中国の文化と言語の特徴
■ 中国の文化と言語の特徴
中国の文化と言語の特徴
中国では、姓と名が一文字で構成されることが多いです。
たとえば、「王」という姓と「明」という名前を合わせて「王明」となります。
「姓、名」の順で人名を表し、一般的にフルネームで呼ぶ習慣が根付いています。この習慣は、中国の文化や言語の特徴を反映し、人々の間での尊敬と礼儀を示す手段となっています。
そして、同じ一文字”姓”の人が多いため、姓だけ呼ぶと誰のことだか区別しにくいということもあります。
日本人が、姓名で呼ぶと逆にかしこまって聞こえてしまうフルネーム呼びですが、中国では、名前を姓と名で一つのセットと考えて、名づける際にも、全体の響きを重視して決めるそうで、フルネームで呼んでこそ、その美しさが際立つからなのだそうです。
字(あざな)
■ 字(あざな)
字(あざな)
中国では、様々な名前で呼ばれる理由は、中国の文化と言語の特徴に大きく関係しています。
正式な名前、姓名は、一般的に家族の姓が先にきて、個人の名が続きます。例えば「王明」では、「王」が姓で「明」が名です。
あだ名(ニックネーム)は、友達や家族によって使われる親しみを込めた名前です。これは、その人の外見や性格、特徴に基づいていることが多いです。例えば、「小明」は「明」という名前の人に対する一般的なあだ名です。
号は、主に芸術家や文学者が使う芸名やペンネームで、その人の芸術的なアイデンティティや哲学を反映しています。
敬称について、付け加えると、年配の人や地位の高い人に対する尊敬を表すため、例えば、「王老師」は「王」という姓の教師に対する尊敬の表現です。
さて、本題の 字(あざな)ですが、古代中国 三国時代には、20歳で成人になった男子が新しい名前をもらう風習がありました。女子は15歳で持つことができました。
これが、「字(あざな)」と呼ばれ、本来の名前よりもよく使われていました。
昔の中国では、他人の正式な名前を「諱(いみな)」と言い、諱(いみな)」と言い、を使うのは失礼にあたるため、日常生活で便利で礼儀正しい方法として「字(あざな)」を使うのは失礼にあたるとされ、日常生活で便利で礼儀正しい方法として「字(あざな)」が使われていました。
三国時代、似たような身分の者同士は、字(あざな)で呼び合うのが一般的だったので、関羽は「雲長」、趙雲は「子龍」と呼ばれていたのです。
字(あざな)は、互いに親しみを込めて呼び合うための名前です。大人になった時に、親や目上の人から付けられるか、自分で名乗ることが一般的でした。字には、名付ける際にある種のルールやパターンがあることがよくありました。
ですから姓・諱・字は、一緒にして呼ぶことはありません。映画、書物や小説なども使い分けられています。
例えば関羽の場合、関が性、羽が諱、雲長は字です。
呼び方としては、関羽、羽、雲長、関雲長のいずれかになります。
そして、姓、諱で呼ぶ人は相手に敬意を払っていない人、つまり関羽と呼ぶ人は、目上の人、親や主君です。
また、字で呼ぶ場合は、対等の関係で、敬意や親しみを込めています。
劉備は、義兄弟である関羽や張飛を呼ぶとき「関羽」「張飛」と呼び、諸葛亮には「孔明」と字で呼び、敬っていました。
劉備を「劉備」と呼んでいいのは自分以外には親や学問の師ぐらいで、同程度の身分であれば「玄徳殿」、他人からであれば「劉予州」といったように姓+役職で呼ばれたのです。
劉備を劉予州、曹操を曹丞相と呼ぶパターンは、官職を付けた場合の呼び名です。
若干違いはあるにせよ、日本でも一般的に呼ばれるのは姓(名字)だけで、名前で呼ぶのは親しい人か目上の人くらいです。
この辺が、三国志の登場人物が憶えにくい原因かもしれませんね。
よく聞かれるのがゲームユーザーさんからで、ゲームは、独特の世界観があるので、この辺のことを整理した後にプレイされると納得する部分があるかもしれません。
