三国志に登場する「人物・武将」についての記事
三国志・毒舌家として有名な禰衡(でいこう)が高評価した二人とは?
三国志の登場人物の中でもっとも「口の悪い」ことで有名な「禰衡(でいこう)」と、その禰衡に高評価されていた二人についてお伝えします。
曹操の妻として曹丕や曹植を産んだ「卞夫人」。彼女と、彼女以外で曹操の正室となった女性を紹介していきます。
中国が魏、呉、蜀の三国に分かれた時代。統一には至らなかったものの、国土の3分の2を支配した曹操(孟徳)は実質的には三国志の覇者と言ってもいいでしょう。そんな曹操(孟徳)も連戦連勝ではなく、戦に敗れ命からがら助かる…という経験を何度もしています。
もし、世界史のテストに三国志の時代が出てきたとしたら問題になる可能性が高い人物は誰?三国志演義で人気のキャラクターが歴史的に見て重要人物とは限りません。覚えておいたほうが良いのは一体誰なのでしょう。
「董卓」「劉備(玄徳)」「曹操」「孫権」のうち誰に仕えるのが得策なのか考えていきましょう。その後の人生を決める大事な決断です。
三国志には魏、呉、蜀をはじめとして多くの国がありますが、それぞれのリーダーとなった人物たちはどのような最期を迎えたのでしょうか?今回は三国志の時代にそれぞれの国を支えたリーダーたちの最期について紹介したいと思います。
韓遂ははっきり言って人気のあるキャラクターではありません。おそらく人気度トップクラスの馬超を裏切ったという印象が強いからでしょう。また、離間の計を考えた賈詡は「武の馬超、知の韓遂」と言いました。韓遂は本当に知将で裏切り者だったのでしょうか?
三国志演義の君主たちと関わりのある劉表一家。長坂の戦いに至るまで
荊州の長官・劉表とその家族は、三国の君主たちとは関わりがあるといっても過言ではありません。長坂の戦いに至るまでの出来事をご紹介します。
魏の丞相として君臨した曹操(孟徳)は、後に魏王まで登りつめ、三国時代のダークヒーローとして人気が高いキャラです。しかし、白面の青年将校時代の曹操(孟徳)は、実は潔癖な正義感でもありました。そんな曹操(孟徳)が後に苛烈・残虐な君主となる片鱗を見せたのが「呂伯奢一家惨殺事件」だったのです。
物語「三国志 演義」の中で良い人ランキングを作ったら、絶対に上位にランクインするであろう人物「魯粛」。ただ、戦国の世で良い人であるということは騙されやすく翻弄されやすいということでもあります。では、実際の彼はどのような人物だったのでしょうか。演義のように、諸葛亮に翻弄され、周瑜に嘆かれと言った人物だったのでしょうか。
三国志・呉が建国されたときには曹操・曹丕・劉備(玄徳)はすでに没していた
三人の皇帝が並び立った異例の時代「三国志」。しかし皇帝が三人揃ったのはずいぶんと後のことでした。それぞれの国の建国についてお伝えしていきます。
兄弟の契りなんて言葉もありますが、実の兄弟ですと日本の戦国時代でも兄弟仲の良くない兄弟も沢山います。実際、中国は近年まで一人っ子政策が用いられてますが、当時は兄弟も多かったのではないでしょうか。そこで今回は三国志の時代に存在していた兄弟について紹介します。
200年、徐州にいた劉備(玄徳)は曹操軍に追い詰められてしまいます。劉備(玄徳)は命からがら袁紹(本初)が治める河北に逃げ込みますが、張飛(翼徳)は行方不明、関羽(雲長)は曹操軍に捕らえられてしまいます。
三国志・苦難の逃避行を12年間も続けた蔡邕(さいよう)は董卓の師だったのか?
あの董卓が助言を求めた人物、それが学者としても名高い蔡邕(さいよう)です。蔡邕(さいよう)と董卓はどのような関係だったのでしょうか。
三国志の花形といえば何と言っても武将と武将の一騎打ち。何万人という兵を率いている武将同士が先頭切って戦い、刀を交えているシーンを思い、ワクワクする人も多いかと思います。そんな中、これぞ最高の一騎打ちというものを、正史、演義両方から考察し挙げていきます。
曹操(孟徳)陣営には多くの優秀な配下がいましたが、その中でも文官のトップになるのが、荀彧です。荀攸・郭嘉・鍾ヨウといった幕臣たちよりも筆頭で評価され、曹操(孟徳)からは前漢の天才軍師と称された張良に匹敵されるといわれました。そんな荀彧の人物歴をここでみていきます。
冷酷で怖いイメージの曹丕が甘党のスイーツ男子という驚愕の事実
皆さんは曹丕子文を知っているでしょうか?皆さんも良く知る曹操孟徳が32歳の時に出来た息子であり、父よりも冷酷で怖いというイメージがつきまとう武将です。そんな曹丕子文ですがどうやら甘党でスイーツ男子という噂があるようです。そこで今回はその事実について調べてみました。
天才軍師諸葛亮(孔明)。劉備(玄徳)の手厚い招聘を受けて劉備軍へ加入しますが、最初のうちは内部の人間関係で結構苦労しています。圧倒的な知力を持ち、参謀となれば大きな戦力となるであろう人材なのに周囲の目は意外に冷ややか…どんな世界でも「新人さん」は大変ですね。
三国志・馬謖が街亭を守り抜いていたら蜀の北伐は成功していたのか
馬謖の失策によって失敗したとされる第一次北伐。はたして馬謖だけの責任だったのでしょうか。その検証ともし馬謖が街亭を守り抜いていたらどうなっていたのか予想していきます。
易学占いを極めし魏の天才占い師管輅(かんろ)はどんな人?素顔に迫る
現代でも女性に人気のある占いですが、三国志時代の魏にそんな占いを極めた人がいたのはご存知でしょうか?彼は天才占い師と言われており、全ての占いを極めた占い師だったのです。今回はそんな天才占い師管輅がどんな人であったかを紹介したいと思います。