漢の後継にあたる正統王朝は魏?それとも蜀?

漢の後継にあたる正統王朝は魏?それとも蜀?

この問題は、「陳寿が『三国志』で魏だって言ってるから魏」という結論で終わるほど簡単な話ではありません。かといって「『三国志演義』では蜀ですね」という話でもありません。『演義』成立の背景にある、中国の大思想家・朱子が説いた蜀漢正統王朝説を踏まえ、改めてこの問題を考えてみましょう。


そもそも、「正統王朝」って何?

そもそも、「正統王朝」って何?

そもそも、「正統王朝」って何?

 三国志も含む中国の歴代王朝には、「正統」という考え方があります。ごく簡単に説明しますと、中国全土を支配する皇帝は、「天」から地上を委任された権限を持っている、それが正統な王朝である、という理屈立てのことです。

 中国には「正史」と呼ばれる歴史書があります。基本的には、どの王朝が正統であるかは、正史によって定まります。最初の「正史」である『史記』を書いた司馬遷が、「本紀」という章に、正統王朝の歴代皇帝の伝記を置きました。基本的には、本紀に記された支配者が中国の正統な支配者、ということです。

 夏や殷といった古代王朝の本紀もありますが、普通、正統王朝というときに問題になるのは、秦の統一以降、つまり、始皇帝からです。

正統王朝としての漢

正統王朝としての漢

正統王朝としての漢

 始皇帝の死後、秦はあっけなく滅び、項羽の時代がやってきます。項羽も、一時期とはいえ中国全土の支配権を事実上掌握したということから、司馬遷によって「本紀」を与えられ、正統な中国の支配者と認められているのですが、三国志とは関係がないので話を進めましょう。

 さて、秦滅亡後の混乱を終息し、統一王朝を樹立したのが、漢の高祖・劉邦です。統一王朝なので、疑いなく正統と認められています。ここから先の話は一気に飛ばして、新の王莽についてちょっと述べておきます。

 王莽は前漢を滅ぼし、皇帝の位を奪い、新という国を建てました。しかし、王莽の本紀はありません。『漢書』に王莽伝というのがあるだけです。『後漢書』の方も、光武帝から始まるのでもちろん王莽の本紀はありません。つまり新は正統王朝とは認められていないのです。

 ここまで、正統王朝というものの概略をお分かりいただけたでしょうか。まとめるとこうです。

・できれば統一王朝であってほしいが、必ずしもそうとは限らない
・中国全土を支配しても、いろんな事情で正統王朝と認めてもらえないこともある
・要するに、割とフレキシブルに決められている

 ということです。

三国志って言われてますが、厳密には割とずっと後漢の時代です。

三国志って言われてますが、厳密には割とずっと後漢の時代です。

三国志って言われてますが、厳密には割とずっと後漢の時代です。

 後漢は西暦25年に光武帝によって建国され、220年、曹丕によって滅ぼされます。この間、国家としての実態はともかく、ずっと正統王朝の座にありました。

 つまり、何進が大暴れしていた時代も、董卓が暴虐をふるっていた時代も、董卓が死んで完全に乱世が始まった後も、曹操と孫権と劉備のもとでだいたい大まかに三国鼎立が形になり始めた時代になっても、一般的にこの時代は三国志の時代と呼ばれはしますが、正統王朝史観の上では、後漢による支配が続いていたことになっているのです。

『三国志』の時代が始まり、そして終わります。晋が建国され、正統王朝となりました。

『三国志』の時代が始まり、そして終わります。晋が建国され、正統王朝となりました。

『三国志』の時代が始まり、そして終わります。晋が建国され、正統王朝となりました。

 曹操が死に、曹丕が後漢を滅ぼして魏の皇帝となり、ここに『三国志』の時代が始まるわけですが、ここが肝心要の部分ですけれどもいったん飛ばします。

 蜀は魏に、魏は晋に、そして呉も晋に滅ぼされ、『三国志』は終わります。晋の時代になるのです。晋は(寿命は短いですが)統一王朝になりましたし、特に都合の悪いこともありませんし、正統と認められることになります。

 ちなみに、正史『三国志』を書いた陳寿は、この晋に仕えた官吏でした。生没年もだいたい司馬炎と重なります。

 陳寿は、三国鼎立の時代における正統王朝の地位を魏に与え、魏の皇帝の本紀を書きました。彼の主筋である晋の司馬炎が「禅譲」すなわち皇帝の位を譲られることによって魏から正統を受け継いでいるのですから、当然の話の流れでした。ですので、「正史」『三国志』では、正統王朝は後漢・魏・晋の順で続いた、ということになっています。

 と、これで終わりなら話は簡単だったのですが、実際には、そう単純にはいかないのです。

朱子が唱えた「蜀正統論」

朱子が唱えた「蜀正統論」

朱子が唱えた「蜀正統論」

 さて、晋からずいずいっと時代は下ります。五胡十六国、南北朝、隋、唐、五代十国、宋と一気に飛ばしまして、時は南宋の時代。朱熹という思想家がこの国に現れました。日本も有名な、儒学の中興の祖のような位置にいる人物、いわゆる朱子です。

 南宋という国は、地方政権でした。中国の中心部、華北の地は、金と号する異民族に支配されていました。南宋は地方政権の座に甘んじつつ、自分たちこそ正統な中国王朝である、と主張しなければならない立場にありました。

 中国の歴史を振り返る中で、朱子は、一つのことに気付きます。かつて、地方政権の座に甘んじながら、自らは正統王朝を名乗った国があったことを。どの国って、もちろん、劉備の建てた蜀のことです。

 朱子は、中国の歴史に再解釈を加え、「地方政権が正統である場合もある」という理屈付けのために、蜀は後漢と晋の間に位置する正統王朝である、という学説を唱えました。『三国志演義』は蜀を正統と見なして書かれていますが、それもこれに由来します。あれは決して、小説だからフィクションとして書かれた、というほど単純な話ではなかったのです。

劉備は正統な漢王朝の後継者だった?

劉備は正統な漢王朝の後継者だった?

劉備は正統な漢王朝の後継者だった?

 さて、ようやく話は三国時代に戻ってきました。そもそも、劉備が後漢滅亡後に樹立した蜀という国ですが、蜀は地名と言うべきものであり、自ら用いた正式な国号は「漢」です。「蜀漢」と書かれることもありますが、実際に自称されたことはなかったと言います。劉備は、自分は漢の皇統だから正統な漢の後継者である、と主張していたのです。

 魏も蜀も三国の統一は果たせませんでしたから、その角度からの正統決めはできません。そこで、二つの立場があります。「魏は、正統王朝である後漢から禅譲を受けたので、正統王朝である」。「曹丕の行為は不当なものであり、漢の皇統は劉備によって継承された、従って蜀が正統王朝である」。

 どちらの説も、一理はあります。しかしどちらの説も、決定打には欠けている、といえます。要するに、今更このどっちが正しいかを決めるのは、無理というものです。「魏と蜀のいずれが正統であるか」という問題は、今後も果てしなく三国志ファンの間で、議論のネタとして生き続けていくことになるのでしょうね。


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