歴史に習え!三国志から学ぶ人生の教訓エピソードベスト3

歴史に習え!三国志から学ぶ人生の教訓エピソードベスト3

人生を生きていく上で辛い時や困っているときは必ずと言っていいほど訪れます。そんな時、あなたの背中を押してくれるものが必ず必要となります。三国志の歴史の中にもそういった名言などがたくさん散りばめられています。今回はそんな人生の教訓となるようなエピソードをご紹介します。


3位 赤壁の戦い前の10万の矢

3位 赤壁の戦い前の10万の矢

3位 赤壁の戦い前の10万の矢

三国志の中でも歴史が大きく変わったターニングポイントと言うのがいくつもあります。その中でも特に有名なのが曹操(孟徳)率いる魏軍と孫権している呉群の水軍が衝突した「赤壁の戦い」です。

これは日本でも「レッドクリフ」として映画になっており、とても有名なお話かと思います。呉軍は劉備の軍を味方につけており、蜀の同盟軍として魏と戦闘していました。

しかし、この呉軍を率いる周瑜は蜀の諸葛亮孔明の神とも言えるその頭の良さをとても恐れていました。「今は同盟を結んでいるが、いつか敵になったときに恐ろしい存在である。今の時に殺しておくべきだ。」そう考えた周囲は諸葛孔明に「10日のうちに100,000本の矢を作れ」と言う無理難題を押し付けます。

もし、これができなければ刑罰として、軍法にかけて打ち首にすると言う作戦でした。しかしやはり諸葛亮孔明はとても頭の良い人間でこの無理難題をクリアします。

物理的に100,000本の矢を作る事は不可能でした。しかし、諸葛亮孔明は「3日で作りましょう」と快く返事します。ここで諸葛亮孔明の頭の良さが出ますが、100,000本の家が作り出すことができないのであれば、100,000本の矢があるところから回収すれば良いと考えます。

返事をしたその夜に多くの藁人形を積み込んだ船を20隻ほど出して待ち構えている曹操軍の前に出航させます。当時、深い霧の中で魏軍は待っていたのですが、そこに向かっていったことにより大量の夜の雨を注ぐ人から受けることとなります。

その後、わら人形が受けた者から使える矢を選び、諸葛孔明は周瑜に100,000本の矢を提出しました。周瑜もさすがにこの頭の良さに感服したとの事でした。

現代社会の会社などでは無茶なノルマ等が課せられることもあるかと思います。しかし、発想の転換をしてみれば案外簡単にクリアできるものもあります。様々な角度から物事にアプローチしてみるということも大切なのではないでしょうか。

2位 劉備(玄徳)の人徳

2位 劉備(玄徳)の人徳

2位 劉備(玄徳)の人徳

劉備といえば、三国志の中でも主人公レベルで有名なキャラであり、とにかく自国の民のためならなんでもするという人徳溢れる人でした。決して自国の民を犠牲にするなんていうことはなく、もし民が住んでいる地域が危ないと判断した場合は民をまとめて一緒に別の安全な地域に避難させるというほど民を愛していました。そんな優しさの塊のような劉備のお話です。

劉備は呉と協力することがありながらも、魏軍と戦う機会が多かった人物の一人です。もちろん、劉備が曹操から狙われる機会も少なくはありませんでした。そんなあるとき、曹操軍から追われており、大群に攻められた際に劉備は本拠地であった荊州からの撤退を決意します。

もちろん、人民も連れての逃避行となり、劉備を頼りにしていた人民は10万人もの大群となってしまいます。それほどの人数になると進める道も限られてきており、進むスピードも限られてきてしまいます。中には小さな子供や年老いた老人などもいたため、一日に5kmほどしか進まなくなってしまったと言われています。

このペースではいずれ曹操軍に追いつかれてしまい、殺されると思った部下がそのことを劉備に伝えるとそれに対して、憤怒を露わにし、「これだけの人民がついてきてくれているのに、あっさり捨てるわけには行かない」と伝え、「偉業を成すにはなにより人が基本である」と伝えました。

そのピンチを乗り切った劉備軍はその時救った人民たちと協力して新しい拠点を設立します。劉備の仁徳溢れるエピソードでもありますが、何かをなすためには周りの人々をなにより大切にしなければいけません。なにかを成し遂げるのにもまずは「人が資本」となることを忘れてはいけません。

1位 諸葛孔明の縁談

1位 諸葛孔明の縁談

1位 諸葛孔明の縁談

諸葛孔明といえば、三国志の中でも最も有名な人物といっても過言ではありません。様々な場所で諸葛孔明の名前を聞くことがあり、学校教育などでも名前が出てくる人もいます。

そんな有名で賢い諸葛孔明でもためらう瞬間がありました。それは諸葛孔明が縁談をする時の話です。諸葛孔明は正史では黄月英と婚約しているということになっていますが、すんなり縁談が始まったわけではありません。

黄月英は容姿が最悪で醜い女であるという評判でした。諸葛孔明に黄承彦に嫁と薦められましたが、諸葛孔明も流石に評判の悪さを聞いていたため、流石に遠慮していました。

ある日、黄承彦に招待を受けて諸葛孔明はしぶしぶ黄家に訪れることになります。しかし、そこには手作りで出来上がっているカラクリじかけの作り物がたくさんありました。これに感銘を受けた諸葛孔明ですが、それが黄月英が作られたものだと知ります。

精巧でこんなに素晴らしいものが作れる女性はなかなかいない!と判断した諸葛孔明は快く黄月英との縁談を受け入れます。

いよいよ、婚礼の日になって被り物を取った黄月英の素顔を見た諸葛孔明とても驚きます。前評判と違って、とても綺麗で絶世の美女といっても過言ではないような美女だったと言われています。

悪い評判が流れていたのは、諸葛孔明が評判だけで判断したり、外見だけで決めつけない人間であるということを判断するために黄氏が講じた策だったのです。

聞き入れた情報などはあくまで他人が判断したものであり、自分が判断するためには自分で行動を起こすことが大切であるということをこのエピソードから学べるエピソードです。

前評判などがいかに悪評ばかりであろうと、自分で実際に行ってみてその事柄に触れてみると自分にとっては案外悪くなかったり、逆に素晴らしいと思えることに出会える可能性があります。とにかくチャレンジしてみるということが大切かもしれません。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志は戦いのシーンばかりが切り取られることが多いですが、それ以外にも面白い話や勉強になる話が多い物語でもあります。
特に人間関係についてのエピソードなどはとても多く、今でも三国志のエピソードを利用して、ビジネスシーンなどに活かすという人も多いです。
それほど当時の人は頭が良く、人間関係を大事にしていたということです。少しでも勉強になったと思ったら私生活に活かしてみてはいかがでしょうか。





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