三国志に登場する武器のあれこれ

三国志に登場する武器のあれこれ

三国志は武将以外にも武器も注目の一つです。関羽の青竜偃月刀、張飛の蛇矛、呂布の方天画戟など武将を象徴する武器がたくさんあります。


三国志は武将以外にも武器も注目の一つです。
関羽の青竜偃月刀、張飛の蛇矛、呂布の方天画戟など武将を象徴する武器がたくさんあります。
また、武器により武将の個性が引き立てられます。
そんな魅力的な三国志で登場する武器と武器にまつわるエピソードを交えて紹介します。
武器にまつわる真実がわかるかもしれません。

青竜偃月刀(せいりゅうえんげつとう)

青竜偃月刀(せいりゅうえんげつとう)

青竜偃月刀(せいりゅうえんげつとう)

青龍偃月刀は、大刀の一種です。名前の初めに「青龍」と付くのは、刃の部分に青龍の装飾が施されているためです。
関羽(かんう)が愛用していた青龍偃月刀は冷艶鋸(れいえんきょ)と呼ばれています。
関羽と言えば青龍偃月刀、青龍偃月刀と言えば関羽です。
三国志では青龍偃月刀は関羽を象徴する武器です。
形は日本の薙刀(なぎなた)のように長い柄の先に湾曲した刃が取り付けられたイメージです。薙刀とちょっと違うのは薙刀よりも刀の部分が幅広で大きくなっています。 また薙刀に比べて、柄の長さはやや短めになっています。違った見方をすると刀の刃の部分が大きく、刀より絵の部分が長いとイメージしてもわかりやすいかもしれません。これは馬上で戦う際、片手での取り回しの良さを考慮した為です。
荊州陥落後、関羽は呉に捕まってしまいます。青龍偃月刀はその後、関羽を捕らえた潘璋(はんしょう)に褒美として与えられます。その後、潘璋は関羽の子・関興に斬られ青龍偃月刀は関興へと受け継がれます。
実は青龍偃月刀と呼ばれる武器は宋代以降に登場しており、実際には関羽は青龍偃月刀を使用していなかったようです。

蛇矛(だぼう)

蛇矛(だぼう)

蛇矛(だぼう)

蛇矛と言えば張飛(ちょうひ)の愛用した武器です。
蛇矛と言うだけあって、刃の部分が蛇のようにくねくねとした形をした、柄の長い矛です。
刃の部分が蛇のようにくねくねとした形をしているのには理由があります。敵を刺したときに、通常の矛より傷口を広げよりダメージを大きく治りにくくする効果を目的としていたようです。
三国志の物語でも張飛が蛇矛をブンブンと振り回して戦っています。蛇矛で切られたらいたそうですね。
実は三国志の時代には蛇矛は存在しなかったようです。登場するのは明の頃のようです。

方天画戟(ほうてんがげき)

方天画戟(ほうてんがげき)

方天画戟(ほうてんがげき)

三国志史上最強とされる呂布が愛用する武器が方天画戟です。
槍の刃の両側に左右対称に「月牙(げつが)」と呼ばれる三日月状の刃が付いている形状を方天戟(ほうてんげき)と呼びます。
「月牙」が片方にしか付いていない方天戟のことを「青龍戟(せいりゅうげき)」「単戟(たんげき)」もしくは「戟刀(げきとう)」と呼びます。
その中でも呂布が愛用した方天戟のことを「方天画戟(ほうてんがげき)」と呼びます。
戦いでは相手を槍のように突いたり、月牙の部分で切ることもできる武器になります。
戟という武器は、商の時代からあり、三国時代には一般的に広く使われていた武器になります。方天戟が使われるようになるのは宋の辺りと言われています。

倚天剣(いてんけん)

倚天剣(いてんけん)

倚天剣(いてんけん)

