三国志 人物・武将
三国志 の登場人物を紹介。三国 時代 人物 相関 図三国志・孟達の内応が成功していたら諸葛亮の北伐は成功していたのか?
劉璋から劉備(玄徳)に寝返り、劉備(玄徳)から曹丕に寝返り、さらに曹叡から劉禅に寝返った「孟達」。第一次北伐の重要なカギを握っていた孟達の生涯をご紹介します。
藤井四段の活躍により脚光を浴びている将棋業界。そんなテーブルゲームに三国志を重ねてみました。今回は劉備軍を将棋の駒に例えるとこんな感じになるというご紹介です。もちろん独断と偏見なので皆さんの意見とは違うかもしれませんが、初心者の方は大雑把に力関係やタイプが分かるかもしれません。
三国志・嫌われようが国のために徹底的に苦言を呈する呉の張昭の信念
呉の重臣「張昭」。三国志に登場する群臣の中で最も激しく執拗に諫言を続けた名臣です。今回はそんな張昭の諫言ぶりを紹介いたします。
三国志の力関係でいけば、魏が一番大きな力を持っていました。魏には曹操(ソウソウ 155年―220年)の代から優秀な武将が多く揃い、軍略に長けて戦場に赴く知将と武器を持って戦う武将、政治的な知見を持って国を発展させていく文官がいます。その中でも親子で活躍した文官の陳グン・陳泰についてご紹介していきます。
曹操に仕えたのがわずか5年ほどにもかかわらず強烈なインパクトを放った勇将「龐徳」。今回はそんな龐徳の壮絶なる生き様をご紹介いたします。
関羽を討ち取ったことで有名な呂蒙ですが、実績がなくまぐれで関羽に勝利したわけではありません。彼の成長と実績、そして、孫権にどれだけ重用されていたのかとが分かれば幸いです。呉になくてはならない存在だった呂蒙は魅力があり三国志を彩った豪商と言っても過言ではないでしょう。
三国志・もし袁術が孫策をしっかり統率できていたら歴史はどうなったのか?
名門・汝南袁氏の出身で、皇帝まで自称した「袁術」。もし配下である孫策に離反されなければどうなっていたのか、予想してみました。
裏切りだけではない! 三国志晩年における魏の名将【カン丘倹】
三国志の晩年は、魏の皇帝である曹氏から実権を握り始めた司馬一族が中心となっていきます。その当時の魏には曹操(155年―220年)の代から激戦を潜り抜けてきた猛将たちは亡く、次世代の武将たちが凌ぎを削っていました。代表的なのがカン丘倹です。魏に仕えながらも最後には反乱を起したカン丘倹はどのような人物なのでしょうか。
三国志では各地で戦争が起きそのたびに何万もの人間が命を落としています。しかし不思議なことに「合戦中の死亡」に対してはさほど残虐性が感じられないのに、一度合戦を離れての「殺害」というと妙にホラーじみた感じになってしまいます。今回は三国志の時代に起きたホラー要素満載の殺人事件について紹介します。
孫家三代に仕え、赤壁の戦いでは大勝利をもたらした名将・黄蓋。武勇もさることながら、領地の統治に関しても一流の手腕を発揮しています。今回は呉の黄蓋をご紹介いたします。
三国志・大将である孫策と一騎打ちで引き分けた 太史慈 の信義
三国志 時代、呉の武将の中でも歴代トップクラスの武勇の持ち主が 太史慈 です。孫策と一騎打ちを演じ、引き分けたところから孫策に従うようになります。信義に篤い名将・太史慈 をご紹介しましょう。
三国志・曹操の江東侵略を諫めた孫家の救世主・張紘とはどんな人物?
「江東の二張」として有名な呉の張紘。三国志正史の「呉書」にも伝があるほどですが、何をしたのかはよく知られていません。今回は多くの英雄から招聘された張紘をご紹介いたします。
三国志の主役といえば魏の基礎を作った曹操(ソウソウ 155年―220年)です。その曹操の挙兵時から従い、多くの戦いに参戦して貢献してきた一人が曹洪(ソウコウ 生年不明―232年)です。曹洪は出世して長生きし、曹氏3代に仕えていきます。一時は権力を剥奪されて処罰されかかったという曹洪とはどのような人物だったのでしょうか。
三国志・蜀の英雄・諸葛亮孔明の兄、呉の諸葛瑾の実直さが神対応!
諸葛亮孔明の兄にして、呉の大将軍を務めた「諸葛瑾」。その実直な人柄は、三国志の中でも随一といえるかもしれません。孫権の絶大な信頼を得た諸葛瑾をご紹介いたします。
三国志・奇想天外なアイディアマン、革命児・魯粛の絶大な功績とは!?
三国志演義では単なるお人よしに描かれている魯粛。しかし正史に記されている魯粛は才能あふれる英雄です。今回は魯粛の功績について触れていきましょう。
イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
三国志演義の著者である羅貫中は、劉備(玄徳)を聖人君子として描いています。実話を採用しているところもありますが、蜀の印象が悪くなるようなことはことごとく削除や修正を加えています。一般に広く知れ渡っている劉備(玄徳)のイメージは羅貫中の作り出したものなのです。
イメージ崩壊計画(1)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
劉備(玄徳)についてどんなイメージを持っていますか?タイトルの通りこの記事では、そのイメージをひっくり返す情報を提供します。第1回目は三国志演義前半の主人公である劉備です。
三国志・42歳の若すぎる死、呂蒙はどこまで正当な評価を受けているのか?
孫権軍の名将として名高い呂蒙。優れた軍略家ですが、英雄である関羽をだまし討ちにしたことで後世の人気はあまり高いものではありません。今回は呂蒙の正当な評価について触れていきます。
三国志には多くの氏があります。特に権力を有していたり、名門の家柄だったりすると、宗家や分家でも相当数の人物がいます。中でも劉氏や孫氏、曹氏、司馬氏といった皇帝の系列は多く存在しています。そこで、長らく魏に仕えていた武将の夏候氏について、ここでご紹介していきます。
三国志・魏の于禁(うきん)は関羽と同様に降伏したが、評価は真逆?
三国志 魏の五大将軍の一人である于禁(うきん)は、曹操配下の中でも非常に優れた名将でした。数々の武功をあげています。しかし、関羽との戦いに敗れて大きくその評価を下げることになってしまいました。今回はそんな于禁の素顔に迫ります。