まるでホラー。三国志で起きた怖い殺人事件

まるでホラー。三国志で起きた怖い殺人事件

三国志では各地で戦争が起きそのたびに何万もの人間が命を落としています。しかし不思議なことに「合戦中の死亡」に対してはさほど残虐性が感じられないのに、一度合戦を離れての「殺害」というと妙にホラーじみた感じになってしまいます。今回は三国志の時代に起きたホラー要素満載の殺人事件について紹介します。


曹操の殺人劇

曹操は董卓を暗殺しようとたくらんでいましたが、あとちょっとのところで失敗しました。打ち損じてしまった曹操は逆に董卓から追われる身となり、命からがら逃げることになりました。最初は一人で逃げていましたが、途中から陳宮(ちんきゅう)と合流して二人で力を合わせて義兵を挙げようという話をしていました。その道すがら呂伯奢(りょはくしゃ)という者の家に訪れようということになりました。呂伯奢は曹操がお尋ね者となっているのにもかかわらず、快く受け入れて匿ってくれることになりました。その際呂伯奢は酒を買いに行くと言って出かけてしまいました。早々と陳宮は怪しいと思い与えられた部屋で聞き耳を立てて外の様子を伺うことにしました。

曹操と陳宮が耳を澄ますと外では刀を研ぐような音と「殺せ」という声が聞こえるではありませんか。しかも四、五名の男女の声がするので二人は一室に閉じ込められ一網打尽にされると思ったのです。そこで二人がとった行動は相手を皆殺しにすることでした。「殺される前に殺せ」という曹操に陳宮も加勢し、家族や召使を次々と殺し、八人の命を奪ってしまったのです。そしてここは危険だと思った二人がその場を後にしようとすると異様なうめき声が聞こえてきました。それは厨房の外で足を木につるされて喚く猪だったのです。陳宮は猪料理を振る舞ってくれようとしてくれていた人達を殺してしまったことを酷く後悔しましたが、曹操は「してしまった物はしょうがない」とあっけらかんとしていたのです。この場面で人道のない曹操にドン引きする人も多いことでしょう。

さて、八人を皆殺しにしてしまった曹操と陳宮だが、話はこれで終わりではありません。いそいそと逃げる二人がばったり呂伯奢と出くわしてしまったのです。曹操はアドリブで「昼間に寄った茶屋に忘れ物をした」と言ってその場を去ろうとしました。人のいい呂伯奢は「家の者に猪鍋を振る舞うように言っておいたからすぐ戻ってきてください」と優しすぎる言葉を曹操にかけました。しばらく歩いたところで、曹操は陳宮に「ここで待っていてくれ」と言ってきた道を引き返していきました。そしてさらっと陳宮に「今のも殺って来たよ(=呂伯奢を殺した)」というのです。宿を提供し猪鍋を振る舞おうとしている呂伯奢を何とも思わずスパッと殺してしまう曹操の恐ろしすぎる一面でした。そして最後に「殺した際に持っていた酒を奪っておくべきだった」という曹操を陳宮は殺すかどうか迷ったほど悩まされました。

呂布、死んだ貂蝉を井戸に落とす

董卓対反董卓連合が激化を極め、長期戦の末反董卓連合が内輪もめをして瓦解してしまった直後の話です。(諸説様々ありますが、吉川英治の三国志新装版によると)王允(おういん)と貂蝉(ちょうせん)は色仕掛けを使って董卓と呂布(言ってみれば董卓軍のNO.1とNO.2)の間を引き裂こうという算段を思いつきました。呂布は貂蝉の美しさにまんまと引っかかって、董卓と仲たがいしてしまいました。最終的に呂布が董卓を殺してしまい、いざ貂蝉を嫁にしようという時です。貂蝉が自殺してしまいました。貂蝉にぞっこんだった呂布は「これから夫婦となれるはずだったのにどうして自殺なんてしてしまったんだ」と貂蝉の死体を抱きかかえました。しかし、貂蝉の遺書を見て「自分ははめられたんだ」ということに気づいてしまいました。それまで貂蝉の美しさにたじたじだった呂布でしたが、急に「美人は他にいくらでもいる」と思い返しいきなり抱きかかえていた死んだ貂蝉を井戸に落としてしまいました。はめられた腹いせとは言え、三国志最強の呼び声高い呂布にしてはちょっと間抜けで、怖い一幕でした。

曹操、主治医の華佗(かだ)を処刑する

またも非道、曹操のお話です。曹操は頭痛もちで度々頭痛に悩まされていました。それに対し華佗は名医ということで曹操の元に連れてこられました。その際華佗は「簡単な病気ではないからゆっくり時間をかける必要がある」と言いました。しかし、曹操は聞く耳持たずで時間がないから即効性の薬を用意しろ」と命令します。すると華佗は「頭を一度かち割って薬で洗浄したら治る」と告げました。これに対し曹操は「頭を割ったら死ぬだろ!」と激怒し、逆に華佗を牢に閉じ込めて最終的には処刑してしまいました。
華佗も華佗ですが、曹操のあっさり人を殺してしまう性質には驚きです。

恐らく三国志最悪の皇帝、孫皓(そんこう)

呉のラストエンペラーにの孫皓は恐らく三国志最悪の皇帝と言っても過言ではないでしょう。三国志の非道な人物は?と聞いたら恐らく曹操や董卓が真っ先に出るものだと思いますが、実はやっていることは孫皓が最悪だと思います。彼のダメ要素はまず生まれつきの地位が皇帝だったという所にあります。孫権の孫にあたる孫皓はやりたい放題でかなりのわがままでした。忠告されるのを極端に嫌い、忠告しただけの家臣の目玉をくりぬいたり、舌を抜くなどの残忍性がありました。以上性癖の持ち主で毎夜宮中の女性たちはおびえていたと言います(ちなみに孫皓が囲っていた宮女は2500人程度と言われています)そしてそんな皇帝の元で必死に国を守ろうとするものなどおらずあっさり晋に滅亡させられてしまいました。

そしてホラー話はここからです。晋に攻め込まれた呉の民がどうしたかというと、敵を倒すことではなく、皇帝・孫皓が寵愛していた宦官の岑昏(しんこん)を取り囲んで血祭りにあげたと言われています。しかもこれは兵士たちの士気を上げるための苦肉の策というのだからぞっとします。これは私個人の考えですが、孫皓も呉の民が国に不満を持っているのを悟り、怒りのはけ口を岑昏に向け、自分に火の粉がかからないようにしたのではないかと思っています。呉の最後はもはやぐちゃぐちゃですべてがホラーです。

まとめ

三国志の時代には大戦が目立つもののやはり殺人事件というものは存在しました。それが国策であったり、保身であったりしますが、今では考えられないぞっとする事件ばかりです。
今では考えられないようなことが平気で行われていた時代に恐ろしすぎる事件があったことだけ覚えてもらえれば幸いです!

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