三国志 登場人物の字(あざな)一覧
■ 三国志 登場人物の字(あざな)一覧
三国志 登場人物の字(あざな)一覧
性, 名, 字 の順です。
劉, 備, 玄徳
諸葛, 亮, 孔明
関, 羽, 雲長
張, 飛, 翼徳(益徳)
趙雲(ちょううん)の字は子龍、
黄忠(こうちゅう)の字は漢升、
馬超(ばちょう)の字は孟起、
馬良(ばりょう)の字は季常、
馬謖(ばしょく)の字は幼常、
姜維(きょうい)の字は伯約、
魏延(ぎえん)の字は文長、
曹操(そうそう)の字は孟徳、
張遼(ちょうりょう)の字は文遠、
夏侯惇(かこうとん)の字は元譲、
夏侯淵(かこうえん)の字は妙才、
司馬懿(しばい)の字は仲達、
孫堅(そんけん)の字は文台、
孫策(そんさく)の字は伯符、
孫権(そんけん)の字は仲謀、
周瑜(しゅうゆ)の字は公瑾、
魯粛(ろしゅく)の字は子敬、
黄蓋(こうがい)の字は徳謀、
呂布(りょふ)の字は奉先、
董卓(とうたく)の字は仲穎、
袁紹(えんしょう)の字は本初。
幼名
■ 幼名
幼名
ますます、わからなくなるじゃないか? と言われそうですが、以降は、補足として書いておきます。
幼名とは、生まれたばかりの子供に付けられる名前のことです。
中国では、赤ちゃんにすぐに正式な名前を付けない習慣がありました。
また、わざと良くない名前を付けて、悪いことから赤ちゃんを守るという意味もあったそうです。
曹操(そうそう)と劉禅(りゅうぜん)は、有名です、
曹操の幼名は「阿瞞(あまん)」として知られていますが、「瞞(まん)」という文字には「騙す」「ごまかす」という意味があります。ただし曹操の本当の幼名は「吉利(きつり)」だったとの記録があります。
劉禅の幼名は「阿斗(あと)」です。劉禅の母親が、妊娠中に北斗七星を飲み込む夢を見たため、生まれた子供を北斗七星の生まれ変わりだと考え、「阿斗」と名付けました。しかし、大人になった劉禅の無能さから、「阿斗」は「バカ者」「無能」という意味で使われるようになってしまいました。
姓(せい)と諱(いみな)
■ 姓(せい)と諱(いみな)
姓(せい)と諱(いみな)
中国では、姓は自分の出身、どの家族に属しているかを示す大切なものです。昔は同じ姓を持つ人が多かったので、自己紹介の時には出身地も一緒に教えることが普通でした。
諱(いみな)とは、その人を特定する正式な名前のことですが、昔の中国ではこの名前には特別な意味がありました。人々は、諱を使ってその人の霊的な部分をコントロールできると信じていたので、他の人の諱を使って呼ぶのは非常に失礼なこととされていました。
中国の歴史上、諱(いみな)に関する有名なエピソードで、特に皇帝の名前(諱)を使うことにまつわるものがあります。
この伝統は「避諱(ひき)」と呼ばれ、皇帝の諱を直接口に出すことを避ける習慣でした。
例えば、ある皇帝の諱に使われている文字が一般的な言葉に含まれている場合、その文字は別の言葉に置き換えられることがありました。これは、皇帝に対する最大限の敬意を示し、不敬を避けるための措置でした。
皇帝など目上の人物の本名(諱)を直接口にしたり、書いたりすることをタブー視する風習があり、実名敬避俗とされていました。
日本でも、この習慣を取り入れ、最初は一文字の名前だったのが、江戸時代には変化してきました。日本では、成人する年齢が決まっていなかったため、「字」をもらう時期もバラバラでした。
ちなみに愛称やあだ名もありますが、これは字でもなく公式な名前でもありません。
さらに、「字」という言葉は、町の小さな区分を表すためにも使われています。
これらの名前は、中国の社会的な関係や文化的な背景に深く根ざしており、人々が互いにどのように関わるかを反映しています。それぞれの名前は、その人との関係や状況に応じて使い分けられます。
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