史学と文学。ふたつの三国志を知ろう!

史学と文学。ふたつの三国志を知ろう!

歴史とはどのように解釈すべきなのか。史実か文学か。この問題は三国志にも当てはまるもので、史学的な見地と文学の三国志はやはりどこか似て非なるものとなっているのです。


三国志と言えば国民的人気物語と言っても過言ではありません。中国の話ではありますが、日本のみならず、世界で愛されている話です。ちなみに英語圏では「Romance of Three Kingdoms」とのタイトルで世界中にファンがいます。三国志のお話は後漢末期、漢王朝を立て直そうとする劉備のお話…と思っている人も多いのですが、それはいわば「文学」の三国志であって、「史学」としての三国志となると少々話が変わってくるのです。

二つの三国志

二つの三国志

二つの三国志

三国志が二つあるのは既に三国志ファンにとってはお馴染みなのではないでしょうか。
いわゆる歴史書物としての三国志と俗に「三国志演義」と呼ばれている、講談の三国志。
前者は歴史の事実を述べただけのもので、面白いか面白くないかと言われれば面白いとは言えないものでしょう。読み手を楽しませようとするものではなく、あくまでも「記録」だからです。
一方、三国志演義は読み手を楽しませようと意識して作られたものですので、読んでいて楽しいものです。更には我が国に伝わっている三国志の歴史は、いわば三国志演義を元にしたものがとても多いのです。

例えば三国志ファンのバイブルと言っても過言ではない横山光輝の三国志。単行本にすれば60巻にもなる長編漫画ですが、こちらもいわば三国志演義がベースとなっています。おそらく我が国の三国志のイメージは横山光輝の三国志がベースとなっていることでしょう。
つまりは三国志演義こそ我々にとっての「三国志」なのですが、三国志演義は「奇書」とも呼ばれている程。
悪く言ってしまえば「信憑性がない」のです。もちろんすべてが嘘ではありませんが、事実を元にしたフィクション。つまりは文学としての三国志なのです。

歴史的見地から見た三国志

歴史的見地から見た三国志

歴史的見地から見た三国志

歴史的見地、つまりは史学から見た三国志は少々味気ないものです。
例えば三国志演義の始まりは黄巾の乱によって荒廃した時代からですが、このころはいわばまだまだ後漢の時代です。歴史的見地から見た「三国時代」には、残念ながら曹操さえ関わっていません。
三国志は魏・呉・蜀の3つの国の覇権争いであることは間違いありません。ですが史学から見た三国時代は曹操の息子が後漢の皇帝を追いやり、自分自身が皇帝となった時からになりますので、年号にすると221年。
あるいは、すべての国が皇帝を名乗った時からとすると孫権が皇帝を名乗ったのは229年になりますので、そこからになるのです。
ちなみに221年ともなると、横山光輝の三国志で言えば43巻目になります。60巻の物語の中の43巻目です。

三国志最大の見せ場といえば…

三国志最大の見せ場といえば…

三国志最大の見せ場といえば…

三国志最大の見せ場と言えば赤壁の戦いです。西暦208年に起きたこの戦いは、三国志演義では最大の見せ場となっています。呉と蜀が手を結び、蜀の軍師である諸葛亮が呉まで乗り込み風を吹かせて曹操率いる魏の軍勢を追い払う…。
映画、「レッドクリフ」に於いても赤壁の戦いがいわば最高の見せ場なのですが、歴史的見地から見た場合、赤壁の戦いはあくまでも局地戦でしかないのです。水に不慣れな曹操率いる北の軍勢が呉の水軍に蹴散らされる。
話の本筋は合っていますが、当然ですが諸葛亮が風を吹かせるようなこともありませんし、ボロボロになった曹操が逃走中に関羽と遭遇し、命乞いをするようなこともありません。

それらはあくまでも三国志演義の中での話です。

三国志の花、一騎打ち!…のはずが?

三国志の花、一騎打ち!…のはずが?

三国志の花、一騎打ち!…のはずが?

三国志は漫画だけではなく、ゲームにもなっています。そこでは三国志の武将が華々しく一騎打ちを行います。
格好良いなと思った人も多いかもしれませんが、残念ながら一騎打ちもまた、三国志演義のみに描かれているものです。残念ながら歴史書物には一騎打ちを行った記述は確認されていませんので、果たして一騎打ちそのものが行われていたのかさえ分かっていないのです。

三国志だけの話ではありません

三国志だけの話ではありません

三国志だけの話ではありません

三国志演義はあくまでも文学ですが、決して悪いものではないのです。また、文学と史学の乖離は決して三国志だけではありません。日本の歴史に於いても史実よりも文学が親しまれているものは多々あります。

例えば2016年にNHKの大河ドラマ「真田丸」にて描かれた真田幸村。真田十勇士の話はファンにとっては残念ですが文学の世界での話です。史実では10人の忍者が…といった話はありません。このように、文学は史実を元に多くの人を楽しませようと思って作られたものなのです。

