トホホな大将軍・何進の、輝ける日々!―――何進を再考する(2)

トホホな大将軍・何進の、輝ける日々!―――何進を再考する(2)

三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。美人の妹のおかげで大将軍に出世するも、政敵のワナにはまり、あっけなく生涯を終えました。しかし! そんな彼にも「大将軍」としての輝ける日々があったのです。暗殺の危機をかわし、ライバルを倒し、権力を安定させる怒涛の活躍! 何進の意外な有能ぶりを見ていきましょう。


宦官との対立へ―――ライバル出現!

宦官との対立へ―――ライバル出現!

宦官との対立へ―――ライバル出現!

黄巾の乱(184年)の鎮圧後も、何進は大将軍の地位にとどまり、外戚として権勢を振るいました。
しかし……その後、何進の運命に大きな変化が起きます。外戚でありながら、宦官との協調路線を歩んできた何進ですが、その宦官の中に反・何進グループが生まれたのです。
そのリーダーは、霊帝お気に入りの宦官・蹇碩(けんせき)という男でした。

188年、霊帝は軍の改革を行い、皇帝直属の軍を新たに設置します。
すると(大将軍・何進がいるにもかかわらず)その責任者にお気に入りの蹇碩を任命してしまうのです。
蹇碩が率いるのは、なんといっても皇帝直属軍。少なくとも形の上では、蹇碩は何進よりエラくなったともいえます。軍事については、何進という大将軍(しかも皇后の兄)がいるのに、ちょっと変な人事という気もしますね。
(あるいは霊帝は、何進の実力が大きくなりすぎるのを嫌ったのかもしれません)。

ライバル・蹇碩は、宦官でありながら体格が良く、軍事の素養があるといわれた男です。
彼は何進を恐れており、なんとかして何進を排除できないかと策を練ります。
蹇碩はまず、何進を宮中から追い出そうと、霊帝にあるプランを吹き込みました。
「大将軍(何進)を出陣させ、西方の反乱を鎮圧させるべきです」
そう。首都からいなくなれば、権力を振るうことはできません。「反乱の鎮圧」を口実に出陣させ、体よく首都から追い出す……なんとも巧みな作戦ですね。

しかし、何進もこの手には乗りません。彼は霊帝に対し言いました。
「兵を集めてから出陣しますので、しばらくお待ちください」
つまり「兵を集めなきゃいけないので、すぐには出陣できない」と時間稼ぎをし、命令をかわしたのです。これまた上手い対処です。こうしたせめぎ合いこそが、政治なのですね。

皇帝崩御! 何進に暗殺の危機が!

皇帝崩御! 何進に暗殺の危機が!

皇帝崩御! 何進に暗殺の危機が!

そうこうするうちに、霊帝が死の床につきました。となれば次の皇帝がだれになるか問題になりますが、彼には跡継ぎ候補の2人の皇子がいました。

兄・劉弁……母は何皇后
弟・劉協……母は王美人(注1)

ちなみに王美人も霊帝に愛された女性なのですが、何皇后の嫉妬により毒殺されたといいます。げに恐ろしきは、女の嫉妬……。

(注1)美人……皇帝の側室の身分のひとつ。王美人は、王氏という家から後宮に入った女性。

霊帝は、劉弁が皇帝の資質に欠けると感じており、異母帝である劉協にあとを継がせたいと思っていました。とはいうものの、劉弁は皇后が産んだ子であり、まして皇后の兄である何進は大将軍として軍をにぎっています。簡単に劉弁を排除することもできません。
とりあえず霊帝は、お気に入りの蹇碩を劉協の後見人とします。蹇碩は霊帝の意思を実現すべく、何進を排除し、劉協を次の皇帝とすべく動き出しました。

そしてついに……霊帝が崩御(ほうぎょ/注2)しました(189年)。
皇帝が死んだとなると、群臣はみな宮中にかけつけます。蹇碩はこの機を逃してはならぬと、何進暗殺計画を発動させました。劉弁の伯父にあたる何進を討ち、霊帝の遺志のとおり、劉協を次の皇帝に即位させんとしたのです。

(注2)崩御(ほうぎょ)……皇帝(日本では天皇)が死去すること。

こんなたくらみも知らず、何進は宮中にやってきました。いくら大将軍とはいえ、宮中に大軍を率いて入ることはできません。そこを襲われれば、ひとたまりもないはず……何進暗殺計画は、まさに成功目前でした。

しかし……ここで裏切り者が出たのです。
蹇碩のそばにも、何進と旧知の者がいました。彼は参内(注3)する何進に向かい、目くばせをします。
「大将軍、この先は危険です! お戻りください」
目くばせにこめられた意味をくみとり、何進は大慌てで引き返し、兵とともに自分の邸にこもってしまいました。
こうなると、蹇碩には手出しができません。何進暗殺計画は、あえなく失敗したのです。

(注3)参内(さんだい)……宮中(皇帝の居所)に参上すること。

再度の暗殺計画も回避! ライバルを滅ぼす

再度の暗殺計画も回避! ライバルを滅ぼす

再度の暗殺計画も回避! ライバルを滅ぼす

こうして暗殺の危機を乗り切った何進は、無事、甥の劉弁(少帝)を即位させました。
皇帝の母となった何皇后は、皇太后(こうたいごう/注4)となり、ここからは何太后(かたいこう)と呼ばれることとなります。

