跋扈(ばっこ)
■ 跋扈(ばっこ)
跋扈(ばっこ)
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 山賊や海賊が跋扈した
意味 ほしいままに振る舞うこと。のさばり、はびこること。
由来
■ 由来
由来
もともと「跋(ばつ)」は、捕らわれた魚が籠の中から跳び越えること。「扈(こ)」は、捕獲した魚を入れておく籠のことです。
曹操のお祖父ちゃんの曹謄(そうとう)がまだ少年宦官であった頃、学友および側近として仕えていた後漢第八代皇帝・順帝が11歳で即位します。順帝の母の梁氏が皇太后として、少年皇帝を補佐する名目で兄の梁冀(りょうき)と外戚政治を始め、朝廷の実権を握ります。梁冀(りょうき)は順帝が崩御した後も、約20年もの間皇帝に代わって朝廷を好き勝手に支配しました。
その横暴っぷりは梁冀(りょうき)の一族から皇后や大将軍、列侯を無理矢理登用させたり、都に届く皇帝への貢物を横取りするなどの極悪非道な振る舞いでした。
順帝の後に即位したのは、後漢第九代皇帝・質帝です。質帝は11歳ながら聡明な皇帝で、梁冀(りょうき)を指さし「跋扈(ばっこ)将軍」と呼び、わがままで勝手放題の振る舞いをする梁冀(りょうき)のことを一言で表しました。
白波(はくは)
■ 白波(はくは)
白波(はくは)
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 歌舞伎のジャンル「白波もの」、演目では「白波五人男」
意味 盗賊のこと。
由来
■ 由来
由来
黄巾の乱の残党は「白波山(はくはざん)」にこもり、略奪行為を働き「白波賊(はくはぞく)」と呼ばれたため、盗賊やどろぼうのことを「白波(はくは)」とよぶようになりました。
三顧の礼
■ 三顧の礼
三顧の礼
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 三顧の礼を尽くしてでもぜひ獲得したい人材だ
意味 優れた才能をもつ人材を地位の高い人、または目上の人が礼を尽くして再三頼むこと。
または、優遇することのたとえ。
由来
■ 由来
由来
徐庶(じょしょ)や水鏡先生こと司馬徽(しばき)に諸葛孔明を推薦された劉備は、関羽・張飛の義兄弟を連れ、諸葛孔明のもとを訪れます。しかし、1度目と2度目の訪問時、諸葛孔明は不在。3度目は在宅でしたが昼寝をしていたので、劉備(玄徳)は諸葛孔明が起きてくるまで待ち続けました。
目を覚ました諸葛孔明はそのことを弟の諸葛均から聞くと感激し、劉備(玄徳)に出仕することを決意します。
月旦評
■ 月旦評
月旦評
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 来週から上期の月旦評が始まる
意味 品定めや人物評価をすること。
由来
■ 由来
由来
曹操のことを「治世の能臣、乱世の奸雄」と評価した、許 劭(きょしょう)が従兄とともに開いていた月に一度の人物評論会のこと。毎月1日に行ったため「月旦」としました。
登竜門
■ 登竜門
登竜門
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 ○○大学は政治家の登竜門だ
意味 成功するには乗り越えなければならない関門
由来
■ 由来
由来
後漢第11代皇帝の桓帝の時世になると、外戚にとって代わり宦官が政治の中枢を独占し、国家を牛耳ります。
宦官の中でも大きな権力を持っている宦官集団を中常侍といい、そのうちの一人張譲(ちょうじょう)の弟張朔(ちょうさく)は兄の権威のおかげで地方の長官となっていましたが、貪欲無道の限りをつくし、県民を虐げていました。その行いに憤り立ち上がった司隷校尉李膺(りよう)は張朔(ちょうさく)を逮捕し、供述書を書かせると即刻処刑しました。
張譲(ちょうじょう)は弟の仇を討たんと桓帝に訴えました。李膺(りよう)は桓帝の前に召し出されても眉ひとつ動かすことなく処刑した正当性を説明すると、「もとより、このことで譴責を受けることは覚悟の上、ただ格別のおぼしめしで私に猶予を頂き、元凶を皆殺しにしたうえで釜茹での刑を受けとうございます。」と臆することなく言い切りました。
これには桓帝もつけいることができず、この場を李膺(りよう)に譲りました。
水魚の交わり
■ 水魚の交わり
水魚の交わり
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 私と君の関係は水魚の交わりである
意味 切っても切れない関係やお互いの存在のこと。
※「水を得た魚」と同義と誤解する方もいますが、このことわざの意味はその人に適した環境で活き活きと活躍することです。
由来
■ 由来
由来
諸葛孔明を仲間に引き入れることに成功した劉備(玄徳)は、毎日孔明と食事を共にし、夜は床を並べて互いに将来の夢や政治の評論を語り合いました。
その様子を見て、不満に思ったのは劉備(玄徳)最古参の家臣である、関羽と張飛です。
ある日、劉備(玄徳)の部屋に二人で押しかけ、「兄者がそこまでするほど孔明に才があるのか?」とたずねます。すると劉備(玄徳)は微笑しながらこう答えました。
「私と孔明の間柄は魚が水を得たようなものだ。魚が水なしでは生きられぬように、私も孔明がいなければ乱世を生き抜くことはできぬ。だから兄弟よ、そんな悲しいことを言わないでおくれ」
しぶしぶながら、関羽と張飛は引き下がりました。
劉備(玄徳)の回答をさらに噛み砕くと、もともと「魚と水」の組み合わせは夫婦の関係を表すときに使われていました。そのため、関羽と張飛の場合は義理と信頼でつながった兄弟で、孔明の才能は恋人だ。
つまり、”孔明の才能に対する劉備(玄徳)の想いは、恋人を愛するのと同等”ということです。
そのため、関羽と張飛はそれ以上なにも言うことができませんでした。
白眉
■ 白眉
白眉
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 ルーブル美術館の作品の中でも彼の彫刻は白眉だ
意味 大勢の中で最も優れている人物や物のこと。
由来
■ 由来
由来
劉備(玄徳)の家臣に馬氏の5人兄弟がいました。馬氏の兄弟は5人とも字(あざな)「常」の文字がついていて、文武両道で優秀な兄弟でした。
人々は「馬氏の五常、白眉もっともよし」 (馬氏には五人のすぐれた子がいるが、白い眉の馬良がもっともよい)と評したことから、ひときわ優れている者を「白眉」というようになりました。
ちなみに白眉は馬氏の長男(4男とも言われる)馬良のことです。馬良は豊かな白い眉毛をしていました。馬良の弟には馬謖がいます。
老黄忠(ろうこうちゅう)
■ 老黄忠(ろうこうちゅう)
老黄忠(ろうこうちゅう)
使用例と意味
■ 使用例と意味
使用例と意味
使用例 三浦雄一郎は80歳でエベレスト登頂に成功した。彼こそまさに老黄忠だ。
意味 老いてますます盛んな人の代名詞。
黄忠は蜀の五虎将のひとりです。諸葛孔明は『今年六十に手の届くほどでありながら万夫不当の武勇を持つ剛の者』と評価しています。黄忠は還暦を迎えていたのにも関わらず、大きな薙刀を振り回し、二人張りの弓を引くほど物凄い腕力をもっていました。定軍山の戦いで70歳の高齢ながら巧みな戦略で魏の軍勢をおびき出して全軍突撃し打ち破ります。命からがら逃げた夏侯淵(曹操のいとこで魏の名称)に追い付くと、自らの手でこれを討ち取り老将ながら武名を轟かせました。この黄忠の生き様から老いてますます元気な人を「老黄忠」といいます。
まとめ
■ まとめ
まとめ
本記事では誤用しないように使用例や意味も盛り込んで由来を紹介しました。
男性は「三国志」が好きな方が多いと思うので、会話の流れでさりげなく使ってみると上司や同僚から「よく知ってるね!!」と会話のネタになるかもしれません。
三国志由来の故事やことわざはまだまだありますので、今後も紹介していきたいと思います。