三国志の場合、既に1800年も前の話になりますので、残されているものも少なく、研究もなかなか進まない事情もあります。日本の場合、例えば先の話に出た真田幸村の話であれば400年前。
関連史料が出てきて歴史的な解釈が変わることもあるのですが、三国志に関してはそのような可能性も低いので三国志演義にあったことが実は真実だった…という展開は考えにくいのです。

三国志の世界を楽しもう

三国志の世界を楽しもう

三国志の世界を楽しもう

三国志演義がすべて嘘だとは言いません。ですが、真実ではないのも事実ですので三国志演義の話を真実だとして楽しむのではなく一つの物語として楽しむスタンスが良いでしょう。
歴史はいわゆる史料主義と呼ばれているもので、どのような説であれ裏付ける史料、つまりは証拠が出て来なければ事実として認定されません。一方で、では史料が出てきたとしてもそれがどのような意図なのかは、極論すれば本人にしか分からないのです。未だに学者の間でも説が二分するような話とて多々あるのです。
それだけに、三国志に関しても「真実か否か」という価値観だけで考えるのではなく、文学作品として楽しむのが正しいスタンスなのかもしれません。三国志だけではなく、歴史を学問の見地から見れば事実の羅列だけの面白いものではありません。もしもですが、三国志演技がなければ我が国はおろか世界でも三国志がここまで愛されていたかは分かりません。三国志が愛されているのは三国志演義の影響が大きいのは説明するまでもないでしょう。

しばし「三国志演義は史実じゃないから」との声も聞かれるのですが、史実か否かではなく、「三国志」という物語そのものを楽しめば良いのではないでしょうか。記載されていないからといって必ずしも嘘だと言い切れない部分もあるのですしね。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


三国志 演義

関連する投稿


三国志の英雄がイケメンに!?三国志をテーマにした女性向けゲームアプリ!

日本の戦国時代や幕末をテーマとした女性向け恋愛シミュレーションアプリがあるように、三国志をテーマにしたものも存在するんです! 素敵な英雄と恋を楽しんでみませんか?


三国志の人材コレクター!曹操が集めた魏の武将たち

群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!


三国志の始まり~王朝の乱れより黄巾の乱の始まり~

「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。


董卓~三国志随一の暴君~

黄巾の乱後の政治的不安定な時期を狙い、小帝と何皇太后を殺害し、献帝を擁護し権力を掌握していく朝廷を支配していた絶対的存在。 政権を握った彼のあまりにもの暴虐非道さには人々は恐れ誰も逆らえなかった。 しかし、最後は信頼していた養子である呂布に裏切られるという壮絶な最後を遂げる。


魏軍武勇筆頭! 義にも厚かった猛将・張遼

曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。


最新の投稿


三国志ってなんなのさ? 魏・呉・蜀って世界史で学んだような?

『三国志』は、後漢末期から三国時代にかけての中国大陸を舞台に、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う壮大なドラマと言えます。 その魅力を伝えたい。なぜ、魅力があるのか考えながら解説していきます。


”匈奴”草原を風のように駆け抜け帝国を震え上がらせた遊牧の戦士

想像してみてよ。広大なモンゴル高原を、風のように馬を駆け巡る人々がいたんだ。彼らは「匈奴(きょうど)」って呼ばれる遊牧騎馬民族。時は紀元前3世紀末から後1世紀末。彼らの暮らしはまるで大地と一体化したようで、馬と共に移動しながら生きていた。その姿は勇猛果敢で、各地の国々を相手に壮絶なバトルを繰り広げていたんだよ。


キングダム 蒙恬の死因とは? その真実に迫る

蒙恬は、コミック、キングダムにおいて主人公・信と同世代の武将であり、名門武家の出身でありながら、飄々とした性格で周囲を和ませる一方、戦場では冷静沈着な指揮官として才能を発揮。楽華隊、その旗印である「楽」の文字通り、戦場においてもどこか余裕を感じさせる姿は、多くのファンを魅了しています。史実では?死因は?興味あり。


キングダム 李牧 の史実を知りたくなった方、必見!

キングダムの李牧の活躍シーンを見て、その圧倒的な存在感に心を奪われた経験はありませんか? 趙の名将・李牧は、作品の中でも特に印象的な人物として多くのファンの心を掴んでいます。漫画やアニメ、映画で 李牧 の活躍を追っている人も少なくないでしょう。最強の知将として知られる李牧の人物像をご紹介します。


秦の始皇帝の時代、李信 の実像と影響

李信(りしん)は、中国春秋戦国時代末期の秦国で活躍した将軍で、秦の始皇帝(秦王政)の下で多くの戦役を指揮しました。彼の正確な生没年は不明ですが、紀元前3世紀の秦の統一戦争で中心的な役割を果たしました。『史記』においては、「若く勇壮で、軍事的才能があった」と記されており、特にその若さと大胆さが目立った人物として描かれ