(注4)皇太后(こうたいごう)……前皇帝の皇后および現皇帝の母。

暗殺だ、追放だと、あれだけ大騒ぎしながら、すべては何進の思い通りに……蹇碩の無念ははかりしれません。あきらめられない蹇碩は、ふたたび何進暗殺を計画し、同僚の宦官たちに相談します。
しかし……宦官といえど、一枚岩ではありませんでした。少帝・劉弁が即位した以上、外戚である何進の権力には、もはや付け入るスキがありません。宦官の有力者たちは蹇碩を見捨て、何進に暗殺計画を密告しました。
蹇碩は霊帝お気に入りの宦官でしたが、もはやその霊帝もいません。
ついに何進は蹇碩を討ち、蹇碩の配下の軍兵を自分のものにしました。

甥っ子の少帝・劉弁を即位させ、妹は皇太后となり、宦官のライバルまで討ち果たした何進。いうまでもなく、大将軍として軍権をにぎっています。
「なんだ、何進の権力って磐石じゃん。このまま天下を平定したら、三国時代なんて来ないのに」
そう思っちゃいますよね。
しかし、ここまで権力を安定させた何進にも、落とし穴があったのです。

何皇后は絶世の美女? ヒステリー女?

何皇后は絶世の美女? ヒステリー女?

何皇后は絶世の美女? ヒステリー女?

ここで、何進の妹である何皇后(何太后)についても触れておきましょう。
屠殺業(とさつぎょう)の家に生まれた彼女は、長身のスラリとした美人に育ったといいます。
何進と一家は、この美しい娘を後宮にねじ込んで、富貴の身分を得ようと考えました。そうして同郷の宦官にワイロを贈って頼みこみ、娘は首尾よく後宮に入ります。しかも上手い具合に皇帝(霊帝)に愛され、さらには男子(劉弁)を産み、皇后にまでなってしまうのです。

これ、並大抵じゃないシンデレラ・ストーリーですよね。後宮には他にも女性がたくさんいるにもかかわらず、競争を勝ち抜いて、皇帝の愛を得たのですから……何皇后がたいへんな美人であったことは想像できます。

しかし……美しいバラにはトゲがあるのでしょうか。何皇后は非常に気が強い女性であり、後宮のほかの女性たちには恐れられていたといいます(そういう人だからこそ、競争に勝ち抜けるのかもしれませんけど)。

さらには、非常に嫉妬深い女性でもありました。霊帝の側室の王美人が男子(劉協)を産んだとき、なんとジェラシーのあまり、王美人を毒殺してしまったのです。
さすがにこれには霊帝も怒り、彼女は皇后の座を追われそうになります。それでも宦官たちのとりなしにより、なんとか処分をまぬがれることができました(何皇后と宦官は、日ごろから利害で密接に結びついていたのですね)。

ともあれ、何皇后が美人でなければ、何進が大将軍になることも、何一族が繁栄することもありませんでした。よって何進が、この気の強い妹に頭が上がらないのは、容易に想像できますよね。
そして……この兄妹関係が、何進と一族の運命を決めることとなるのです。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


三国志 何進 後漢 蹇碩

関連する投稿


三国志の英雄がイケメンに!?三国志をテーマにした女性向けゲームアプリ!

日本の戦国時代や幕末をテーマとした女性向け恋愛シミュレーションアプリがあるように、三国志をテーマにしたものも存在するんです! 素敵な英雄と恋を楽しんでみませんか?


三国志の人材コレクター!曹操が集めた魏の武将たち

群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!


三国志の始まり~王朝の乱れより黄巾の乱の始まり~

「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。


董卓~三国志随一の暴君~

黄巾の乱後の政治的不安定な時期を狙い、小帝と何皇太后を殺害し、献帝を擁護し権力を掌握していく朝廷を支配していた絶対的存在。 政権を握った彼のあまりにもの暴虐非道さには人々は恐れ誰も逆らえなかった。 しかし、最後は信頼していた養子である呂布に裏切られるという壮絶な最後を遂げる。


魏軍武勇筆頭! 義にも厚かった猛将・張遼

曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。


最新の投稿


春秋戦国時代 伍子胥の人生について

伍子胥(ごししょ)は、中国の春秋時代に活躍した楚の武人です。彼の本名は員(うん)で、楚の平王によって父と兄が殺されたため、復讐を誓いました。彼は呉に亡命し、楚との戦いで、ついに復讐を果たしました。しかし、後に呉王夫差が越王勾践を破った際、降伏を許そうとする夫差に反対し、意見が受け入れられず、自害させられました。


孫氏の兵法の孫武(そんぶ)とは?

『孫氏の兵法』における「孫氏」とは、古代中国の軍事思想家である孫武です。兵法書『孫子』を著し、戦争や軍事戦略に関する理論を全13篇から構成。特に「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」が有名で、戦争を避けることが最も優れた戦略であると説いています。 参考:ドラマ 孫子兵法 ‧


『キングダム』における羌瘣とは?

羌瘣は、漫画『キングダム』に登場する架空のキャラクターです。彼女は羌族出身の少女で、精鋭の暗殺者集団「蚩尤(しゆう)」に属していました。彼女は、原作、映画においても非常に魅力的なキャラクターです。その環境や周辺を史実を参考に紐解いてみます。


赤兎馬とは? 三国志初心者必見 三国志における名馬の物語

赤兎馬とは、三国志演義などの創作に登場する伝説の名馬で、実際の存在については確証がなく、アハルテケ種がモデルとされています。体が大きく、董卓、関羽、呂布など、三国時代の最強の武将を乗せて戦場を駆け抜けました。


春秋戦国時代 年表 キングダム 秦の始皇帝の時代の始まり

キングダム 大将軍の帰還 始まりますね。楽しみにしていました。 今回は、秦の始皇帝「嬴政」が、中華統一を果たす流れについて記述しようと思います。映画、キングダムのキャストの性格とは若干違うかもしれませんが、参考程度に読んでみてください。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング