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「孫子」には何が書いてあるの?(2) 戦争を考える「基本条件」

「孫子」には何が書いてあるの?(2) 戦争を考える「基本条件」

さて、いよいよ「孫子」の本文に入っていきましょう。さすがに中国の古典なので、漢字も言葉も難しい……。しかし、難解な用語などはあまり気にせず、孫武さんの主張の要点だけを見ていけばいいと思うのです。


「孫子」には何が書いてあるの?(1) 著者・孫武は「平和主義者」だった

「孫子」には何が書いてあるの?(1) 著者・孫武は「平和主義者」だった

「孫子の兵法書」という言葉、三国志でもよく見かけます。どうやら曹操や諸葛亮が愛読した、戦争のノウハウ書らしいのですが……その具体的内容については、あまり知られていません。せっかく三国志が好きなのだから、武将たちが愛読した「孫子」の内容を、簡単に見ていきましょう。


曹操とは何者だったのか(青年編 2) 侵入! 撲殺! 権力者をも恐れぬ度胸!

曹操とは何者だったのか(青年編 2) 侵入! 撲殺! 権力者をも恐れぬ度胸!

ヤンチャな少年時代を送った曹操も、20歳を過ぎて役人になります。しかし官職についても、個性的なところは相変わらずだったのです。権力者を恐れぬ曹操の気骨を、ご紹介します。


曹操とは何者だったのか(青年編 1) 曹操の血筋・家柄・肉親は?

曹操とは何者だったのか(青年編 1) 曹操の血筋・家柄・肉親は?

劉備と並ぶ三国志の主役である曹操。これまで散々語りつくされた存在ではあるのですが、その反面、彼に関するエピソードは虚実が入り混じっているのが現実です。小説や漫画などの創作物による「虚像」をあばき、曹操の「実像」を見ていきたいと思うのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(15) 張遼の偉業は、どう受け継がれたか?

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(15) 張遼の偉業は、どう受け継がれたか?

武将として比類なき強さを示し、後世に伝説として語り継がれる張遼。彼が命を賭けた合肥は、その後大きな改革を経て、さらに強力な防衛拠点として生まれ変わったのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(14) 「泣く子がだまった」理由

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(14) 「泣く子がだまった」理由

戦いに明け暮れた人生に、ついに幕を引いた張遼。彼が命をかけた対呉戦線のその後について、ご紹介します。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(13) 武の巨星、ついに堕つ

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(13) 武の巨星、ついに堕つ

無敵ともいえる強さで戦場を駆け抜けた張遼。そんな男にも、ついに最後の日がやってきました。今回は「張遼伝説」の終焉を、お届けしたいと思います。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(12) 真の主人、逝く

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(12) 真の主人、逝く

10万の孫権軍を返り討ちにし、天下にその武名をとどろかせた張遼。その後の彼はどうなったのか、「合肥後」の彼を見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(11) なぜ李典が出撃し、楽進が城を守ったのか?

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(11) なぜ李典が出撃し、楽進が城を守ったのか?

10万の孫権軍を返り討ちにし、合肥の防衛に見事成功した、張遼・楽進・李典。しかしちょっと気になることがあります。それは、曹操が彼らに命じた役割分担のことです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(10) 張遼の宿敵・孫権はどんな男だったか?

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(10) 張遼の宿敵・孫権はどんな男だったか?

張遼は合肥(がっぴ)の戦いで、攻め寄せてきた孫権軍を見事返り討ちにしました。手痛い敗戦を喰らった孫権。張遼の宿敵だった彼は、どんな人物だったのか……ちょっと寄り道して見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(9) 敗軍にも勇将あり

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(9) 敗軍にも勇将あり

合肥(がっぴ)の攻防戦において、わずか800の兵で10万の孫権軍を圧倒した張遼。さらには引き上げる孫権軍を猛烈に追撃し、多大な被害を与えたのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(8) 逃げる孫権軍を追撃!

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(8) 逃げる孫権軍を追撃!

孫権率いる10万の軍勢に対し、わずか800人の精鋭部隊を率いて突撃した張遼。この壮挙によって、一躍三国志の英雄となった彼は、さらに驚くべき英雄的行動を見せます。張遼の獅子奮迅の戦いを、引き続き見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(7) 張遼、伝説となる

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(7) 張遼、伝説となる

対呉戦線の重要拠点・合肥(がっぴ)の守備を任された、張遼・楽進・李典。曹操は日ごろから仲の悪い3人をあえて組ませて、孫権との戦いに当たらせました。不仲な武将たちが、孫権の大軍をどう迎え撃つのか……じっくり見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(6) 冷静な知将・李典

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(6) 冷静な知将・李典

呉の孫権の攻撃に備え、重要拠点である合肥(がっぴ)の守備を命じられた張遼。しかしともに任務に当たる同僚たちとは、人間関係がうまくいきません。はたして彼らは無事に孫権の攻撃に対処し、任務を果たせるのでしょうか?


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進

三国志の大きな見せ場でもある、曹操軍と孫権軍の攻防戦。曹操軍の将として、要地・合肥(がっぴ)の守備を任せられた男こそ、勇将として名高い張遼でした。張遼はいかにして孫権軍と戦ったのか、じっくり見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(4) 名将の条件とは

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(4) 名将の条件とは

曹操は官渡の戦いで袁紹を破った後、華北を順調に平定し、いよいよ南方へと軍を向けました。ところが赤壁の戦いで、孫権・劉備の連合軍に思わぬ敗北を喫したのです。この敗戦を受け、曹操に反旗をひるがえす武将も現れました。曹操軍の有力武将となった張遼にとっても、ここからが腕の見せ所となるのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(3) 危機管理も完璧だった男

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(3) 危機管理も完璧だった男

若き日の張遼は、丁原、董卓、呂布といった猛将たちに仕えました。しかしこれらの主人たちは皆、志半ばにして討たれてしまい、張遼はそのつど新たな主人に仕えなくてはならなかったのです。呂布が滅んだ後、張遼は曹操に仕えます。後に魏王朝の始祖となるこの男こそ、張遼にとって運命の主人だったのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(2) 真の主人との出会い

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(2) 真の主人との出会い

後に魏の名将となる張遼は、若いころは安住の地を得ることができず、苦労もしました。なにしろ主人の董卓が、同僚の呂布に殺されてしまうのです。結局彼はそのまま呂布の配下となるのですが、そこからさらに運命は急展開していきます。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(1) 呂布にふり回された若き日

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(1) 呂布にふり回された若き日

「泣く子もだまる」という言葉、読者の皆さんも耳にしたことがあるでしょう。「だだをこねて泣いている子供も、恐怖のあまり泣き止んでしまうほど、恐ろしい存在」という意味だそうです。この言葉は、三国志の武将が語源になっているといいます。その武将は、魏の名将である張遼(ちょうりょう)。どんな男だったのでしょう?


魔王・董卓の真実(10) 「人間ローソク」にされた董卓

魔王・董卓の真実(10) 「人間ローソク」にされた董卓

後漢の朝廷に君臨し、恐怖の独裁政治を展開した董卓。その暴政にも、ついに終わりの日がやってきます。董卓政権に幕を引いたのは、三国志ファンならおなじみの「あの人」でした。はたして董卓はどのようにして殺されたのか、独裁者を討った謀略を見ていきます。