仲謀と、そのリーダーシップ

「魏の曹操や蜀の劉備と比べて、呉の孫権ってなんだか地味」……三国志に触れていて、そんな印象はありませんか?今回はにわか孫権ファンの筆者が、地味と思われかねない理由と、実はちっとも地味じゃない孫権の素顔について調べてまいりました!


馬氏の五常とまで呼ばれた馬良(季常)が目立たないワケ

優れて優秀な人物のことを「白眉」と呼ぶことがあります。この白眉というのは三国志に登場する馬良(季常)が由来だったことをご存知でしょうか。馬良(季常)は5兄弟の四男で「馬氏の五常、白眉もっとも良し」と言われた英才でした。しかし、現在では末弟の馬謖(幼常)のほうが良くも悪くも名前を知られていますよね。なぜでしょうか?


三国志・黄巾の残党はなぜ劉備(玄徳)に与した者が多いのか?

三国志演義では、劉備(玄徳)の配下に「元黄巾」という肩書を持つ者が複数います。なぜそのような設定になっているのでしょうか?


三国志・「虎痴」と畏怖され、常に死と隣り合わせにあった曹操を守り抜いた猛将・許褚

絶えず命を狙われ続けた曹操を最後まで守り続けた魏の猛将・許褚は、どのように描かれているのでしょうか。許褚の謎にも迫ります。


諸葛亮(孔明)を育んだ襄陽は英傑ぞろいの地だった

三国志きっての天才・蜀の軍師である諸葛亮(孔明)を育んだのは襄陽の隆中でした。そこは英傑がこぞって在野で知を競い合う土地だったのです。どんな人物たちが切磋琢磨していたのでしょうか。


最新の投稿


春秋戦国時代 伍子胥の人生について

伍子胥(ごししょ)は、中国の春秋時代に活躍した楚の武人です。彼の本名は員(うん)で、楚の平王によって父と兄が殺されたため、復讐を誓いました。彼は呉に亡命し、楚との戦いで、ついに復讐を果たしました。しかし、後に呉王夫差が越王勾践を破った際、降伏を許そうとする夫差に反対し、意見が受け入れられず、自害させられました。


孫氏の兵法の孫武(そんぶ)とは?

『孫氏の兵法』における「孫氏」とは、古代中国の軍事思想家である孫武です。兵法書『孫子』を著し、戦争や軍事戦略に関する理論を全13篇から構成。特に「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」が有名で、戦争を避けることが最も優れた戦略であると説いています。 参考:ドラマ 孫子兵法 ‧


『キングダム』における羌瘣とは?

羌瘣は、漫画『キングダム』に登場する架空のキャラクターです。彼女は羌族出身の少女で、精鋭の暗殺者集団「蚩尤(しゆう)」に属していました。彼女は、原作、映画においても非常に魅力的なキャラクターです。その環境や周辺を史実を参考に紐解いてみます。


赤兎馬とは? 三国志初心者必見 三国志における名馬の物語

赤兎馬とは、三国志演義などの創作に登場する伝説の名馬で、実際の存在については確証がなく、アハルテケ種がモデルとされています。体が大きく、董卓、関羽、呂布など、三国時代の最強の武将を乗せて戦場を駆け抜けました。


春秋戦国時代 年表 キングダム 秦の始皇帝の時代の始まり

キングダム 大将軍の帰還 始まりますね。楽しみにしていました。 今回は、秦の始皇帝「嬴政」が、中華統一を果たす流れについて記述しようと思います。映画、キングダムのキャストの性格とは若干違うかもしれませんが、参考程度に読んでみてください。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング