気になる武将が見つかる?三国志を彩る個性豊かな猛将10選

気になる武将が見つかる?三国志を彩る個性豊かな猛将10選

今回は三国志を彩る個性豊かな猛将10選をお送りします。三国志は群雄割拠の時代がメインです。群雄割拠の時代を生きた猛将を10人ご紹介します。


三国志の醍醐味は星の数ほどの武将たちが武力・知略を活かし中国統一の為に戦っていきます。特に猛将と言われる武将たちによる一騎打ちはカッコよく見るものを魅了します。今回は猛将に焦点を当てて三国志を彩る個性豊かな猛将10選をお送りします。

1.呂布(りょふ)

1.呂布(りょふ)

1.呂布(りょふ)

三国志で最強の武将と言ってもいいでしょう。
身体能力が高く、弓術・馬術と武芸を極めた猛将です。
愛馬の「赤兎馬(せきとば)」と愛用の武器「方天画戟(ほうてんがげき)」で戦場を駆け巡っていました。虎牢関の戦いでは猛将張飛・関羽・そして劉備(玄徳)の3人を相手にしても怯まなかったことは有名な話です。

2.張飛(ちょうひ)

2.張飛(ちょうひ)

2.張飛(ちょうひ)

張飛、字は益徳(えきとく)、三国志演義では翼德(よくとく)。幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の出身と言われています。
五虎大将軍(関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲)の一人です。
曹操軍から追撃を受けた際、長坂橋で曹操軍を単騎による大喝一声して足止させたことにより、劉備(玄徳)軍が撤退できたエピソードは有名です。呂布に匹敵する武力の持ち主です。

3.関羽(かんう)

3.関羽(かんう)

3.関羽(かんう)

関羽、字は雲長(うんちょう)。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)出身と言われています。
五虎大将軍(関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲)の筆頭です。
反董卓連合軍に参加していた時は董卓軍の猛将華雄(かゆう)を倒す。曹操に敗れ、劉と別れ離れになり曹操の捕虜となった際は、曹操軍として官渡の戦い(かんとのたたかい)に参戦、袁紹(えんしょう)軍の猛将顔良(がんりょう)を倒すなどしています。

4.許褚(きょちょ)

4.許褚(きょちょ)

4.許褚(きょちょ)

許褚、字は仲康(ちゅうこう)。
身長184cmで腰回りが120cmの大男で怪力の持ち主です。武勇と力量は人並み外れていたと言われます。
牛の尻尾を引っ張って百歩余りも連れてきたという逸話がのこるほどの怪力です。
曹操(そうそう)のボディーガードとして曹操の危機を幾度も救ってきました。
一騎打ちでは馬超(ばちょう)と死闘を繰り広げるほどの武勇の持ち主です。
曹操の死後は、曹丕(そうひ)、曹叡(そうえい)に仕えました。

5.趙雲(ちょううん)

5.趙雲(ちょううん)

5.趙雲(ちょううん)

超雲、字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の出身と言われています。
五虎大将軍(関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲)の一人です。
もともと公孫瓚(こうそんさん)の配下でしたが、趙雲は兄の喪のために故郷に帰ることとなり公孫賛の元を離れます。そして趙雲は、袁紹の元に居た劉備(玄徳)と会い配下となりました。
長坂の戦いでは、阿斗(後の劉禅(りゅうぜん))と甘皇后を救出しに曹操軍の大群に単騎で乗り込み救出するエピソードが有名です。
劉備(玄徳)、関羽、張飛亡き後、諸葛亮と共に魏軍(北伐)討伐などで活躍しました。

6.馬超(ばちょう)

6.馬超(ばちょう)

6.馬超(ばちょう)

馬超、字は孟起(もうき)。司隷扶風郡茂陵県(陝西省興平市)の出身と言われています。
五虎大将軍(関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲)の一人です。
馬超は剛力の持ち主で若い頃から武勇に優れていました。その雄姿から「錦馬超」(きんばちょう)として称えられています。潼関の戦にて馬超は圧倒てきな強さで曹操軍を蹴散らしていきます。その中で行われた、許褚(きょちょ)との一騎討ちは有名です。

7.黄忠(こうちゅう)

7.黄忠(こうちゅう)

7.黄忠(こうちゅう)

黄忠、字は漢升(かんしょう)。荊州南陽郡(現在の河南省南陽市)の出身と言われています。
五虎大将軍(関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲)の一人です。
黄忠は60歳を過ぎた老将でありながら、弓の名手で敵将を一騎討ちで討ち取るなど、老いても勇猛果敢な活躍をしました。関羽率いる劉備(玄徳)軍が長沙(ちょうさ)に攻めてきた際に、関羽と一騎討ちをしており互角の戦いを繰り広げました。韓玄に劉備(玄徳)軍と内通しているのではと疑われ、捕えられてしまい処刑されそうになった際、同じく韓玄の配下の魏延(ぎえん)が反乱を起こし韓玄の死亡により、劉備の配下となりました。
劉備(玄徳)の配下になってからは、漢中攻略時に、張郃(ちょうこう)・夏侯尚(かこうしょう)を撃破したり、定軍山の戦いで夏侯淵(かこうえん)を討ち取るなど活躍しました。

8.典韋(てんい)

8.典韋(てんい)

8.典韋(てんい)

典韋、字は不明。兗州陳留郡己吾県(河南省寧陵県)と言われています。
大柄な体格で怪力、さらに固い節義と男気溢れる武将です。
誰も持ち上げられなかった牙門の旗を片手で持ちあげるほどの怪力の持ち主です。
許褚と同じく曹操(そうそう)のボディーガードとして曹操の危機を幾度も救ってきました。
呂布と曹操の戦いでは、典韋は数十人の突撃隊を率いて、孤軍奮闘し呂布軍を退けたり、合戦の度に精鋭数百人を率い、先鋒として敵陣を陥れるなどの武功を上げました。

9.龐徳(ほうとく)

9.龐徳(ほうとく)

9.龐徳(ほうとく)

龐徳、字は令明(れいめい)。涼州南安郡狟道県の出身とい言われています。
馬騰(ばとう)・馬超(ばちょう)親子に仕えていましたが、のちに曹操に仕えました。西涼の勇士として名を馳せ、魏延(ぎえん)、許褚、関羽とは互角に渡り合ったなど知勇兼備の名将として知られます。
関羽軍との戦いでは、龐徳が白馬に乗り関羽軍を苦しめたことにより、白馬将軍と恐れられました。

10.甘寧(かんねい)

10.甘寧(かんねい)

10.甘寧(かんねい)

甘寧、字は興覇(こうは)。益州巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)の出身と言われています。
黄祖(こうそ)に仕えて凌操(りょうそう)を討ち取る等の戦功をあげるが黄祖からは冷遇されていました。蘇飛(そひ)の勧めで孫権に降りました。孫権の配下になってからは目覚ましい活躍をしていきます。赤壁の戦いでは曹操軍が圧倒的優位でしたが周瑜(しゅうゆ)と共に曹操軍を打ち破るなど数々の武功を上げます。孫権からは「曹操には張遼がいるが、私には甘寧がいる。うまく釣り合っているものだ」と甘寧の武勇と豪胆さを賞賛されました。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志の群雄割拠の時代を生き抜いた猛将10人をご紹介しました。
各武将とも猛将らしい逸話を持っていたり、合戦において輝かし活躍をした武将たちです。各武将ごとにドラマもあります。今回ご紹介した猛将の中で気になる武将はいましたか?他の記事でも武将のエピソードが描かれているので併せて読んでいただければ、より三国志の世界が好きになると思います。





この記事の三国志ライター

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