倚天剣は、曹操(そうそう)が愛用した武器になります。
倚天剣は、「天をも貫く」という意味が込められており、岩を泥のように斬ったと言い伝えられています。
倚天剣と対をなす剣として青紅剣(せいこうけん)も一緒に作られました。
倚天剣と青紅剣は、名剣として知られています。倚天剣と青紅剣セットで青釭倚天(せいこういてん)と呼ばれています。
青紅剣は夏候恩(かこうおん)が所有しました。
しかし、倚天剣と青紅剣共に史記では出てこないので架空の剣と思われます。

青紅剣(せいこうけん)

青紅剣(せいこうけん)

青紅剣(せいこうけん)

青紅剣はもともと夏候恩(かこうおん)が所有しましたが、長坂橋の戦いの際、夏侯恩が趙雲(ちょううん)との一騎打ちで破れ、青釭の剣は趙雲のものとなりました。以降、青釭の剣は趙雲の愛用の剣となりました。
柄の部分に青紅の文字が刻まれていたために青紅剣と呼ばれたようです。
青紅剣も倚天剣と同様、岩を泥のように斬ったと言い伝えられる名剣だったようです。
しかし、倚天剣と青紅剣共に史記では出てこないので架空の剣と思われます。

三尖両刃刀(さんせんりょうじんとう)

三尖両刃刀(さんせんりょうじんとう)

三尖両刃刀(さんせんりょうじんとう)

「三尖両刃刀(さんせんりょうじんとう)」があります。
三尖両刃刀は紀霊(きれい)、晏明(あんめい)などが愛用した武器です。
結構ポピュラーな武器のようです。
三尖両刃刀は、ボートで使用するオールのような感じです。水をかく部分が刃にあたり刃の先の部分が三つに分かれています。
三つに分かれた刃を使用して、突いたり切ったりして攻撃ができたようです。
古くから原型になる武器はあったようですが、三尖両刃刀が使われるようになったのは明代以降のようです。

雌雄一対の剣(しゆういっついのけん)

雌雄一対の剣(しゆういっついのけん)

雌雄一対の剣(しゆういっついのけん)

雌雄一対の剣は劉備(玄徳)愛用の剣です。
雌雄一対の剣は、桃園の誓いで劉備(玄徳)、関羽、張飛が義兄弟の契りを交わした後、黄巾賊討伐の為に先祖から伝わる剣に似せた二振りの剣のようです。
三国志の中では劉備(玄徳)が戦う場面はほとんどないので、雌雄一対の剣を二刀流のように使用したかは定かではありません。

七星宝刀(しちせいほうとう)

七星宝刀(しちせいほうとう)

七星宝刀(しちせいほうとう)

七星宝刀は王允→曹操→董卓(とうたく)の順番で所有されました。
七星宝刀は王允(おういん)の家に古くから伝わる鞘に七種類の宝石が散りばめられた名剣です。
また家宝としてだけではなく、切れ味も鋭いので戦いにも使用できました。
王允は、董卓暗殺のために曹操に七星宝刀を渡し暗殺を依頼しました。
しかし、曹操は董卓暗殺時に董卓にばれそうになり、七星宝刀を董卓に献上するふりをして難を乗り切りますが董卓暗殺に失敗します。この際に七星宝刀を董卓に献上してしまった為、七星宝刀は董卓が所有することになります。

その他

その他

その他

徐晃(じょこう)愛用の長い柄のついた大きな斧、大斧(だいふ)や
黄蓋(こうがい)愛用の鉄筋を太くしたような鉄鞭(てつべん)などがあります。

まとめ

まとめ

まとめ

簡単ですが三国志に登場する武器を簡単ですが紹介しました。
しかし、三国志に登場する武器は、三国志の時代にはなかった武器または、史記には記載のない武器などが多いです。
それはなぜかというと三国志演義は大衆向けな読み物の為、物語を面白くするために武将ごとに武器が被らないようにしているからと言われています。関羽愛用の青竜偃月刀、呂布愛用の方天画戟
とした方が三国志を読んでいてこの武将カッコイイとか愛着がわきませんか?
たかが武器かもしれませんが武将愛用の武器があることにより物語としてはとっても面白くなります。





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