トホホな大将軍・何進、無念の死の背景―――何進を再考する(3)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。黄巾の乱を鎮圧し、大将軍として朝廷に君臨します。しかしその後、皇帝に近侍する宦官(かんがん)に討たれ、あっけなく生涯を終えました。大将軍ともあろう者が、どうして宦官などに首を討たれたのか? 黄巾の乱の鎮圧後、彼の人生が辿った軌跡を振り返ります。
知っていれば自慢できる?三国志由来の故事・ことわざ①の続編です。小学校で習ったあの有名な四字熟語やスポーツ実況でも出てくることわざにも三国志由来のものがありました。
今回紹介するスマートフォンゲームアプリは「我が天下」。三国志をテーマにした中国統一を目指すストラテジーゲームをご存知ですか?ダウンロード数は全世界で100万DLを突破している人気のゲームアプリです。
普段使っている言葉、聞いたりしている故事やことわざに三国志由来のものがあることをご存知でしたか?三国志由来の故事やことわざとその由来についてご紹介します。
三国志は武将以外にも武器も注目の一つです。関羽の青竜偃月刀、張飛の蛇矛、呂布の方天画戟など武将を象徴する武器がたくさんあります。
今回は三国志を彩る個性豊かな猛将10選をお送りします。三国志は群雄割拠の時代がメインです。群雄割拠の時代を生きた猛将を10人ご紹介します。
「三国志」は現地の中国人たちにとっても人気の物語です。古代より本や語り、影芝居、演劇などの娯楽を通じて大衆からも長く愛され続けています。中国にも歌舞伎のような伝統芸能として「京劇」がありますが、三国志は京劇でも演じられています。
蜀の初代皇帝の劉備(玄徳)、関帝聖君として祀られ神様になった関羽、五虎将のひとりに数えられる張飛、漢の丞相となり魏国の基盤を作った曹操も呉を建国した孫権の父孫堅も、もともとは一端の商人や小役人だったのですが、小説やドラマではあまり触れられることがありません。英雄たちはどんな職業について生計を立てていたのでしょうか。
近年では魏の曹操孟徳をクローズアップした漫画や映画作品なども少なからず発表されて人気を博していますが、一昔前までの三国志に関する作品は、蜀の劉備(玄徳)や諸葛亮孔明を主人公に据えたものばかりでした。それは元となる『三国志演義』が蜀びいきであるからでしょう。そもそもなぜ蜀びいきなのか、調べてみました。
みなさん中華料理はお好きですか? 薬膳デザートの定番「杏仁豆腐」。コンビニの看板商品「肉まん」。実はこの中華料理は三国志の時代に考案された料理なんです。しかも、これらの料理が開発されたいきさつは「売れる商品を作ろう」や「経営不振の打開策」ではありません。気になる方はぜひ本文に目を通してください。
トホホな大将軍・何進の、輝ける日々!―――何進を再考する(2)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。美人の妹のおかげで大将軍に出世するも、政敵のワナにはまり、あっけなく生涯を終えました。しかし! そんな彼にも「大将軍」としての輝ける日々があったのです。暗殺の危機をかわし、ライバルを倒し、権力を安定させる怒涛の活躍! 何進の意外な有能ぶりを見ていきましょう。
曹操と5人の魏の皇帝をご紹介します。
トホホな大将軍・何進、意外と有能?―――何進を再考する(1)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。美人の妹のおかげで大将軍に出世するも、政敵のワナにはまり、あっけなく生涯を終えました。それでも、低い身分から出世街道を歩んだ何進。とりあえず黄巾の乱も鎮圧しています。実は意外とデキる人だったんじゃないか? そんな視点から、まずは彼の前半生をふり返ります。
三国志を一度は読んでみたことのある方なら登場人物の名前について、不思議に感じたことはありませんか?「諸葛亮と諸葛孔明は兄弟!?」、「三国志と三国志演技で名前の表記が違う」など混乱したことはありませんか? 本記事ではそんな疑問を解消するべく、登場人物の 字 あざな(あざ な)について、解説していきます。
「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。
三国志のストーリーで重要な役割を果たす「天下三分の計」。多くは諸葛孔明が劉備(玄徳)に献策したものと理解しているが、史実を紐解いてみると面白い事実が分かる。天下を曹操・孫権・劉備(玄徳)の三勢力に分けるという「天下三分」の構想は、意外な人物にオリジナルがあったのだ。
「三国志」前半の主要人物である袁紹(字:本初)。曹操と華北の覇権を争い、西暦200年に官渡の戦いで敗れた。多数の優秀な人材を抱え、圧倒的な優位にたっていたにも関わらず、なぜ袁紹は敗れたのか。その敗因を探る。
洛陽に入るや皇帝を傀儡として実権を握り、暴虐の限りを尽くした董卓仲頴(とうたくちゅうえい)。その残虐非道ぶりは、正史三国志の著者である陳寿に「歴史上の人物でこれほどの悪人はいない」と評されたほどです。そのような人物がなぜ君主になれたの?という疑問の元、今回は若き日の董卓について調べてみました。
【武将考察】シリーズの第4回目は、荊州奪還戦と呂蒙をとりあげます。赤壁の戦い直後から荊州は、曹操、孫権、劉備(玄徳)の三勢力(三国)の境に接する紛争地帯となります。今回は、視点を孫呉におき、荊州奪還における呂蒙の活躍とその人柄、主君である孫権からの評価や関羽の呪いと言われる死の所以についてまとめてみたいと思います。
三国志では英雄が活躍する数々の戦いが描かれてますが、男ばかりの活躍ではむさ苦しくてかないませんよね。そこで華を添えてくれるのが、女性たちです。